どうかわたくしのことは気にせずに。
澄みきった晴れやかな青い空を背景に花びらが舞い散る。
「ファラミア様アイリーン様ご結婚おめでとうございます!」
「おめでとうございます!」
口々に祝辞を述べる笑顔の人々のなか新郎新婦は穏やかな笑みを振り撒きながら教会から馬車までの短い道のりを急ぐ。
馬車のなかでは終始無言。新郎の家である公爵邸に着くとすらりとした長身の若い執事を筆頭に大勢の使用人が迎え出た。
前もって整えた手筈通り速やかに花嫁は奥方の部屋へ案内される。
「着いて早々申し訳ないのだけど一度ゆっくり休みたいの。いつ起きるかわからないから夕食は用意しなくて結構よ」
「かしこまりました。奥様」
執事は恭しく礼をとってメイド長と共に部屋を辞した。花嫁、アイリーンの実家から付き添ってきた侍女のジョーとこの公爵家の奥方付きとなった二人の侍女がてきぱきと湯浴み、肌のお手入れ、マッサージと寝る支度を整えてくれる。
結婚式は思った以上にくたびれた。淡いピンクのネグリジェを着せられて即行布団に潜りこみ、アイリーンは意識を手放した。
アイリーンは伯爵家の三女として生まれた。伯爵家は彼女が6才の時に領地の不作に見舞われ、またその補填にと投資した貿易が嵐による船の沈没で大きな負債を抱え爵位返上も致し方ない、というすんでのところを公爵家の援助で持ち直した。
公爵が援助の代わりに提示した条件が公爵家の嗣子ファラミアとアイリーンとの婚約だった。
公爵家は正妻と唯一の嫡男の二人を流行り病で亡くし庶子であったファラミアを跡継ぎとして迎えた。ファラミアの母は平民の使用人であった。
アイリーンの家は下位貴族ではあるものの入婿の父は公爵家の出自でその祖父は王族、母の母方も辿ると王族に連なる。
その由緒正しき高貴なる血筋が援助の対価に求められたのだった。半分平民の跡継ぎの体裁のために。
ファラミアは7才、アイリーンが6才の時に婚約。ファラミアが成人の18才を迎えてすぐに婚姻する約束だ。
アイリーンは初顔合わせでファラミアに一目惚れした。
取引条件としての政略結婚ではあるが婚約当時まだ子供である二人にそのことは知らされていなかった。
ファラミアは茶色の髪と目の一見地味な少年ではあるが良く見ると琥珀のようにキラキラとした瞳も、柔らかでカールのかかったふわふわした髪質も、色白でふくふくしいほっぺにまろやかな笑顔も、まるで天使画から抜け出してきたようにアイリーンには思えた。
アイリーンはファラミアにベッタリでしょっちゅう公爵邸に遊びに行った。公爵家に迎えられたばかりの跡継ぎは同年代の遊び相手がおらず伯爵令嬢を喜んで迎えてくれ、ファラミアから伯爵家に遊びに来ることもよくあった。
ファラミアは見た目の通りにふわふわとした癒し系で優しくその蕩けそうな笑顔にアイリーンはふにゃふにゃになった。
子供時代はいつも一緒におり仲良くしていたものの年頃となるとファラミアもそれなりに友達ができ男同士でつるみだしアイリーンと会うことも少なくなった。アイリーンも会いに行くときは先触れを出し、本当は毎日でも会いたかったがファラミアに合わせて控えるといった配慮を学んだ。
成長すると長身で手足の長いすらりとして適度に筋肉質なその身体と整った顔立ちの公爵令息は夜会などでは随分と女性にモテておりアイリーンは何度もやるせない嫉妬にどす黒いオーラを放ちつつ狂いそうになった。
華やかさといったものとは無縁の容姿には変わりはないが、ご令嬢方の話では所謂薄顔とか塩顔好きとかいうある一定の需要のなかでは最高峰、ということだそうだ。
ファラミアを見て「あの涼しげな切れ長の眼、尊い……!」などと悶えている女性を幾人も恨めしく睨んできたがアイリーン自身もファラミアのふんわり柔らかい雰囲気に反して涼しい目元でこちらをちらりと見下される度に「尊い…!」と心の中で叫んでいた。
