10、首都カブール
シンイチは撃たれた後、カブール郊外の診療所で2週間を過ごした。そしてある日、アブドゥルの運転でカブール市内に向かった。日本に連絡をする目的だった。
翌日、俺は杖を付き、車に乗り込んだ。運転はアブドゥルだ。
「すっかりアフガン人のようですね。ハザーラ人のようですよ。」
ハザーラ人?聞いたことがある。モンゴル系の民族で、13世紀にチンギスハンがバーミヤーンを侵攻した際の残党が起源とも言われている顔立ちが日本人にも似ている人々のことだ。
「そうだね。この衣装と、髭と。」
「帽子も被って下さい。」
アブドゥルからアフガン帽を渡され、ミラーで確認しながら粋に被ってみた。
「これで怪しまれずに済みます。」
カブール市内への幹線道路では、兵士が威嚇するように立っており怪しい人物ではないかチェックしていいるという。ハザーラ人は、シーア派であり少数派ではあるが、今は全土に居住している。成り済ませば何も問題はない、とアブドゥルは言う。
砂埃を上げて車は走る。雪山を横目にし、牧草が広がる平原をひたすら飛ばす。
ハンドルを握りながらアブドゥルは言った。
「カブール大学で医学を勉強したいのです。今はまだ助手です。勉強して医師となりこの国で苦しんでいる人々を助けたい。医療技術を学んで復興に役立ちたい。」
アフガニスタンなど発展途上にある国の若者は、概して志が高い。
「シンイチさんは何を目指していますか?」
またしても唐突に質問され、俺はすぐには答えることができなかった。
大学は、政治経済学部だ。国際政治を学んでいる。卒業論文は「日本と西域をつなぐ現代のシルクロード~文化と文明の交流の果て」としている。未完成でもう今年は提出は無理だ。大学の卒業もままならないだろう。
「ジャーナリスト」
漠然としていたが、そう答えるしかなかった。そう、俺はジャーナリストになりたい、どこか報道機関や新聞社に入って、国際問題を取材し記事にしていく。広く世の中に向けて発信していく、そんな仕事がしたかった。しかしイメージが壮大すぎて曖昧としている。俺はきっと、自分のやりたい仕事を目指してここにいるのだ、とも思った。
「この国はロシアとの戦争を終えて、内戦が始まりタリバンに支配されていました。次にはアメリカが介入しタリバンが去った後、復興しているかのように見えますが、干ばつ、食糧不足、貧困、難民問題、女性への差別といろいろな課題がまだまだ山積みです。民族間対立は消えず、自爆テロも続いています。しかし、故郷は美しい。故郷を守るための、この国の歴史は、戦いの歴史なんです。」
アブドゥルは運転しながら、遠目で語る。眼の奥では葛藤しているが意志の強さを感じる。真剣に若者が国の未来を語る姿の向こうに、実際に故郷が戦場になっていたという背景が伺える。
この地域、バタフシャーン地方は、ソ連との戦争の頃から、占領地攻防の重要な拠点となっていた。紛争の痕跡として、戦車や装甲車がそのまま残るだけでなく、地雷が今だ埋まっている。しかし、元々カブールから北東のこの盆地は、北にはヒンドークシュ山脈が白銀の頂を呈して光連なり、真っ赤なケシの花、リンゴやアンズの花が咲き乱れる桃源郷にふさわしい、多民族が交流しながら平穏に暮らしていた土地だったのだ。
「自分たちの国は、自分たちで守らなければなりません。他国が介入するのはおかしい。支援されるのは必要かもしれませんが、自立していくことが大切です。私も勉強して医師として自立したいです。」
アブドゥルの意志は明確だった。
岩山の峠と谷を越え、民家が無数に山の斜面にへばりつくように建っている様子が眺められた。
「カブール。あれがカブールです。」
道は舗装路となり、車が谷を滑り落ちるようにカブールの街へと近づく。兵士と思われる男がライフルを構え、車を止めるように誘導する。チラッとシンイチを見たが、何事もないかのように、行け、と合図し、事無く市街地に車は入った。
ターバンを巻いた人々が広い歩道を行き来し、商店街も開かれている。黄色いボンネットのタクシーも多い。軍が監視するかのように兵士を乗せたジープも見かけるが、街の営みが通常に行われている印象だ。砲弾の痕跡が至る所に残る廃墟らしい建築も残されてはいる。しかし、街の人々の往来から通常通り日常生活が行われていることが伺える。
「インターネットが使えるホテルがあります。私が頼んであげます。どうぞ、家族と連絡して下さい。」
アブドゥルは、近代的なホテルの前で車を止め、受付で何か交渉し、俺はそのホテルのロビーの一角を案内された。
「私も空いているブースでインターネットしますから。」
アブドゥルは空きブースでパソコンに向かう。この国の若者の間でも、各国の情報が手に取るようにわかるネットは人気があるだろう。俺はメールを日本に送る。家族との連絡は、1ケ月ぶりになる。この間、母親はかなり心配しているはずだ。もしかして捜索されていたりはしないか。すぐに帰ってきて欲しいと思い、大使館経由で俺は連行されたりはしないか。そうだ。まず、友人のアキヤマと連絡をつけよう。
俺は、家族が心配することを予測し、ひとまずアキヤマには、正直に連絡をつけておこうと思った。アキヤマには、今、アフガニスタンに入国していること、銃で撃たれ入院となったこと、俺の家族や他の誰にも連絡はしないで欲しいとメールした。俺自身も誰か日本の相手に連絡をつけることで胸のつかえが取れるように気分が和らいだ。
アキヤマにメールを送信し、紅茶を飲もうとロビーに出ると、ある青年が近づいてきた。20歳台半くらいだろうか。髭を生やし、陽に焼けている。やけに大柄で体格がいい。日本人のような趣があったが、アフガニスタン風の民族服を着こなしている。
「日本人の方ですか?珍しいと思って声をかけました。」
きれいな日本語を話す。その瞬間、声のトーン、口調からして決して地元の民族ではないことを察知した。だが、風貌はすっかりカブールの雑踏に溶け込んでいるようだった。
「そうです。」
俺は当たり前のことを答えた。
「こんなところで日本の方に会うなんて。どうぞ、一緒にお茶を飲みましょう。」
青年は、その体格に合わずニコリと笑って俺をロビー内のティーコーナーに誘った。
アブドゥルはまだ、ブース内にいる。
「ぼくは、ハヤサキと言います。AAA医療財団から派遣されて、この国に来ています。」
ハヤサキという青年は、俺に一枚の名刺のようなカードを見せてくれた。
AAA医療財団 学生対策局 ハヤサキ ミツオ
研修医学生・看護学生 募集中 あなたの夢を支援します。
英語と日本語、そしてペルシャ語でそう書いてあった。
*この物語は全てフィクションです。