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09、2020年9月、アフガニスタンの診療所

 シンイチは、行方不明となっていたが、実はアフガニスタンに不法入国となっていまった。左脚に被弾し、入院となった。日本で待つ家族は、最後のメールがパキスタン国内であったことから、パキスタンにいると考え、外務省を通して、捜索願いを提出していた。

 次男ジロウ、三男カズミ、そして「西域ラーメン店」一家は、どうなっていくのか?

 果たして、シンイチは帰国できるのか?それとも...。

 俺は、思わぬ旅行の展開にどうしたらよいかわからなくなっていた。アフガニスタンにはシルクロードの要として、そして我が家「西域ラーメン店」内に貼ってあった幾つもの写真の影響で、中央アジアの国々として憧れもあった。が、今回まさかの入国予定もなく直近の情報はほとんどない。

 知っていることは、2001年にタリバンにより、かのバーミヤーンの大仏が爆破されてしまったということ。ビンラディンという、ニューヨーク、世界貿易センターに旅客機でアタックしたテロの首謀者である人物が、アメリカの爆撃により命を絶たれているということ。タリバンは活動を続け、最近でも自爆テロを行っているということ。

 ありきたりだが、その程度の知識しかない。日本大使館に助けを求めるように駆け込むしかないか。それとも、どこかの組織に混ぎれ込んで、パキスタンに脱出するしかないか...。連絡の仕様もない。この地域はインターネット回線はまだ開かれていないようだ。詳しいことは、アブドゥルに聞いてみよう。


 午前中、オマール医師が傷の消毒に来た。アブドゥルが助手として包帯を外し、俺は自分の左太腿の傷を直視した。縫合面は10cmに渡る。肉芽が皮膚に治まり切れないかのように部分的に飛び出ている。決して綺麗ではない。化膿し感染を起こしたらたちまち悪化しそうな印象だった。

 「傷は問題ないですよ。薬はきちんと飲めていますね。2週間もすれば、歩けるようになります。」

 消毒液をたっぷり塗られ、ガーゼを当てられる。アブドゥルが包帯を巻く。手技は慣れているようで丁寧だ。

 「この国では、今だ地雷が各地に残っていて、子供も大人も片足が地雷で吹き飛ばされてしまった人も大勢います。これだけの傷でよかったですね。アラーの思し召しがありますように。」

 オマール医師が去って、アブドゥル一人が、器材の片づけのため部屋に残った。


 「私たちは敬虔なイスラム教徒です。あなたはアラーの神を信じますか?イスラムは平等です。コーランの教えは、博愛に満ちています。」

 パキスタンでチャイハナで同席となった若者に、唐突にそう問われたこともあった。イスラム教徒は必ずと言ってよい程、見知らぬ異邦人に、イスラムをどう思うか話題にするらしい。

 大学の教養課程で、イスラムについて詳しい講義を聴講する機会はない。世界史では、コーランと言えば「目には目を。歯には歯を。」という復讐を誓う教えがある、と勉強したことがあるだけだ。俺は、コーランの一節さえ暗唱することはできない。

 「私は、仏教徒。」

 「そうですか。今に、アラーの神は偉大、ということがわかりますよ。」

 アラー・アクバル!というテロ集団が自爆の際に叫ぶ言葉が、何も特別な唱えではなくイスラム教徒としてありふれた日常のことであるということがわかる。

 パキスタンの人々も穏やかで、親しみやすかった。こうして入院しているのは、ある組織に誘われたのだけれども、メンバーには荒々しさは感じられなかった。そして、アフガニスタンのこの病院のスタッフは少なくとも慎ましやかで、誠実そうだ。

 俺は、アフガニスタンに対するこれまでの固定観から脱却する必要がある、この国をもう少しよく見てみたい。


 しばらくしてアブドゥルが、銀のお盆を手にし昼食を運んでくれた。

 この地域の食事は、人の顔程もある厚く大きなナンとオイルに浸された炒め野菜や卵が定番。ヨーグルトが付いてくることもある。大きなナンが目の前に差し出された。俺は、このナンが大好きだ。小麦粉のほんのりと焼かれた香り、つまんでちぎる時の微妙な粘り、口の中いっぱいに広がるような餅のような感覚。日本で言う薄焼きともピザの生地とも違う。オイルをつけて口に頬張った。

 「どうですか。食事はお好みですか。新鮮な果物やドライフルーツも豊富ですよ。ここバダフシャーンは、麦畑やとうもろこし畑、緑溢れる耕作地が広がっています。こんなに美しい所は他にはないでしょう。私たちの故郷です。日本も美しい所ですか。」

 とアブドゥルは、食事に対しても、故郷に対しても誇らしげに言う。

 「美しい?」

 俺は、生まれ育った下町と東京近辺の風景しか知らなかった。大学に入学して、主にアジア地域を旅行しているうちに、風景というものの美しさと大陸の雄大さを知ったのだ。もちろん日本にも美しい山、村、海は無数にあるだろう。だが、生まれ育った都会は清潔ではあるけれども美しくはない。

 「とってもクリーンな所だよ。」

 「そうですか。ゆっくり食事を召し上がって下さい。」


 窓から眺められる景色は、日本の里山に広がる田舎とさほど変わりないように見える。遠くに見えるポプラ並木。柳のような木が風に揺れ木陰を作り、用水路を流れる澄んだ水のせせらぎがある。俺は車椅子を使って廊下を通りトイレへ行くことにした。

 早く歩いてみたいし、戸外へ出てみたいと思った。そして日本への連絡をどうすればよいのか。アフガニスタンに入国されているという事実にはなっていないはずだ。突然、家族に連絡し「すぐには帰れない」など言ったら、父も母も心配で夜も眠れなくなってしまう程だろう。快活な母だって、もしかしたら気が病んでしまうかもしれない。

 日本への国際電話は、この診療所からは無理だとのこと。カブールのホテルだったらインターネットでメール送信することは可能だろうか。


 ここは簡易ベッドが幾つか置かれた規模の小さな、町はずれの規模の小さな診療所のようなところだ。廊下から、ちらちらと部屋を覗くと、老人、婦人、子供が何人か入院しているようだった。この国の医療体制はどうなっているのだろう。医師は常駐しているのか。器材や、薬は充分にあるのか。他国からの支援はどうなっているのか、俺は、車椅子を操作しながら自分の今までの経過と合わせて考えてみた。


 2週間の間、俺はベッドで過ごすか車椅子で診療所内をウロウロするかどちらかだった。アブドゥルが毎日訪室してくれて、食事の提供、傷の消毒をしてくれた。おかげで、創の悪化はないようだっだ。いつ退院しなければならないかという話は、医師も一切しなかった。杖を利用し、診療所の庭から戸外を望むと、視界が広がり目の前の広大な山々に圧倒された。低く連なるヒンドゥクシュ山脈の一角。すでに頂上付近は白雪が冠されている。そして山の麓から延々と広がる平原と小麦畑。空の青。コントラストが眼を覆った。景色の境界が鮮明で、心が洗われるようだ。


 左脚はもう回復している。俺はアブドゥルに相談した。

 「カブールに行くことはできないか。」

 「ここから車でいくしかないです。私が病院の車を運転します。明日行ってみましょうか。」

 「インターネットで日本と連絡を取りたい。」

 「今ならカブールならどこでも出来ます。カフェ、ホテル、案内所で。」



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