愛しのファラミア様に近寄らないで、とは思うものの夜会にエスコートしてはくれるが一緒にいてくれることはなくいつしかふたりには会話もなくなっていて……
とてもそんな我が儘を婚約者殿には言えなかった。
社交は貴族の仕事の一環だ。婚約者のいるファラミアに堂々と近寄ってくる女性が高位の貴族だったり王族だったりと面倒を起こしたくない令嬢ばかりだったせいもあるが。
少しでも気にかけてもらいたくて見た目も中身も磨こうと美容や淑女教育、政治や領地運営の勉強など頑張れることは頑張った。
でもどんなに着飾って色んな人に美しいと褒めそやされてもファラミアは顔をしかめてより離れて行くだけ。
挨拶と必要最低限の用事以外に言葉を交わすことさえなくなってしまった。
そんなアイリーンをダンスに誘ってくれる男性陣も高位貴族が多かったが金髪碧眼の華やかな美貌の王太子と踊っていても全く好みではないし他の令嬢と一緒にいるファラミアが気になって気になってときめくどころではない。
ファラミアは王女と一緒にいることが多かった。王太子の妹で同じ金髪碧眼の華やかな美少女だ。王女は蕩けそうな潤んだ瞳でファラミアを見つめていた。
「もしもファラミア様に想う方ができたならわたくしのことは気にせず婚約破棄なさってね?」
一度ファラミアにそう伝えてみたもののファラミアは「は?なに?」と無愛想にそっぽ向いただけだった。
嫉妬に狂いながらも愛しのファラミアの恋路の邪魔になってるかもと思うと心苦しく、また愛しい人には幸せになってもらいたいという気持ちも僅かながらアイリーンにはあった。王女がその気であれば公爵家に降嫁するのはさほどおかしなことではないはずだと。
取引条件のある婚約だと知らされたのはその直後で、当人同士の一存ではどうもできないのに恥ずかしいことを言ってしまったと後悔した。
公爵家の当主の持病が悪化して亡くなったのは結婚式の日取りを決めてすぐのことだった。ファラミアの父はこの婚姻が恙無く行われるよう国王からの証明書を既に手配し、彼の遺言に従って結婚式は決めた通りに行われることになった。
ファラミアに捨てられるかも、と覚悟していたアイリーンはそうならないことにほっとした。
血筋の体裁を気にするのはファラミアの父だけなのだ。
ファラミアにしてみれば援助した分を慰謝料として婚約破棄することもできる。年齢的には離れても高貴な血筋の魅力的な令嬢は他にもいることはいる。でも狡いかもしれないけど今更わたくしから申し上げることは出来ないわ…。だって以前にも一度申し上げたし、何よりもファラミア様のことが大好きなんですもの。もうすぐ大好きな人の花嫁になれる。
そしてふたりは事務的な会話しかしないまま結婚式を迎えた。
アイリーンは目を覚ました。
見慣れない天井だ。
そうだわ、ここはファラミア様のお屋敷ね。結婚式のあとすぐに眠ってしまったのだわ。だって楽しみと緊張と不安と…昨夜は眠れなかったんですもの。
「本当に嫁いで来たのだわ……。愛しのファラミア様に」
部屋は暗い。月明かりで部屋の様子はほんのりわかる。今は何時だろうかと起き上がろうとすると横に人の気配を感じた。
「え?」
「あ…」
枕に肘をついてこちらを見ているファラミアと目が合う。暗がりだが愛しい婚約者殿、いや夫となった人の顔は真っ暗でもわかる自信がある。
寝惚けて暫しほーっと大好きな顔を見つめているとファラミアが起き上がってベッドサイドの水差しからグラスに水を注いで手渡してくれた。
「ずっと寝てたから喉が乾いてるでしょう?」
「あ…ありがとうございます。ファラミア様」
水を飲むと頭がはっきりしてきたのかファラミアが横に、同じベッドにいるという事実に心臓が噴火する。
初夜!初夜でしたわ!愛しのファラミア様との初夜とか、ふぁっ!…ちょっと昼寝のつもりでしたのに今何時?ちょっと待って、わたくしさっき思いっきり独り言を…なんてったかしら?ひぇぇ…!
