05、シンイチの行方不明騒動
下町にある「西域ラーメン店」と、そこに暮らす家族たち。経営は傾き始めていた。長男、シンイチからパキスタン・フンザを最後に連絡がない。シンイチはどこに?
とうとう10月。シンイチが日本を経ってから2ケ月近くが経つ。8月末に「パキスタン・フンザ」にいる、というメールが入ってから、連絡がない。大学の講義も始まっているようだ。
ミキ子は、ついに地元の警察に連絡した。長男が、外国から帰って来ない、9月半ばに帰国予定だったのが、10月に入っても帰って来ない、と、経過を説明した。
「そうですか。国内のどこかに戻ってきているという可能性はありませんか。」
携帯電話に何度か連絡しているが、呼び出しもしない。友人に連絡がいっているかは未知だが、だとすれば実家に報告してくれるはず。国内に戻っている可能性はないと思うのですが、と返す。
「それなら、一度外務省に連絡してみて下さい。」と。
大変なことになった。私から、外務省に電話する?けど、他に相談する相手もいないし、方法もわからない、どうすればいいのだろう。「西域ラーメン店」の営業は続けなければならない。早朝、公営市場に行き、鶏がらや野菜、具材の仕入れをしなければならない。割りばし、調味料、食器や調理器具の補充も怠れない。店の掃除、開店までの準備、それに住まいの家事、一切を行わなければならない。
三男カズミは受験を控えている。今、余計な不安を与えては成績に影響するだろう。慕っている長兄シンイチが外国で行方不明になっていると、大げさになるようなら、勉強など手につかなくなるに違いない。
ジロウなんかは頼りにならない。幼い頃からずっと仲が悪かったジロウは、帰って来なくてもいい、と本気で思っているのか。そういう気持ちが溜まっているのは、なんとなくわかる。けど、この際、兄弟として許し合ってほしい。
相談するなら...ユキコちゃんしかいない。看護師として忙しく余分な時間もないだろう。最近、2交代制になったとかで、店に顔を出さなくなった。でも、シンイチとは幼馴染のようなものだ。きっと、協力してくれるはず。
ミキ子は、ユキコに電話してみた。
「あ、ユキコちゃん。ミキ子です。西域ラーメンの。今、大丈夫?」
「大丈夫。今日は、日中の勤務で残業もなかったから。」
「それでね。あの、ここのところシンイチから連絡がなくて。」
「メール来ていない?」
「今日も、気にかけて見たけど来てなかった。」
「最後に来てたのは、いつだっけ?」
「8月の終わり頃。」
「もう1ケ月半にもなってる。私も最近、お店行けてなかったから、ごめんなさい、気付きもしなくて。でもそれは心配。」
「思い切って警察に電話したら、そういう件は”外務省”に相談してくださいって。軽々しく言うな、って、でもこれは大ごとになったと。頼りになる人もいなくて。」
「シンイチ君のことだから、どこかで連絡取れなくなっているだけかもしれないし。けど、ミキ子さん。私がまず、手続き何が必要か調べてきてあげる。」
「そう。ありがとう。ほんとうにありがとう。」
ミキ子は、電話口で、眼に涙を溜めてしまった。こういう時に援護してくれる人がいるということは、ほんとうに心強い。
「明日、夜勤前に、お店に寄るから。きっと大丈夫だよ、シンイチ君は。」
翌日、昼にユキコが店にやってきた。昨日から調べた資料を手にして、カウンターに広げた。
「え~と、これが外務省の連絡先。海外邦人安全課、所在調査担当部門だって。けど、見て。...所在調査という制度は、原則として6ケ月以上音信が途絶えている場合に...と書いてある。6ケ月以上って。それまで、ただ待っていろ、ってことなのかしら。」
「半年も何もできないで待っていたら、大学も行かないまま卒業の時期になってしまうし、待つだけって一番辛い。」と、ミキ子。
「ひとまず、書類はこれ。所在調査申込書。記入して外務省に一緒に行ってみましょうよ。」
ミキ子は申込書の調査対象国欄に「パキスタン」と記入し、戸籍謄本を揃え、シンイチから送られてきた最後のメール文も印刷し、外務省に赴くこととなった。
ある平日、外務省内で手続きを済ませた。現地大使館とやりとりしますが、捜索自体は現地警察に依頼することになります、返答までに数か月かかるのが通常です、事務処理のような応対で外務省職員から告げられた。
ユキコが調べた統計では、海外で大使館・領事館を通しての日本人援護の事案は、年間2万件程あるという。犯罪被害として、強盗、窃盗、詐欺。その他、病気や事故、困窮など様々な理由で調査依頼があるようだ。所在調査は、6000件も処理されている、そのうち行方不明のままの方は100人程もいる。調べれば、調べるほど、ユキコの心臓の鼓動が高まってくるのを自覚した。まさか、シンイチ君が...。メールが無理なら、手紙でも欲しい。所在がはっきりわからなくても、元気でいることの証明が欲しい。
「シンイチは、人一倍好奇心の強い子だから、何でも知りたがって勉強したがる。歴史の勉強、語学の勉強...大学でも優秀。うちも裕福ではないから、何度も授業料免除になった程。きっと、どこかで冒険して、何か調べて帰ってくるに違いないよ。」
2人で店に戻り、ミキ子は、シンイチを信じるかのように、ユキコに話しかけた。
「そうよね。この写真の風景とか、眼で見てみたいと思っているだけだよね。」
ユキコは、壁に無造作に貼られたシルクロードの写真に視線を向けて言う。
「それと、カズミには何て言っておこうかと思って。シンイチがいなくなった、外務省に捜索依頼を出した、なんて言ったら、混乱してしまう。」
「カズミ君も、シンイチ君のようにH大学目指しているんだって。」
「そうなの。本当のことを言ったら、ショック受ける。それで私は、ちょっと思った。しばらく滞在して、向こうでボランティアをしているということにしておいたら、どうかなって。」
「そうしているといいよね。シンイチ君が。」
「カズミには、シンイチが帰って来ない理由を、現地で医療ボランティアを始めた、と言っておこう。友人を通して、連絡があったということにしておこう。」
とミキ子は、そういう希望を含めて、カズミに説明することにした。