ピンコロタケの群生地 その5
外は土砂降りの雨だった。
俺達は車に乗り、互いに言葉を発することもなく『タイオリニョシュカイエ』から離れた。
フロントガラスは激しい雨に打たれ、ワイパーがそれを払ったそばから景色は歪む。
俺は片手でハンドルを握り、店から持ってきた酒を胃に流し込んだ。
お嬢さんは何も言わなかった。
「大丈夫か」
「……」
なんて言ったらいいか、俺も分からなかった。
お嬢さんの心は、いったいどんな感情で満たされているのか、想像もつかない。
いや、あまりに複雑すぎて、言葉になんかできないのだろう。
「……あのさ」
「すまなかった」
ああ、流石のこいつでも気が付いていたか。
なにかと思えば、俺に申し訳なさを感じていたわけだ。
「気にすんなって」
「知らなかったのだ」
「知っていたら、あんなことは言わなかったか。俺が地球人と異地球人、両方の血を引いていると知っていたら」
「……」
分かってるさ。そんな単純な話じゃない。
お前ら地球人の受けて来た屈辱はとてつもなく、抱える恨みは深い。
あの夜、お前に言われた言葉が今でも頭から離れないよ。
『あいつらの血が嫌いだ』
まさしく地球人の総意に違いない。
でも、俺にはどう答えたらいいのか分からなくて、恐かった。
自分がどちらなのか分からないんだ。
「俺は親の顔を知らない。ただ異地球人の父親と、地球人の母親の間に生まれた子供だということだけ、俺を育てたスラムのじじいに聞かされたんだ」
「え……」
お嬢さんが目を見開き、俺を見た。
そうだ、お前の言う真の愛というものを、俺は知らない。
「最初は信じられなかった。だって、どう見たって地球人の身体なんだからな。だが10歳のとき、初めて本気の殴り合いをして気が付いた。俺はこいつらとは違うんだって。泡吹いて倒れている相手を見て、『ああ、ちゃんと混じってるんだな』ってな」
「なぜ殺し屋なんかに……」
「それが唯一の取り柄だったからだ。いや、俺は自分を『奪う側』だと思い込みたかった。あんな薄暗い穴倉に住みながら自分だけはヒトであると、そう信じたんだ。俺は異地球人の依頼も地球人の依頼も受け、両方を殺し、そのうち『誰でも殺せるマイアン』と呼ばれるようになった。だが地上に出れば他の地球人と同じく差別を受ける。俺は自分が分からなくなった」
「違うぞマイアン、お前は」
「だから俺は地上が怖かった。黙っていれば差別なんて受けなくて済む地下のほうが、俺にとっちゃ楽だったんだ。でも俺には殺しだけが取り柄だ。殺さなくては生きていけない。そんな時、もがき苦しむ俺の元へお嬢さん、お前がやってきたんだよ」
お嬢さんは口を閉ざしていた。
俺は窓に移る壊れた景色に向け、話を続ける。そうすることに意味があるのかすら分からないまま。
「これで終わりにしようと思った。お前から莫大な金を受け取り、地下でひっそりと生きようと決めたんだ。でもな、それだけじゃない。俺が依頼を受けたのは、お前に憧れたからでもあるんだ。自分というものを持ち、奪われる側でありながら地球人としてヒトであろうとするお前が、俺にはたまらなく眩しく見えたんだよ」
「違うんだマイアン。ああ、私はお前を……」
お嬢さんは声を震わせ、手で顔を塞ぎこんだ。
「俺はお前を尊敬している。気高く、揺るぎ無いお前を。だがそれは強がりであることも、俺はこの旅を通して十分に感じていた。お前は抗い続けていたんだ。だからこそなんだ。俺とは違う。彷徨い続け、どちらでもない俺には、お前こそ真に気高き地球人であるとようやく気が付けたんだ」
「……」
「だから俺はお前に協力したい。最後まで、お前が『ピンコロタケ』を見つける時まで、俺はお前に付いて行くよ」
俺は酒を飲み干し、窓から瓶を投げ捨てると、煙草に火を点けた。入り込んで来る雨粒が、俺の顔を打つ。
