第一話 行き倒れ
目を覚ますとそこには見知らぬ天井があった。そういえば、この世界に来て5年経つがまともな天井の下で寝た記憶がない。
大抵は洞窟の中か空の下で寝ていたからな。
「ならここはどこだ?」
俺は倦怠感の残る体を無理やり起こして周りを見渡した。
鼻腔を擽る消毒液の匂いが充満した一室は見ただけで医務室だと分かる。どちらかと言えば保健室に似た造りになっているが。
俺はそんな医務室から出ようとベットから立ち上がろうとした時ある事に気がついた。
「あれ、銀は何処だ?」
銀と名づけた白銀の毛並みを持つ狼の子供が見当たらない事に俺は戸惑いを感じた。
「おい、銀何処だ!」
心配になって叫ぶ。
たかがペットにどうしてそこまで心配するのか疑問に感じるかもしれないが、銀はあの地獄のような5年間のサバイバルにおいて俺に心の安らぎを与えてくれる存在であり、俺を強く育ててくれた存在の忘れ形見だからだ。そのため俺にとって銀は家族も同然なのだ。だから名前もカタナカではなくちゃんとした名前として漢字の名前を与えている。ま、名前の由来が白銀の毛並みからなのはスルーして貰えると助かります。
そんな大切な家族の名前を数度叫んだ時だった。
スライド式の扉が開かれる。
俺は警戒のため思わず身構える。が、
「ガゥッ!」
嬉しそうな銀の鳴き声が耳に届くと安心して身構えるのを止め、飛び掛かって来た銀を受け止めるため、両手を広げた。
「銀!」
「ガゥッ!」
名前を呼ぶとそれに答えた銀は俺の胸の中に飛び込んでくる。
ああ、この毛並みの触り心地間違いない銀だ………。
「感激な再会のところ悪いけど、少し良いかしら?」
銀を撫でていると赤い長髪をポニーテールにした10代後半の美女が俺に声をかけてきた。
服の上からでも滑らかな曲線を描く腰、引き締まったお尻、凝視してしまいそうなほどの双丘。
少し吊り目の淡い青の瞳。整った顔立ち。紅色の唇。
これまたとんだ美女が現れたな。
「誰だアンタ?」
「貴様!お嬢様に向かってなんて態度だ!」
後ろに控えていた金髪碧眼の青年が怒声を浴びせる。
「は?そんな事言われても俺はお前たちの事をしらないんだから当たり前だろ」
「お嬢様を知らないだと!」
「ああ、まずここが何処なのかも分からないしな」
睨み合う俺達。そんな二人を止めたのは一人の少女だった。
「二人ともいい加減にしなさい」
「も、申し訳ありませんでした……」
護衛の青年は素直に謝る。
「それじゃ何も知らないようだし自己紹介からするわね。私の名前はイザベラ・ルーベンハイト。ルーベンハイト公爵家の息女よ。で、貴方に叱ったのが私の幼馴染で護衛のロイドよ」
「ロイド・サウス・グリードだ」
敵意剥き出しで睨み付けてくるロイド。まったく随分と嫌われたものだな。ま、好かれるつもりもないけどな。
「それで、貴方の名前は?」
「俺の名前は仁。鬼瓦仁だ。倒れていたところを助けてくれてありがとう」
「あら、ちゃんとお礼は言えるのね」
先ほどまでの態度からは考えられないのか、少し意外と言わんばかりに驚きの表情を浮かべていた。一瞬皮肉を言われたかと思ったけどな。
「助けてくれた人間にお礼を言わないのは人間の屑だって爺ちゃんに言われたからな」
「うふふ、面白いおじい様ね」
「ま、元気な爺ちゃんだったよ。変なところで厳格だったけどな」
「その言い方だと」
「ああ、俺が15歳の時に死んだ」
「そう……ごめんなさい」
「別に気にしなくて良い。人はいつか死ぬ。早いか遅いかそれだけだ」
「随分と冷めてるのね」
そんな俺の言葉に悲しい表情を浮かべたような気がした。
「爺ちゃんの最後の言葉だよ」
「おじい様に言われてはどうしようもないわね」
「ああ、まったくだ」
だけど俺たちは互いに笑みを浮かべる。
そう俺が言うならアレだが、死ぬ寸前で爺ちゃんが言ったのなら、それを否定する事は出来ないし、そんな事をする精神的余裕はない。
