ピンコロタケの群生地 その4
俺自身も信じられないのだが、『ピンコロタケ』を探し求めて実にひと月が経過した。
静かで眺めも良く、自然豊かな山奥なんてたくさんあったが、それでもお嬢さんは「ここではない」と首を縦に振ることをしなかった。
そこまで言い切るくらいだから違うのだろうと、俺も渋々飲み込んだ。
また思ったことは、案外地上でも上手くやっていけるもんだ、ということ。
勿論それはお嬢さん、もとい莫大な金があるからに他ならないが、それでもここまで来られたのは予想外だった。
そうは言っても、旅には何かしらの問題が付き纏うもんだ。
俺達が現在頭を悩ませているのはとてつもない空腹。
つまり食料が尽きた。
お嬢さんはともかく、飢えに関しては耐性のある俺でさえ限界に近い。
この旅はむしろ俺にとっちゃ金を使い放題の贅沢三昧だから、胃袋が堕落してしまったのかもしれない。
一度味わった幸せはなかなか忘れられないもんだ。
有難いことに車の燃料はそれなりに残っている。俺達はとにかく店を探して、どこまでも続くかのような一本道を進んだ。
「何でもいいから食いもんが欲しい。パンでも良い。酒も飲みたくなってきた」
「私はステーキだ。安い肉でも良い。デザートが付いていたら尚良い」
そんな事を言い合いながらひたすら走る。
辺りは草原が広がり、空はトマトソースみたいに赤い。
あれをパスタに絡めて、思いっきり音を立てながら啜りたいもんだ。
また、陽が沈んでからも世界はイカスミみたいで、それはそれで美味しそうだった。
「食いもんのことを考えるのは辞めようぜ」
「なんだいきなり」
「いや、ちょっと朦朧としていた」
これはいよいよ不味いな。
俺は煙草に火を点ける。こいつだけはまだまだ沢山あるのだ。
いくら吸っても腹なんて膨れやしないが。
お嬢さんは煙に包まれながら、それをとやかく言う気力もないようだ。
「なあ、もしも食うに困らなくて、異地球人が存在しない土地へ着いたなら、それは俺達の理想郷だと思わねえか」
気を紛らわせるように、俺はそんな『もしも』の話を持ちかけた。
夢の内容を報告するように、中身なんてこれっぽっちも無い、下らない話さ。
「そうだろうな。だがそこには父様も母様も、兄様もいない。シジョオ家はそこには私しかいないのだ」
「やり直せばいいだろ。そこには異地球人がいないんだ。誰にも邪魔されない。また一から始めたらいい」
「それが出来れば、私はどんなに幸せだろうか……」
分かっている。
これはもしもの話なんだ。もっとも可能性の低い未来を語っている。
この星は、かつて地球人がそうであったように異地球人に支配されている。
理想郷なんてどこにもないのさ。
「でも、仮にそんな場所があるなら俺達は『ピンコロタケ』なんて探さなくても良いとは思わねえか。ヤチャナイアビヱなんか放っといて、何も考えずにそこで暮らせばいいんだ」
「まだ言うか。無いのだ、そんな場所は。そして『ピンコロタケ』は存在する。お前には何があっても最後まで付いてきてもらうからな」
別に弱音を吐いたつもりはねえよ。
お前に元気が無かったから言ったんじゃねえか。
俺だって頑張ってんだ。最初にも言ったが、この旅をなんとか楽しく終わらせたいのさ。
「そうと思えばほら、見てみろよ」
俺は俯くお嬢さんに前を見るよう、顎で指し示した。
灯りだ。
それも色とりどりの電飾から察するに、あれはレストランか何かだろう。都合が良過ぎるぜ。
だが前向きに生きてりゃあ、こうしてたまには良いことも起きるもんだ。
俺達は言うまでもなくその光へと向かって行った。
ラッキーは重なり、なんとその店には例のピクトグラムが表示されていたのだ。
つまりは『地球人入店可』。もしかしたら地球人が経営する店かもしれない。
車を停め、店を外から眺める。
『タイオリニョシュカイエ』。飲み屋だ。
レストランではないが、俺としては願ったり叶ったりである。
当然、メニューにはステーキもデザートもある筈だ。