お嬢さんはふさぎ込んだままだ。泣いているのかもしれない。
俺は気にしちゃいない。お前がいかに俺の体に流れる血を憎んでいようと、俺はお前を尊敬している。
それほどまでに、俺はお前に惹かれてしまったんだ。
こんなの、酔ってなきゃ面と向かって言える筈もない。
さて、明日になったらどうやって今の話を無かったことにするか。
そんなことをぼんやりと考えていた。その時だ。
「車を停めろ、マイアン」
お嬢さんが呟いた。
俺は車を停める。そして尋ねた。
「……どうした」
「『ピンコロタケ』を見つけた。付いてきてくれ」
そう言ってお嬢さんはドアレバーへと手を掛けた。
「ナイフを忘れるなよ。必要だからな」
「おい、待て!」
俺は引き留めるも、お嬢さんはドアを開けて雨の中、出て行ってしまった。
急いで俺も追いかける。
お嬢さんは近くの岩の影へと歩き、そこで立ち止まった。
「馬鹿、そんな何もないところにキノコが生えるか!」
「いや。ここで良いんだ」
降りしきる雨は、あっという間に俺達をずぶ濡れにする。
早く戻らなくては、お嬢さんが風邪を引いてしまうかもしれない。
しかし彼女は俯き、その場に立ち尽くしたままだ。
俺が旅の間ずっと抱えていたはっきりとしない不安が、一気に膨れ上がっていく。
「どうした。俺は別に気になんかしてないんだ。何があってもお前を守る。何も心配はいらない。だから車へ戻ろう」
「私は許されないことをした。ここで終わりにしようと思う」
その瞬間、俺の中で何かが弾けた。
押し殺していた感情が噴き出し、胸が締め付けられる。
今までなんとしても口には出せなかった言葉。
それは抑えることも出来ずに溢れ出す。
「……実は知っていたんだ」
お嬢さんがこちらを窺うように、上目で見る。
俺は胸にしまったナイフを確認した。
こいつは使わない。俺は絶対に依頼主を死なせたりしない。
「お前はヤキリア・ヤチャナイアビヱを殺す気なんか無かった。『ピンコロタケ』も無い。最初から嘘だったんだ。お前が殺そうとしていたのは……」
「私はお前を騙し続けていたのだ!」
お嬢さんは叫んだ。声はすぐに雨音にかき消される。
だが、俺の耳にはいつまでも鳴り響いていた。
「違う。俺は今でもお前を尊敬している。ただ、嘘であって欲しかっただけなんだ。『ピンコロタケ』なんかなくて、お前に最後まで誇りを持って生きて欲しかった。それだけなんだ」
「だから私はお前を騙したと言っている! お前が尊敬する私は、偽りの誇りを掲げた紛い物の私なのだ! 私の最後を美しく飾り付けるための、上辺だけの誇りにお前は憧れただけだ!」
「違う! 少なくともお前はシジョオ家として生きたじゃないか! 俺はそんなお前の生き方が好きなんだ! だから言ってくれ! 『ピンコロタケ』なんかどこにもないと、俺に言ってくれ!」
「『ピンコロタケ』ならここにある! ここが私の探し求めた場所なのだ! もうこれ以上、お前を騙すことなんて出来ない! 耐えられないのだ! こんな私を、もう尊敬なんてしないでくれ!」
「無いんだよそんなキノコどこにもなあ! 頼むから車に戻ってくれ! 俺だってもう限界なんだ! お願いだから考え直してくれよ! 俺はお前を殺したくないんだ! お前に幸せになって欲しいんだよ!」
「幸せに……」
車のヘッドライトに照らされたお嬢さんの顔が、まるで幽霊みたいに浮かんでいる。
悲しみに暮れ、没落していった貴族の幽霊だ。
どうか笑ってくれ。俺はお前の笑顔が気に入ってんだ。
――この旅は、謂わば死地を探すための旅だ。
『ピンコロタケ』は最後の場所、自然豊かで眺めも良く、静かな場所でしか育たない。
しかしそんなキノコはこの世に存在しない。つまりはそれこそがお嬢さんの望む死地ってわけだ。