「それよりも話は変わるけどジンはどうして禁止区域指定されているこの場所に居たのかしら?」
鋭い視線を向けてくる。どうやら俺を疑っているらしい。ま、禁止区域指定されている場所に居たら怪しまれるよな。
「そんな事いわれてもな、気がついたらあそこに居たんだからどうしようもないだろ」
「貴様嘘をつくのか!」
まったく、また噛み付いて来やがった。
先ほどの態度で何となく分かっていたが、頑固な奴って正直に話しても信じてくれないのかね。
「俺が嘘を言ってると言いたいのか?」
「当たりまえだ!今回の魔物の大量発生もお前の仕業じゃないのか!」
「勝手な事を言うな!なんで俺がそんなことで嘘なんか吐かなきゃならないんだよ!だいたいそんな事があったなんて知らなかったしな!」
「「…………」」
再び睨み合う。どうやら俺はこいつとは粗利が合わないらしい。
「はい。そこまで!」
そんな俺たちの間にイザベラが入ってきて剣呑な雰囲気を解消する。
「ま、貴方が悪人かそうでないかここで話し合っていても仕方ないわ。だから手っ取り早く調べるためについてきて貰えるかしら?」
「分かった」
イザベラの後に続いて医務室を出た。大人二人が横に並んで歩ける程度の狭い通路がずっと続く。窓の外を見れば高速で景色が流れていく。
「列車の中なのか?」
俺は思わずその場に立ち止まり呟く。
「ええ、そうよ。我がルーベンハイト家が所有する装甲列車レッドホーク号よ」
自慢げに胸を反らすと見事な双丘がプルンと揺れる。
「ゴクリ」
おっと思わず生唾を飲み込んでしまった。ロイドは気づいていないようだ。ふう、また面倒になるところだったぜ。
いや、それよりも。
「この世界には列車は当たり前のようにあるものなんか?」
「なに当たり前のような事を言ってるの?平民ですら仕事に向かうときによく移動手段に使う物だって小さな子供で知ってることよ」
おい嘘だろ。そ、それが本当なら。
「もしかしてスマホとかもあるのか?」
「ええ、あるわよ。ほら」
イザベラはポケットからスマホを取り出す。
バタン。
「急にどうしたの!」
「いや、現実の厳しさに打ちのめされ俺の夢が儚く散っただけだ」
「よ、よく分からないけど。まだ若いんだから頑張らないとね」
俺よりも遥かに年下の女の子に慰められてしまった。銀お前も慰めてくれるのかありがとうな。
色々俺の夢が、野望が儚く散ったが時間は待ってもくれず流れていく。
で、俺もその流れに乗って案内されたのが、色々な機械が設備された場所だった。
「ここで何をするんだ?」
「ここで今から貴方の事を調べるのよ」
「なんだDNA鑑定でもするのか?」
「ま、似たようなものね」
どうやら詳しくは言えないようだ。
「ここに一滴だけ貴方の血を入れて貰えるかしら」
「分かった」
渡された針で軽く人差し指を刺す。チクッとした痛みに眉を潜めるがそれもすぐのこと。カプセルに血を落とすと俺は血が出る指を口に含んだ。
「一応絆創膏も渡しておくわね」
「サンキュー」
渡された絆創膏を使わずポケットにしまう。
「で、今何をしてるんだ?」
モニターの中で高速で検索しているのは分かるが、それがいったい何なのかまでは分からない。ま、何となく分かるけどな。
「貴方の履歴を調べてるのよ」
「多分それは無理だぞ」
「あら、どうしてかしら?」
「俺、この世界の人間じゃないからな」
その言葉にイザベラたちが俺の方に振り向いて目を見開ける。
「貴方もしかして迷い人なの?」
聞いた事もない単語に俺は首を傾げて問い返す。
「迷い人?なんだそれ?」
「時空の歪みなどで別の世界の人間がこの世界に来た人たちの事よ」
「なるほど。だがそれも違うな。俺はクソッタレな女神に転生して貰ったからな」
「まさかそれって創造の女神アリエス様のこと!?」