「お腹も空いたでしょ?」
「あ、いえ、あの…大丈夫です」
と言ったとたんにお腹がぐぅと鳴った。は、はずかしー!顔は多分ずっと真っ赤だろうけど暗くて見えないわよね?これ以上赤くなりようがないくらい顔が熱いわ!てゆーかファラミア様が普通に話しかけてくださってる!?てゆーか優しい!!どーゆーこと???
「夜食を持って来ようか?ちょっと待ってて」
「あ、ファラミア様!わたくしが自分で参ります…」
アイリーンはあわててベッドから出て、「きゃあ!」とびっくりして布団の中に戻った。
きゃーー!このネグリジェすけすけですわ!?何もかも丸見えじゃないの!やたらと面積の少ないパンティもすけすけでしたわ!ファラミア様の前でありえないのですけどぉぉぉ!
布団を頭から被ってるとファラミアがベッドから出てスリッパを履いている様子がわかる。あー、呆れられたかしら!?
アイリーンがそっと布団から心配そうに顔を出すと彼はガウンを羽織っていた。
「そこで待っててね?アイリーン」
と微笑んで扉に向かった。とても照れくさそうな笑顔で。
待ってる間アイリーンは布団の中でじたばたと悶えまくった。
なんなんですの?この突然のデレのターン!ファラミア様はまさかツンデレでしたの??いえ、そんなはずは……
ファラミア様の笑顔とか!久々に見たんですけど!いえ、友達に向けて、てゆーのはいつもガン見してますわよ?わたくし向けとか……!しかも、あんな恥ずかしそうに、とか!尊い……!会話らしきことをしたのも久々ですわ!アイリーンて呼んでくださった!待っててね、て。ね、て。優しい言い方、子供の頃はいつもそんな感じでしたわね。てゆーかすけすけネグリジェ何?なんなの?あー着せられたときもう半分寝てましたわ!気づきませんでしたわすけすけなの!ファラミア様に見られたかしら?いえ、暗いし大丈夫、よね?あ、でもどーせこれから見られるの、だ、し?……!!!!
アイリーンは更なる事実に気付いて更にじたばたした。
実は初夜とはいえファラミアとは別々のベッドで寝るのだと思い込んでいたのだ。なんの疑問もなく。
倦怠期の夫婦以上に会話のない、ましてや触れあいなどは一切ない婚約者同士。年頃を過ぎてからはスキンシップどころかエスコート以外で手を繋いだこともない。
だっていきなりあんなこととかそんなことするとか…思わないでしょう!いえ、してくださると嬉しいのですけれど、きっと心臓が破裂してしまいますわ……!あれ、でもふつう政略結婚なんてそーゆーものですわね……。
足音が戻ってくる。ここまででよい、と使用人を下がらせているようだ。
「アイリーン、お待たせ」
ファラミアがワゴンをベッドまで押してくる。温かい人参のポタージュにサラダとふわふわの白いパン、七面鳥のローストと軽いメニューだ。アイリーンのガウンを取って袖を通させてからワゴンの上に小さなランプを載せた。
ファラミアのそつのない気のきいた行動にいちいち悶え死にそうになるのを必死に抑えてありがとうございますとなんとか声を出す。ファラミアの横顔がランプに照らされて浮かび上がる。真っ直ぐな鼻すじと形のよい顔の輪郭が美しくて見惚れる。
「スープからでいい?サラダかな?」
ファラミアがシルバーを手に取っている。
もしかして、ではなくファラミア様が食べさせようとしてくれている?嘘でしょ?
「ファラミア様っ、じ、自分でいただきますぅっ」
ファラミアは残念そうに唇を尖らせてスープスプーンをアイリーンに渡した。なにその顔可愛すぎる…!!
なんですのいったい…?ファラミアの突然のデレモード全開に困惑する。
わたくしもしかしてもう死ぬのかしら?もしかして毒殺される?これ毒が入ってるとか?いや、まさかのすでに天国じゃないかしら。ありえる!だって笑顔で優しいファラミア様とかただの天使でしょ。天国だわここ……!
