04、三男カズミと同級生のユキコ
「西域ラーメン店」その家族は、亭主ハナオ、妻ミキ子、長男シンイチ、次男ジロウ、三男カズミである。そして、近所に住むシンイチの同級生のユキコは店の常連である。
三男カズミとシンイチの同級生のユキコの話。
三男カズミは、高校三年、大学受験生である。夏休みも予備校に行くことを怠らない。カズミは、長兄シンイチを慕って育った。
小学校に入学したばかりの頃、身体が小さく、か弱い印象だったカズミは、通学途中、クラスメイトにからかわれていた。
「イヌイカズミのイヌ、イヌ。イヌイカズミのイカ、イカ。」
名前をもじって一人が声を上げ始めると、周りの全員が、イヌ、イカ!と言ってはやしたてる。
確かに「イカ」のように細く青白く貧弱な少年だった。
そのうち誰かが、帽子を取り上げる。
「返せよ。俺の帽子。」
「やーい、イカ野郎。取ってみろよ。」
カズミが手を伸ばすと、サッと誰かに回されてしまう。
「やーい、こっちだ、こっちだ、イカ!」
帽子に手が届きそうで届かないものだから悔しくて仕方ない。周囲は、カズミの帽子を掴んで走り回っている。
そんな時に、上級生の長兄シンイチがスッと現れる。
「こいつ、ふざけるな。俺の弟だぞ!」
と、一喝し、すかさず習っていた空手の構えをする。
とたんに、帽子を路上に放り投げ、クラスメイトが通学路の向こうに散らばるように逃げ始める。
4歳年上だったから、力の差は歴然としている。
カズミは、シンイチに信頼と憧憬を抱くように小学校時代を過ごした。
中学、高校も長兄シンイチの後を追うように、素直に勉強し、「西域ラーメン店」の息子よろしく世界史や異国に興味を持ち始める。大学は別にこだわりはなかったが、兄と同じくH大学を第一希望とした。
「あ~終わった。終わった。こんばんわ。醤油ラーメン下さい。」
その日の夜もユキコは店にやってきた。準夜勤と言われる、夜中1時で交代の勤務を終えて、店にやってくるのだ。「西域ラーメン店」は、ほぼユキコの注文を聞いて店じまいするようなものだった。
看板では、2時まで、ということになっている。宴会の帰りに寄る客、ユキコのように仕事が夜もかなり更けてから終える客、今までは男性も女性も、夜更けに店がにぎわっていたが、「博多豚骨ラーメン」に客を取られ、すっかり閑散とした時間帯となっていた。店主のハナオは、その2時まで店に立つ。ミキ子は、翌日の買い出しや家事に備えて、0時で上がってしまう。
店主のハナオは、ユキコにはニッコリと微笑んで、スープ釜に火を入れ、湯を沸し始めた。
「あの、今日で、夜中に来れるのは最後になりそうなんです。」
と、ユキコがカウンター越しに、ハナオに話しかけた。
「今まで病院の勤務が3交代と言って、夜中1時で交代するシフトだったんですけど、それがこれから2交代になるんです。そうすると、夕方から朝まで通しで仕事なんです。」
ハナオは、ユキコの顔を見て、微笑んでいるだけである。
「ごめんなさい。昼間来るようにしますね。」
各地の病院が、3交代の勤務では看護師の要員が足りず、2交代制に移行してきているのだ。ユキコが務めていた病院も例外ではなかった。
「仕方ないよ。ユキコちゃん。身体に気をつけな。朝まで通しじゃ、きつくなるな。」
と、ハナオは珍しく口を開いた。
「お腹も減っちゃうだろうし、抜け出してラーメン食べに来たいくらい。」
と、ユキコ。
「また、一人お客減っちゃうね。...仕事帰りの夜中に食べるこのラーメンをすするのが楽しみだったのに。」
「出来たら、これからも来て。」
その後、ユキコはしばらく「西域ラーメン店」に足を運べなくなっていた。夜勤が終わると、夕方まで寝込んでしまう。若いとはいえ、生活時間が変化することは、身体の負担が大きい。部屋で寝転んでいるうちにまた、寝入ってしまうような生活になっていた。
客がめっきり減ってしまい、ハナオは、閉店時間を早めることにした。
(俺もそろそろ歳だ。最近、疲れやすい。ちょうどいいかもな。)
23時に、のれんを片付けることとしたため、客足がますます遠のいた。経営が赤字続きになったのは、いたし方ない。
9月も半ばとなり、シンイチの大学の講義も再開されるはずであった。2週間程、シンイチから連絡やメールがなかった。今までも、そういうことがあって、突然帰ってくることがあったのだけれど、ミキ子は胸がざわつくような嫌な予感を持った。
「シンイチからの連絡がないねえ。」
厨房では、無口なまま、ハナオは包丁を研いでいる。
「どうしたら、いいんだろ。もう少し待つしかないかね。」
「出ていったもんは、仕方ない。待つしかないだろう。」
と、一言二言で、ハナオは答える。
ミキ子は思う。
(あの子は、一図で、言い出したら聞かないことがあったから、きっと外国が面白くて、家のことなんて忘れているんだろう。パキスタンって、母さんにはよくわからないけど、何か危険なイメージしかないから、余計に不安。山奥でも歩いているのかな、なら山賊に襲われたりしていないかな...)
ミキ子は次男ジロウに電話をかけてみた。
「母さんだよ。シンイチから連絡がなくて、ちょっと心配になって。ジロウのところには何かなかった?」
「兄貴の行動なんて知るかよ。好き勝手にしてろよ。今、店も大変なんだろ。そんな時に、家を空けて。もう帰って来なくていいよ。」
「ジロウも冷たいね。行方不明になったら、どうするんだい?」
「兄貴のことだから、ひょこっと帰ってくるよ。こっちは、運転中。首都高は大渋滞。仕事はかどらなくて困るよ。じゃあね。」
と、ジロウは簡単に電話を切ってしまう。
ミキ子の不安は、日が経つにつれ増していった。