「やったなあ、マイアン!」
お嬢さんがさっきまでの辛気臭さなど嘘のように笑顔を咲かせた。
「一週間分は食い溜めようぜ!」
「馬鹿だな、いくら食べても胃袋の中身は5時間も持たないんだぞ」
あれこれ言いながら、俺達は『タイオリニョシュカイエ』の中へ突入した。
――店の入口を抜けるとバカ騒ぎであった。
一言で表すならそんな感じだ。
長いバーカウンターに、たくさんのテーブル席。
店内は多くの人で賑わっていた。
ただしそのほとんどが異地球人の客だ。そいつらは好き勝手に飲んで、騒ぎ、間違って入店してしまった地球人を可愛がったりしている。
「この酒よお、思ったより美味くねえな。だから半額にしてくれよ」
「いえ、その……」
やはり店員は地球人で、早くもカウンターでは面白いやり取りが繰り広げられている。
よくある光景だ。
己の空腹を満たす事しか頭にない俺達は、脇目も振らずに店の隅へ向かい、空いているテーブル席へと腰を下ろす。
「ご注文お決まりになりましたらお呼びください」
すぐさま店員が飛んできて水を持ってきた。
間違いなく今までで一番の接客だ。
「パン、全部」
「ステーキを頼む」
「パスタ、全部」
「それとプディング」
「あ、俺もステーキ。プディングも」
とりあえずはメニューも見ずにそれだけ頼んだ。
「……お飲み物はいかがいたしましょう」
そうだ、酒だ。
俺はメニュー票を取り、ドリンクのページを開く。
素晴らしい。
酒の数も豊富だ。地球に昔からあるウィスキーも置いてある。
「ジローズ・モルトをボトルで。グラスを二つ頼む」
「かしこまりました」
店員はそう言って、喧騒の中へ消えて行った。
これだけ混んでたらしばらく待つことになるだろうが、飯が食えることは決まったんだ。
いくらでも待とうじゃないか。
「おい、私は飲まないからな。シジョオ家は20歳まで飲酒を禁じられているんだ」
「良いじゃねえか、少しくらい。間違って口に入ったってことにすりゃ問題ない」
お嬢さんをあやしつつ、俺は店内を見渡した。
数人の異地球人の客と目が合う。
思った以上に、俺達は注目されていた。
知っているさ、こいつらはどうにか俺達につっかかるための理由を探している。
お嬢さんを狙っているのかもしれないし、ちょっと汚れた俺が目当てかもしれない。
しかしこんなのも慣れたもんだ。
金で追い払うか、凶器をちらつかせればなんとでもなる。
今日のメニューはナイフ。少しばかり心許ないが、一番使い慣れてる。
銃は置いてきた。弾が無いと知れたら、形勢はたちまち覆るからな。
いや、それでも持ってくるだけ損は無かっただろうか。
「ちとうるさいが、存分に楽しもうぜ」
俺は微かな不安を消し去るように、お嬢さんに言った。
料理がテーブルに並ぶと、心配ごとなんかすぐに吹っ飛んでいった。
食欲ってのは大したもんだ。
特にそれが極限にまで高まっているほど、あらゆる思考を鈍らせちまう。
そして酒。
こいつもかなりのもの。
グラスに注がれた瞬間の心地よい水音、形を変える宝石みたいな輝き、立ち昇らせるいやらしい香り。
人間を堕落させるためだけに作られたような魅惑の飲み物。
今日はそれに抗うつもりは無い。
どうぞ中へお入りくださいってなもんよ。
俺はパンもパスタもステーキも全部口の中へ入れ、酒で胃の中へ一気に流し込んだ。
おかげでそれらが美味いのかどうか良く分からない。
だが確実に満たされていく。
味わうなんてのは後からでいい、とにかく俺は空っぽなんだ。
それはお嬢さんも同じみたいで、彼女はとても上品とは言えない勢いで手当たり次第に食い散らかしている。
俺はそれがなんだかとても喜ばしく思えた。
うまく言葉には出来ないが。それで良いんだと言ってやりたい。
「美味いか?」
「今は話しかけるな。忙しい」
一心不乱に食事をするお嬢さんを肴に、俺はグラスへ口をつけた。
あーあー、胸元にソースが垂れちまってるじゃねえか。そりゃ洗っても取れないだろうな。