家族を殺されヤチャナイアビヱ家に拾われた彼女。好き勝手に婚約を取り決められ、表向きは妻、その実奴隷として人生を全うすることが決定された。
勿論、お嬢さんはそんなの納得できない。だが帰る場所も無い彼女は、自身がミア・シジョオであるうちに人生を終えることを選んだ。ただし自らが望む場所と方法で。
誰にも邪魔されずに死ぬため、お嬢さんは用心棒として俺を雇った。それが全ての始まりだ。
俺を金で釣り、自らの望む場所で俺の手によって葬ってもらうつもりだったのだろう。
しかし迷っちまったんだろうな。案外、旅は楽しかった。もしかしたら、もう一度やり直すことも出来るんじゃねえかと、希望を持っちまうくらいに。
だが地上ってのはやっぱり優しくなかったんだ。地球人ってだけで差別はされるし、美人ってだけでいやらしい目で見られる。
しかし希望はある。かもしれない。でも差別もされる。
分からなくなっちまったんだ、お嬢さんは。そしてついさっきの一件。
どうあっても地球人は弱い。あのピクトグラムでさえ、彼らの居場所を作ってはくれないんだ。
理想郷なんて、どこにもない。加えて今まで貴族であろうとしていたことが俺を騙すことになっていたと勘違いし、お嬢さんの心は初志を取り戻した。
誰かを欺き続けるなんて、誇り高きシジョオのやる事ではない。ここらでもう終わりにしよう。
そう思ったんだろうな。
「幸せに……だと? 私の幸せなど、とうに奪われてしまったではないかこの大馬鹿者が!」
「ん、だと……! 馬鹿はてめえだこの野郎! 人の幸せは一つじゃねえんだ! なぜそれが分からねえ!」
本当に頭の固い女だ。次第に俺もイラついてきて、つい声を荒げてしまう。
「お前に何が分かる! 私の幸せはシジョオ家にしかなかった! 地下暮らしのゴロツキ上りが貴族の私に楯突くとは無礼にもほどがあるぞ!」
「なんとでも言いやがれ! 俺は地球人であり異地球人だ、てめえよりも何倍もいろんなもんを見て来てんだよ!」
「肝心なことも知らぬくせに!」
「真の愛ってやつか!? 下らねえ! 愛がなんだくそったれ!」
「そら見ろ! お前は私の苦しみを分かった気でいるだけなのだ! 何も分かってはいないではないか! 私のことを! 今だってそうだ、私の言葉を額面通りに受け取り、的外れな慰めばかり言うではないか!」
「めんどくせえんだよクソ貴族! 俺はそういう頭良さそうな物言いが大っ嫌いだ! イラつくんだよ! ハッキリ言わねえとぶっ殺すぞ!」
「やってみろ! さっきから言っているであろうが! ここに『ピンコロタケ』があると! もはや私にとって、お前のいる場所が『ピンコロタケ』の群生地なのだ!」
「な! ……なにぃ~?」
俺のいるところが『ピンコロタケ』の群生地?
死のキノコ『ピンコロタケ』。それが俺、だと?
「まさか、てめぇ……」
お嬢さんは俺の視線を避けるように、また顔を伏せた。
俺は、引っ越しの最中にかつて失くしたパズルピースを見つけてしまった時と同じくらい意表を突かれた。いまいち伝わり辛かったか? 説明させてくれ。
――こんな話を聞いたことがある。
それはもう気の遠くなるような大昔。異地球人が攻めて来るよりももっと前の話だ。
『ジャピアン』という国に一人の物書きがいたそうな。
ある日その物書きは、弟子から質問を受ける。
「この異国の言葉ですが、訳し方が分からないのです」
それは愛の言葉であったという。つまりは『我、君を、愛す』だ。
「月が綺麗だとでも書いて置け」
なんとその一言が実に素晴らしいともてはやされ、長い年月に渡って言い伝えられたどころか、実践に移す愚か者までいたというのだ。
さらには、目の前で月の美しさを褒めだした男に対する決まり文句まで編み出されたという。
「死んでもいいわ」
ぶっ飛んでるとは思わないか?
