ボディガード
電話から朱莉の緊迫した声が聞こえたので、邦裕は慌てて、上着を掴んで家を飛び出した。その間、電話を繋ぎっぱなしにして、朱莉の声を聞けるようにした。
朱莉は金曜の夜、電車で二駅離れた塾に通っていた。以前から男につけられることがあったそうだ。
その夜は、それらしい男が電車の中で朱莉のすぐそばまで近づいてきて、チラチラ視線を向けて来たので、朱莉も気付いていた。駅に着くと一番にドアから降りて、早足で改札を抜けた。そしてほっとして歩を緩めると、その男が早足でいったん朱莉を通り越して、何歩か先で立ち止まり、朱莉を見つめて来たそうだ。
朱莉はその異常さに気づいて、邦裕に電話をかけてきた。
とにかく、人通りの多いところで待つようにと言った邦裕は、徒歩では駅まで十五分くらいの道のりを走って行った。
朱莉はこわばった表情で立っていた。邦裕は「まった?」と大声で声をかけた。当然、その男に聞かせるためである。何人もの人がいて、どれがその男なのか邦裕にはわからなかった。
「ありがとう」
ひきつり気味の笑顔で朱莉が言った。
「まだいる」
震えながらささやく朱莉の右腕を掴んで、「帰ろうか」と、これも大きな声を出していった。
邦裕は、身長が一八〇センチあるので、かなり大きく見えると思う。この時は一段と体を大きく見せて肩を怒らせ、大股で歩いた。
しばらくして、人気がなくなったところで、
「ごめんね、怖かったの」と朱莉は小さな声で言った。
「俺が来たから大丈夫。このまま家まで帰ろう」
「前からつけられてる感じがしてたの」
「知らない男の人。今日は近づいて来たから怖くなって」
「しばらくは迎えにくるよ、朱莉が嫌じゃなかったら」
「ありがとう、助かる。でも、ヒロくん、迷惑じゃない?」
「俺は全然大丈夫」
「じゃあ、お願い」
朱莉はそう言うと、笑顔になって白い歯を見せた。
邦裕はこのままずっと朱莉と歩き続けたいと願ったくらいだ。
朱莉は東京の大学に進学したいと言っている。受験勉強のため週に一回塾に通っているのも、そのためだ。 やりたいことがまだ見つかっていない邦裕は、勉強に励んでいる朱莉が羨ましくもあった。
街灯のない暗い場所では、朱莉は腕を握る力をぐっとこめてきた。邦裕はたびたび後ろを振り返って、男がついてきていないかを確かめた。
朱莉の身体の線を感じながら家の前まで帰ってきた時、闇のむこうから「ヒロ!」と呼び掛けられた。近づくと、健人と優奈だった。
優奈は邦裕と朱莉が腕を組んでいるのを見て、
「恋人繋ぎ?いいなあ、健人もやって」
と言って羨んだ。
「お前、どうして俺らが来るのわかった?」
健人は邦裕に近づいて小声で聞いてきた。
「いや、偶然なんよ。これには訳が」
「優奈に見せつけるためやろ?」
「あとで話す」邦裕も小声で健人にそう言って、
「いらっしゃい」と優奈に笑顔を見せた。
「お似合いね、お二人は」優奈は朱莉に近づいて、ニコニコして話しかける。邦裕らが本当のカップルだと思っているらしい。怪我の功名になるのか、ともかく、健人への嫉妬が無くなれば、安心だ。
それからは、塾帰りの朱莉を駅まで迎えに行くのが、邦裕の大事な役割になった。男はあれ以来、姿を見せなくなっていた。しかし、しばらくは用心した方がいいと思うので、金曜の夜は、アルバイトも遊びも入れずに空けておくことにした。