「アリエスって名前かどうかは分からないけど創造の女神なのは確かだな。俺が持つ称号に創造の女神って表示されてるからな」
この世界はゲームや小説などをモデルにした世界ではない。いや、されているのかもしれないが小説のように「ステータスオープン」と叫んでもステータス画面が目の前に現れたりする事はない。
なら何故俺が自分の称号に関して知っているのかは、自分の力を知る事が出来る物が俺が5年間過ごした場所にあったからに過ぎない。
「まさかこんなところで迷い人よりも貴重な送り人に会えるなんて」
驚きに満ちた表情を浮かべるイザベラとロイド。
またしても知らない単語が出てきたぞ。
正直2人だけで話を進められても困るので俺は聞いてみる事にした。
「なあ、その迷い人や送り人ってなんなんだ?」
「ああ、ごめんなさい。今説明するわね。迷い人はさっきも説明した通りだけど。送り人は迷い人に比べて遥かに数も少なく女神様に選ばれた人たちの事よ」
「なんだそれ。俺がそれに選ばれたって言うのか」
「ええ、そうよ」
正直、信じられん。あの傲慢不遜な高飛車女神が俺を選ぶ理由が分からない。選ぶとしたらただの暇つぶし程度だろ。
出なければあんな称号を俺に与えたりしないはずだからな。
「なんか良いことでもあるのか?」
「ええ。迷い人は私たちに比べて遥かに身体能力も高く魔力量も常人の3倍以上はあると言われているわ。で、送り人に関しては身体能力や魔力量が迷い人よりも4倍以上あってアリエス様に幾つかのスキルや称号が与えられた人たちの事。でも今までに送り人だと分かっているのは全世界でたったの100人もいないのよ」
「そんなに凄いのか?」
「この世界の人口は300億人を超えているわ」
それはどう考えても少ないな。
1割以下どころの話じゃないからな。
てか、常人よりも魔力量が3倍以上の迷い人の4倍ってつまり、常人の12倍って事だよな。それって化物だろ。
「待ってくださいお嬢様!」
「何かしら?」
「本当にこの男が送り人である証拠がありません!」
「なんだと……」
こいつ何処まで俺を信用してないんだ。
だが、今回奴が言った事は正論なのでこれ以上反論するのは今後の対応を悪くするだけなので、黙り込む。
「確かにロイドの言うこともあるわね。なら調べてみれば分かることだわ」
「調べる?どうやってだ?」
「さっき貴方の血液を貰ったでしょ」
「ああ」
「あれでステータスを調べることが出来るのよ」
「へぇそんな事もできるのか」
この世界はどうやら俺が住んでいた世界より発展しているのかもしれないな。
「今、調べてみるわね」
数分して調べ終わると画面に俺のステータスが表示された。
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鬼瓦仁
種族 人間
職業 無職
レベル 13
MP 0
力 320
体力 350
器用 310
敏捷性 320
固有スキル
アイテムボックス
言語理解
スキル
体術Ⅱ
称号
創造の女神を怒らせし者
転生者
属性
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「「…………」」
「な、嘘じゃなかったろ」
「確かに送り人のようね……」
「そのようです……」
俺は胸を張って威張る。どうだ見たか!
「「で、いったい何をした!」の!」
「うおっ!」
いきなり怒られてしまった。
「急にどうしたんだ?」
「称号にあるじゃない。アリエス様を怒らせし者って。いったい何をしたの!」
「何って俺が知るかよ。目を覚まして、ここは何処だ。お前は誰だって尋ねたらいきなり怒り出して「最低!」って言って俺を訳も分からない場所に放り捨てたんだよ」
「思い出しなさい!きっと貴方に原因があるんだから!」
胸ぐらを掴めれ揺さぶられる。く、苦しい!
