08、友人アキヤマと、そしてシンイチ
「西域ラーメン店」とその家族の物語。一時連絡が途絶えていたシンイチであったが、友人アキヤマの下にはメールが来ていた。
アキヤマは待つしかないと思った。アキヤマにももちろん不安はある。だが、少なくともどこか組織に誘拐され、監禁などされていないことは確かなようだ。それと、健康状態はどうなのか。暑さや、食べ物の問題もある。一番心配なのは、どこで寝ているのか、生活しているのか、ということだ。カブールだって?東京のような衣食住恵まれている環境ではないだろう。便利なことなど何一つなさそうだ。それに、今まだ、反政府組織のタリバンがたびたび自爆テロを起こすような臨界体制なのではないか。
学園祭の準備ステージに関しては、いつものバンドメンバー4人は立てられず、3人で動くしかない。シンイチのパートであったサイドギターは、アキヤマが兼務し補うしかなかった。ブルースバンドに、サイドギターなしでは、音の濃密さに全く欠けてしまうことになる。それなら、楽曲を幾つか変えるしかない。
「シンイチさん。まだ、帰ってきていないようだけど。」
バンドメンバーの一人、後輩のハラジマがふと言った。
「だね。俺の所にはメールがあるから、大丈夫。」
「今、どこに行っているのですか?」
「西アジア方面。」
メールで、決して「家族にも誰にも言わないで。」と頼まれているアキヤマであったが、おもわず「西アジア方面」と場当たり的なことを言ってしまった。西アジアと言っても、その範囲は相当広い。
「本当ですか。それならイラクとかシリアとかで、最近も誘拐報道もあったじゃないですか。大丈夫なのかなあ。」
「大丈夫だよ。シンイチなら。」
アキヤマは、学友として、成績も良く仲間から慕われリーダーシップもあるシンイチを心から良き仲間として信頼していた。「無事に帰ってきて欲しい」という願いもあって「大丈夫だよ。」という言葉が出た。
シンイチのパートにひとつであるスライドギターの音色がない。ボトルネックで弾くスライドギターがないブルースバンドなんて、炭酸が抜けきったコカコーラのように質感がまるで違ってしまう。シンイチのスライドギターは、なんて表現すればいいのか、荒波を越えてやってきた熱風のように湿気を含んでヴィブラートする、それは、遥か向こうから近寄ってくるうねりを伴ったサウンドだった。その音を、俺も出せるか。ひとまず即席ではあったが、アキヤマも練習を始めた。
2020年10月
ユウゴから再びアキヤマにメールが届いた。
アキヤマは、待ってましたとばかりにメールに飛びついた。画面に食らいつくように読み始める。
✉
あれから10日ばかり。変わりないかな。こちらカブールは、日中、夜間の寒暖差がかなり激しく、今だ昼間は30度近く、陽が沈むと急激に冷え込みマイナスの気温になる。海抜1800mの高所だから。それと乾燥と砂塵が身体を痛める。咳が一向に治まらない。
ここまでの経過を正直言うと、アフガニスタンには不法入国となってしまい、ある組織から、あの時、左太腿を後ろから撃たれた。病院に搬送されすぐ処置される始末となった。こちらでは、俺はハザーラ人ということになっている。わかるかな。日本人にそっくりな顔立ちの民族で、アフガニスタン流の衣装を着て、髭を生やして、立派に俺も現地人になり切れている。ここは、民族の十字路の国だからモンゴル系、インド系、ヨーロッパ系といろいろな趣の人々が街で暮らしている。
カブールは現在、平穏だ。戦火の跡は至る所に残されている。しかし、人々の生活は何事もなかったかのように営われ、バザールでは物が溢れている。国営TVでは音楽番組も流れている。
安心してくれ。来月には、日本に帰ることができると思う。
あと、再三のお願いだ。アフガニスタンにいることは、俺の実家はもちろん誰にも言わないで下さい。俺は無事に帰国するつもりだから。では、また後日。
イヌイ シンイチ
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ひと月前 2020年9月のこと
俺は、ベッドの上で目覚めた。ここは、どこだと思った。天井には蛍光灯が光っていたが、辺りはまだ薄暗い。意識がはっきりしてくると、左脚がうづく。そうだ、俺は、崖を駆け降りたところで、銃で撃たれていたんだ。後ろから左脚を。太腿から膝下まで包帯が巻かれている。脚は動かせる。どうやら致命傷ではないようだった。どうしてこんなことになっているのか、俺は状況が全く掴めない。
パキスタン、チトラルという街で、ある集団から「アフガニスタンへ一緒に行かないか。」と誘われたのだ。武装をしていた彼らに、興味本位でついて行った。一日彼らと行動を共にした。それから...。
ベッドから起き上がろうとしたところで、ひとりの若者が入ってきた。もちろんアフガニスタン人だ。
「おはようございます。ご気分いかがですか。痛みありますか。私はアブドゥルと言います。ここの病院の看護スタッフです。」
若い青年が看護師をしている。この国では、女性が社会で仕事を持つことは極限られているから、医療従事者はほぼ男性で占められるのだろう。アブドゥルは、流暢な英語で話した。
「あなたは、昨日、バタフシャーンの丘で倒れているところを発見され、この病院に運ばれてきたのです。きっと、あなたの仲間だったのでしょう。組織は名乗らず、彼は去ってしまいましたが、北部同盟の生き残りだったのかもしれません。左太腿が被弾され、銃弾は貫通されていましたが、医師が30針も縫合しました。幸い、太い血管からの出血はなかったので縫合後は止血もしています。抗生物質の薬を飲んでください。」
水と熱い紅茶を持ってきてくれた。異国で初めて入院して薬も飲んだ。俺のこれからはどうなるのだろうか。いつの間にか、アフガニスタン流の民族服が着せられている。まあ、この方が処置をしやすいのだろう。
壮年の男性が入ってきた。豊かに口髭を蓄えている。朗らかな表情だ。医師なのだろうか。
「いかがですか。私はオマール。医師です。よかったです。脚を切らないで済みました。あと数センチ銃弾がずれていたら、左脚を切断しなければならないところでしたよ。」
瞬間、医師の話を聞いて蒼ざめた。
「どうか、ご安心を。アッラーの神がお恵みを下さっています。そして我々スタッフも善意で対応します。しばらく入院していて下さい。...ところで、あなたは...」
俺は、正規に入国してきたわけではない。パスポートはあるが、ビザがない。国境で認証されていない。
「日本の方かと思われますが、そうですか?」
この国では様々な民族が共生と争いを繰り返しており、人々の眼の色、髪の毛、言葉も多種多様なのは知っている。だからと言って、嘘をつくことはできない。
「そうです。日本人です。」
「やはり...日本は立派な国ですね。小さな国がアメリカを相手に闘っていた。戦争には負けても復興して、経済豊かで活気ある国となった。我々の国は長い紛争で、まだ再発展の途上ですが、平和で産業力のある国にしてみせますよ。日本がそのモデルのひとつです。」
オマール医師は、日本を賞賛するように話した。俺の脳裏では必ずしもそうは思わなかったが...。
「傷は毎日、私が消毒します。私が来れない時は、アブドゥルが行います。落ち着けば、杖で院内を歩いてみて下さい。」と言い残して去って行った。
*この物語は全てフィクションです。