少なくとも俺には理解なんて出来なかった。
なぜ愛し合っているのに死ぬ必要がある? 生きればいいだろ、二人で幸せに。
そう思っていた。今の今まで。
ようやく理解が追いついたんだ。
『あなたはぴんころたけのぐんせいち』
――死ぬほどあなたを愛してる。
こんな情熱的な言葉があったなんてな。
お前の言うとおりだ。俺はお前の事なんか何も分かっちゃいなかったよ。
「ミア」
でも今は違う。お前の気持ちを受け取ったから。
あの世とこの世を彷徨う小さな亡霊は、今も雨に濡れている。
俺はそいつの元へ歩み寄り、寒さに震える肩を抱きしめた。
「私はもう分からない……。死ぬしかないのだ。お前に殺されるなら私は……」
「分からないってのは、お前の中に少しでも生きたいという気持ちがあるからだ。生きればいいだろ。難しい事なんか考える必要ない」
「生きていても良い事なんか何もない。どこへ行っても、私の幸せなんてない」
「ある。探せばいい。今まで通り、旅を続けて俺達の理想郷を見つけよう」
「……うぅ」
声を出して泣き出すお嬢さんを、俺はさらに強く抱きしめた。
潰さねえように注意しなくちゃな。筋密度が違うんだ。
難しい事ばかり考えていたのは俺のほうだったのかもしれない。誇りだなんだと、ごちゃごちゃと。
ならばハッキリと答えねばなるまい。
俺は絶え間なく雨を降らす夜空を見上げた。
「月が綺麗だ」
「……?」
お嬢さんは良く分からないまま、俺を抱きしめ返した。
だが俺に伝わるこの力は、間違いなくこいつの生きる意志だ。これだけは額面通りに受け取っても問題ない。断言しても良い。
だって、それ以外のどんな意味があって、ヒトはこんなにも強く誰かを抱きしめるというのだ。
こうして依頼は完了した。
ヤキリア・ヤチャナイアビヱの妻となる女は、一人の殺し屋によって奪われ、不当な婚約は不当に破られたのだ。
結果だけを見るに、俺はこいつの家出に加担しただけなのかもしれない。
だが俺達は、それは大きなものを得たに違いない。
いや、綺麗にまとめるにはまだ早いな。
これからなんだ。
俺達はこれから、いくつもの困難にぶち当たるだろう。
挫けてしまいそうになるかもしれない。
でもお嬢さんは言ったんだ。俺こそが『ピンコロタケ』であると。
死んだも同然、一蓮托生ってやつだ。
気楽なもんだよ。
◇
朝陽が眩しい。
優しく、強い光が車内に差し込み、俺は目を細めた。
「ん……」
お嬢さんが目を覚ました。
濡れた服を脱ぎ、トランクケースに入れてあったドレスを着ている。
まるで世界に一つだけしか存在しない宝石みたいに綺麗だ。
「寝てろよ。街まではしばらくかかりそうだ」
「思い出した」
お嬢さんはオレンジ色の光を真っ直ぐに見つめ、そう言った。
「なにをだ」
俺は欠伸をして、真っ直ぐに続く道の先を見据える。
「『ピンコロタケ』の生えている場所だ」
「は?」
「山奥の他に、もう一つあった。あれは海の近くにもあるのだ」
「へえ」
どうせいつもの下らない会話だ。
俺は適当に相槌を打った。
「毎日天気が良く、風が心地よい青く澄んだ海の近くだ。そこでは誰もが穏やかに、幸せに暮らしている」
「……食いもんも美味くてな」
「そうだ。ステーキ食べ放題の店もあって」
「腕の良いパン職人も住んでる」
「当然、菓子職人もいるな」
「あとは……なんだ」
「食べ物屋ばかりではないか」
お嬢さんは一面の花畑のように美しく笑った。
俺は言う。
「教会が必要だ。愛し合う二人が式を挙げられるように。それが夜なら尚いい。空には綺麗な月が浮かんでいるんだ」
「そして足元はたくさんの『ピンコロタケ』で埋め尽くされているのだな」
「台無しだ」
「ふふっ」
お嬢さんがまた笑った。
最高だ。
こいつは何だって殺せる笑顔だと、そう思ったね。