がっつき過ぎだ。
まるで普通の女の子みたいだよ。
「すまん、ちょっと便所」
ボトルも三分の二を飲み減らし、尿意を催した俺はそう言って席を立った。
「何かあれば大声で俺を呼べ」
お嬢さんに忠告する。
今思えばこんなの、ただの前振りでしかなかったんだよな。
ごみごみした異地球人の群れを縫い、横から酒をぶっかけられながらもトイレへ到着。
「猿の便所はここじゃないぜ」
用を足していた男にそう言われようと気にしない。
今日は気分が良い。
こいつを一刺しできれば言うことなしだが。
運が良かったな、おっさん。シジョオ家の誇りに感謝しな。
そう考えながら、便器に向かって心地よい脱力感に浸っていた時だ。
「無礼者!」
声が聞こえた。
俺はすぐに滴を振るい落とし、便所を飛び出す。
人ごみの合間から見えたのは、二人の異地球人に絡まれているお嬢さんの姿だ。
一人は俺の席に座り、もう一人はお嬢さんの細い腕を掴んでニタニタと笑っている。
俺は走り出し、その無礼者たちを追い払いに向かう。
「やめろ! 離すのだ! 私はシジョオ家の人間、貴族であるぞ!」
「かっわいいー。知らねえけど、嘘だろ? こんな店に来る貴族なんている訳ねえからな」
「嘘ではない! それより手を離せ、私をどうするつもりだ!」
「どうするって、おいおい。●●●を●●●するんじゃねえか。だが見たところ、あんたは●●●だから、まずは●●●してから●●●して、それから●●●だな。思った以上に●●●そうだから、●●●するのも悪くねえ」
「なっ……!」
一週間前に作ったカレー鍋のフタを開けたような表情をするお嬢さん。
とんでもねえもん聞いちまったな。
言葉を失うお嬢さんへ、男の手が、まるでブラウスに付いたソースの染みを拭うように――。
「手を離し、ゆっくりと立て。抵抗すればお前は死ぬ。ちょうどトーストにバターを塗る要領でこいつを横に滑らせればそれは完了する。そして俺はパンを食うときに罪悪感なんて感じたことは無い。分かるか。訳もないんだ、お前を殺すのなんて。少しは落ち着いたなら、言うことを聞きな」
俺は男にすり寄り、その首元にナイフを押し当てた。
男はお嬢さんから手を離し、慎重に立ち上がった。
その首筋を、俺はナイフで追う。
やがてそいつを引きはがすと、二人は何も言わずに立ち去っていった。
放心状態のお嬢さんへ、俺は言う。
「出るか。この店はだめだ」
「あ……」
実にスローな動きで、お嬢さんはこちらに顔を向ける。
予期せず大人の階段を登っちまったショックは思ったよりでかいようだった。
というか単純に恐かったのだろう。
だがすぐにその表情は驚きへと変わった。
俺は何があったのかと、ついお嬢さんに見入ってしまう。
「マイアン! 後ろ……」
その言葉と同時、俺の頭に衝撃が走った。
そして降って来るガラス片。
ぶん殴られた。酒瓶で。すこし意識は霞むが瞬時に理解する。
胸倉を掴まれ、目の前にあったのはさっきの無礼者の顔だった。
「お前を殺すのなんて訳ないぜ」
酒臭い息を吐きつつ、そいつは俺に言った。
「たまんねえな、食ったもん全部戻しちまいそうだ」
俺は殴り飛ばされ、隣のテーブルと、そのまた隣のテーブルを押し倒し、たくさんの料理を浴びて色とりどりになった。
参った、歯がぐらついている。
立ち上がり、見るとそいつはフォークを握りしめ、血走った眼を見開いて俺を睨みつけていた。
俺はナイフを――、くそ、さっき意識を飛ばした一瞬で落としたようだ。
しかしこいつ、フォークで俺のどこをぶっ刺すつもりか知らんが……。
そうか、本気なんだな。
後ろにはもう一人、奴のツレが控えている。
偉いじゃないか。ここは狭いから、ちゃんと並んでかかってこい。
それからお嬢さんを見る。なんて顔だ。
まるで俺は既に殺されちまったみたいじゃないか。
大丈夫だ、心配すんな。
だが限界だ、もう耐えられねえ。
お嬢さん、お前もだろ?