「食前のお祈りはそのくらいでいいんじゃない?冷めちゃう前に召し上がれ」
はっ、天使がそう言うからには早くいただかなくは。毒殺本望!ポタージュをぱくりと口に入れる。
「美味しい…!」
「でしょう?料理長のパットマンが、アイリーンが目が覚めた時に食べられるようにと用意してくれてたんだよ。このポタージュは僕もお気に入りなんだ。特別なスパイスを入れてるらしいんだけどそれが何かは教えてくれないんだよね。パットマンの料理はどれもほんと美味しいんだ。あ、明日紹介するね」
ベッドに腕を載せて重ねた両手の甲にあごを載せて、首を傾げた姿勢でファラミアはアイリーンの食事を見守った。すらりとしたイケメンに成長したとはいえまだ10代のあどけなさが残っていて愛らしい。
あぁ、こんな天使の絵を見たことあるなぁ、ラファエル作だったかしら。ファラミア様、まるで子供の頃のようにたくさん喋ってくれるしほんと天使。お夜食もとても美味しいしファラミア様の目の前なのに思わずぱくぱく食べちゃう。
「ファラミア様…ここは天国でしょうか…?」
完食したアイリーンが不思議そうな顔で見つめるとファラミアは突然うつむいて悲しそうな顔をした。
「アイリーン…ごめんね」
「えっ」
まさか本当に?ここ天国?わたくし死んでるのかしら?アイリーンの顔がひきつる。
ワゴンをどけてファラミアはアイリーンの横に腰掛け肩を優しく抱いた。もう一方の手でアイリーンのまっすぐでサラサラのクリーミーブロンドの髪を撫でる。アイリーンは悶……気絶寸前だ。天国アリだわ、と。
「僕はずっと勘違いしてたんだ。アイリーンの気持ちも聞かずに」
「えっ」
あ、天国じゃない?どーゆーこと?
「僕はずっと君に嫌われてると思ってたんだ」
「そんなことありえません……!」
「僕の母は平民だから、高貴な君には不似合いだろう、と。君との婚約も弱味につけこんでお金と権力を笠に着た一方的なものだったし」
「父も母も公爵家にはどれだけ感謝してもし足りないと常々申しておりましたわ!公爵家の援助がなければ爵位は返上、領民は冬を越せずに飢え死にするところだったと」
おまけに最愛の男性と結婚させてもらえるし、ほんとメリットしかない前公爵神すぎるでしょ、とは心の中だけで思った。
「庶子上がりだ平民だとあちこちで陰口を叩かれていたんだ。そんな僕に屈託のない笑顔を向けてくれるアイリーンのことが初めて会った時から大好きだった」
わ、わたくしもです!と叫びたかったがHPは枯渇寸前で、これ以上話の腰を折ることもできずアイリーンはファラミアの横顔をガン……神妙な顔つきで見つめて続きを待った。
「10才の時に婚約の条件のことを聞かされた。ショックだった。同じ頃アイリーンはあまりうちに遊びに来なくなったから……その…きっとアイリーンもこの条件のことを聞いて僕のことが嫌になったんだろうな、と」
ファラミアはアイリーンの頬を撫でつつ自分の方へ向けた。間近にある顔を見上げるとランプの光が琥珀の瞳に煌めいて潤んでいるのがわかる。
アイリーンはファラミアの話の続きが気になりつつ、大好きなファラミアに密着して愛でられている状態に昇天しそうになるのを堪えつつパニックはすでに爆発して脳内はもう真っ白になっていた。もう今は喋るような知能は残ってない。
「宮中に上がる機会が増えると同年代の男子に出会うことが増えて、王太子はじめイケメンだらけでこれは勝てないな、とも思った。ほらアイリーンはこんな地味な僕にはもったいないほど愛らしくて、成長するにつれてどんどん美しくなるし。周りの男どもがアイリーンをニヤニヤしながら見るたびに嫉妬で気が狂いそうで…そんな自分がますます嫌で、魅力的なアイリーンに不釣り合いに思えて話しかけることさえ申し訳なくなった。」
アイリーンはぽかんとした。彼女は見目を磨くことには一生懸命だったが自分がどれほど美しいか、いかに多くの男性をばんばん射止めるほど魅力的であるかということについては無自覚だった。ファラミアの反応がないのならば他の人の称賛は無意味だ。