今までだってそうだった筈だ。憎くて、悔しくて、どうにかしてやりたかった筈だ。
戦わないことだけが気高さじゃない。時として力を示す必要だってあるんだ。
そうだ、ここが力の使いどころってやつさ。
「お嬢さん、俺に任せな。お前は何も気負うことなんてないんだ。これから俺は、俺の意思で、俺の力でこいつらに抗う。お嬢さんは偶々そこに居合わせただけなんだ」
「よせマイアン、殺される……」
お嬢さんの涙を見て、脅しでも銃を持ってくるべきだったかと少し心が揺らいだ。
でも無理だったんだ。お前が汚されてしまうことが、俺にはどうしても我慢ならなかった。
気が付いたらこいつにナイフを向けていた。気が短いんだ。反省するよ。
しかし何もかもが遅い。
相手は理性を失い、もはや猛り狂った怒りの炎は俺の命でしか静めることは出来ないだろう。
そら、殺意を剥き出しにしたこいつが一直線に向かって来た。
いよいよだぜ。
フォークが、俺の顔面目掛けて――。
俺は体を逸らし、男が勢いよく突き出してきたフォークを避けた。
凄いな、何の躊躇もなく目を狙って来やがった。
相手はもう一度フォークで刺そうと、腕を引く。俺はそれを追うように固く握った拳を放った。
拳は男の喉笛をぶち抜く。「ゴボ」という無様な音を鳴らしながら下りて来た顔面をすかさず膝で迎えると、様々な骨の砕ける小気味よい感触が伝わる。
顔中の穴から血を吹き出しながら男は仰向けに倒れ、乗ってくれと言わんばかりのそこへ俺は遠慮なく跨った。後はやりたい放題さ。殴って、殴って、殴りまくった。
「も……やめ……」
そう零した口めがけて拳を振り下ろそうとした時だった。
男のツレが俺の頭を蹴り飛ばし、俺はそのまま壁へ叩きつけられる。いけねえ、こいつを忘れていた。
口の中で鉄の匂いを味わいながら顔を上げると、力のこもった右ストレートがもうそこまで来ていた。
俺は。
――異地球人は見た目以上に力が強い。筋密度が違うんだ。
ただでさえデカいんだから、そうとなれば地球人が力比べで勝つことなんてまずありえない。
血だ。
そうなんだ。同じ血を引いていない限りは、とても――。
そいつはとんでもなく驚いていたよ。
当然さ。なんせちっぽけな地球人が拳を受け止め、さらには押し返して来るんだからな。
俺はじりじりとそいつを後退させ、しばらくそうしてから手を離した。
勢い余って突き出された腕を担ぎ、背負った身体を腰でさらに勢いをつけてから壁へ投げつける。
鈍い音を立ててかなりきつい角度で顔を打ったそいつは,ぐったりと床に横たわる。戦意喪失だ。
だが本番はこれからだ。
俺はそいつの身体をひっくり返し、またもやマウントの体勢に入る。
恐怖に揺れる瞳が、こちらに向けられた。御明察、これからお前をそれはもう滅茶苦茶にやる。
許しを乞う手を振り払い、俺はそいつの顔面を殴った。
怯え切っていた目が、恨めしく据えられた。まだ元気じゃないか。
そして何も分かっちゃいない。
これは俺の怒りであり、お嬢さんの怒りだ。
地球人たちの怒り。それを一身に受け止めるお嬢さんの、あの子一人では到底抱えきれない大きな、それは大きな長い歴史の中で積み重ねられた、壮大な怒り。
お嬢さんを尊敬する俺が、今はこちら側にいるこの俺が、それを執行する。
お前は運悪くこの場に居合わせた異地球人。それだけのことだ。
叩き、潰し、打ち、砕き、破壊する。
平らになったそいつの顔を見ても、俺はまだやめなかった。
「猿……が……」
不意に発せられたその声に、はじめて俺は手を止めた。
そして自らの拳を見つめる。皮膚が裂け、血が流れている。赤い。
ただ赤くて、俺にはこれがどちらなのか分からない。
果たして、この血は……。俺は……。
「俺は猿なのか……?」
自問した瞬間、脳みそが突発的に沸き立つ。
正解の見つからない俺はそいつの胸倉を掴み、尋ねた。
「俺は猿なのか!? おい、どっちなんだ!? これはどっちの血なんだ!」
懸命にそいつを揺さぶり答えを求めるが、相手はほとんど意識を失っていた。
「答えろォ! 俺は地球人なのか!」
不意に、肩へ暖かな感触が伝わる。
振り返ると、お嬢さんが俺を見つめていた。何とも悲しそうに、痛々しく、俺を見ていたんだ。
気が付けば、静まり返った店内で客たちも俺を取り囲むようにして傍観していた。
地球人も、異地球人も、みんな同じように俺へ視線を集めていた。
「店を出よう、マイアン」
お嬢さんに言われ、俺は立ち上がり、ナイフを見つけてそれをポケットにしまった。
そしてテーブルに金を置いて、その場を後にする。
誰もが俺を避け、道を開けた。