男性だけでなくアイリーンの研究を重ねに重ねて洗練された着こなしやメイクアップには多くのご令嬢方も虜となり流行発信源となっていた。
その男女どちらもファラミアが睨みをきかせ防波堤となってアイリーンに必要以上は近付けなかったので無自覚に関してはファラミアにその一因がある。
でも自分の魅力に無自覚なのはファラミアも一緒だった。
「一度君に婚約破棄を言われたときはもう落ち込んで落ち込んで…。君のために婚約を破棄すべきか悩んだけれどそんなことしたら僕は生きていけないと思って、狡いけど条件を盾にしてでも絶対に僕の嫁にするんだと決意した。君を気に入った王太子が妹の王女をあてがってまで結婚を邪魔しようとしてたし。持病でいつ倒れるかわからない父には絶対に婚約破棄になることがないように一筆書かせて国王の結婚証明書も式の日取りを決め次第もらっておいた。でなければ公爵家の親類までもが高貴な君との結婚を妨害して平民出の僕が家を継ぐのを邪魔しに来ただろうから」
力なくしょんぼりとそう語るファラミアに、アイリーンはもう訳がわからなかったが結婚のためにファラミアが頑張ったのだと思うと嬉しかった。王女はファラミアにデレっデレでしたけども、ね。でも、
「ファラミア様、ど…して…?」
真っ白な頭からなんとか言葉を紡ぎだしたが幼児のような疑問しかでてこなかった。
ファラミアは自分の腕の中で蕩けているアイリーンをそれは愛おしいとばかりに優しく撫で、真っ赤に染まった柔らかい頬に唇を寄せた。
ファラミアの吐息を耳元で感じアイリーンはぶるると震えた。もう息も絶え絶えだ。
「式の後、君が部屋で休んでると聞いて…初夜まで僕を避けるつもりかと腹が立って部屋に押し掛けたんだ。そうしたら君の侍女が静かに君の荷物を片付けていた。君は隣の、僕の部屋との間にある夫婦の寝室に寝ていると知らされて勘違いにまた自己嫌悪した」
ファラミアはすっかり薔薇色の耳にそっとキスをする。切なげな声が思わず漏れた。
勘違いではない。アイリーンは寝惚けて自分がどの部屋のどのベッドに案内されたか理解していなかった。気が遠のいたり戻ったりしながらも侍女のジョーの配慮に感謝する。ジョーは部屋を片したいだけだっただろうが。
「タイミングが良かったのか悪かったのか、侍女は君が僕のためにと刺繍してくれたハンカチやポケットチーフを広げていたところだった。僕のイニシャルや公爵家の紋章に気付いて狼狽する侍女に説明を求めるとこれらはアイリーンが、僕を想いながらそれはそれは丁寧に刺していたものだと」
ジョーはたしか…ポルタ通りの、タルト専門店の、トルトーナ産苺のタルトが、食べたいと…言っていた、わね…。ファラミアに耳たぶを軽く噛まれて喘ぎながらも侍女への恩返しを忘れないよう胸に留めた。
「訳がわからなくなって。この寝室に来て君の寝顔を見つめていると…もう…」
ファラミアが言い淀む。顔を見上げると頬は上気してその瞳は涙が零れんばかりにうるうるとしていた。
「君が…寝言で…その…ずっと僕の名前を呼んでいて」
顔を手で覆っているがその照れている様子がひたすら愛おしい。
照れが治まったのか、ファラミアはやっとアイリーンの頬を両手で挟み込んでしっかりと見つめた。
「僕は今までいったい君の何を見てきたんだろう…嫉妬やプライドで気が狂い心が壊れてしまっていたとしか思えない…」
それは自分も同じだ、とアイリーンは唇を噛みしめた。
「今さらだけどアイリーン、僕は初めて会ったときからずっと君の虜だ」
「わ、わたくしも…ファラミア…さま」
アイリーンの、すでにうるうるとしていた瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
「愛してるアイリーン。一生大切に、幸せにすると誓う」
「わたくしも…愛してます…ファラミアさま」
指で涙を拭いながらファラミアはアイリーンにくちづけをした。