「そ、そんな事を言われても思い出そうにも思い出せないものは無理だ」
「はぁ、こんな称号をもしも熱狂的な信者たちに知られたら貴方殺されるわよ」
「マジで?」
「マジで」
確かにそれはまずいな。隠蔽スキルでステータスとスキルの一部は消したが、称号も隠しておいた方が良いかもな。
「ですが、これで送り人……フッ」
「おい、何が可笑しい?」
ロイドに鼻で笑われた俺は流石にカチンときた。
「魔力も無く、ステータスも人並み。これは間違いなく失敗作ですよ」
見下しながら嘲笑うロイドの姿に温厚な俺も流石に頭にきた。
「てめぇ……」
「止めなさい!」
殺気をロイドにぶつけようとした時、イザベラの叱咤が飛ぶ。
「ロイド貴方がそんな人だとは思わなかったわ」
「お嬢様……そ、それはどういう意味でしょうか?」
「昔は弱き者にも優しく接した貴方がそんな事を言うなんて私は悲しいわ」
「そ、それは……」
下唇を噛むロイド。で、何で俺を睨む。
「ごめんなさいジン。ロイドが失礼な事を言って」
「いや、イザベラが謝る必要はないだろ」
「ロイドは私の護衛であり部下。部下の不始末は隊長である私の不始末よ」
「真面目だな」
「こんなのあたりまえよ」
まったく前世を合わせると今年で37歳の俺よりしっかりしている。
「はい、これ」
イザベラは俺に黒いスマホを差し出す。
「これを貴方にあげるわ。これに貴方のステータスが記録されてる。レベルが上がれば勝手に更新されるから心配しないで」
「良いのか?」
「ええ、今後生きるには無いと不便でしょうから」
「ありがとう!あんなクソ女神よりよっぽど慈愛に満ちた女神だよ!イザベラは!」
「嬉しいけど心からは喜べないわね」
苦笑いを浮かべるイザベラを余所に俺はスマホの機能を確かめる。
そんな時だった。
ギュルルルルルル。
「………」
「………」
「すまん。腹が空いた」
「………プ……ププッ……プハハハハハ!」
そんな俺の態度にイザベラは笑いを堪え切れず吹き出した。
「ご、ごめんなさい。つい可笑しくて。少し早いけど夕飯にしましょう」
下瞼に溜まった涙を指で拭き取りながら言った。
「銀ちゃんにも美味しい生肉を用意するから待っててね」
「ガウッ!」
嬉しそうに尻尾を振る銀。
「それじゃ私たちは食堂車に移動しましょう」
数分走行列車内を歩いて食堂車に移動した俺たちの前に豪華なステーキ料理が出てきた。
す、すごい。本当に金持ちの家なんだな。名前は知らないが見た目からして高級料理なのは分かる。なにより鼻腔を擽るこの匂い。空腹状態の俺には我慢という言葉を忘れる程だった。
「食べて良いわよ」
「なら、遠慮なく!」
俺はナイフとフォークを手にして食べようとしたが――
バチン!
静電気が走ったように痛みとともに弾かれ、ナイフとフォークは床に落ちる。
「どうしたの?」
イザベラはナイフとフォークを床に落とした俺に疑問符を浮かべる。
「やっぱり駄目か……」
俺は拳を握り締める。
「クソオオオオオオオォォォ!」
俺は思わず嘆きの遠吠えを車内に轟かせる。
その姿にイザベラとロイドは驚くが、そんな気遣いが出来る程今の俺に余裕などない。だってそうだろ!空腹でぶっ倒れた俺の目の前にとても美味そうな肉料理があるんだぞ。なのに食べられない。これほどの地獄が拷問があるものか!クソッ!これも全部あの性悪女神のせいだ!
「ど、どうして泣いているのよ!」
気がつけば俺は涙を流していた。
どうして俺がナイフとフォークを持てないのかというとそれは俺が持つ称号に問題がある。
「俺の称号の効果を見ることが出来るか?」
「え、ええ」
「だったら見れば分かる」
俺はスマホをイザベラに渡す。
「でも勝手に見ていいの?」
「ああ。構わない」
確かに自分のステータスを他人に見せるのは大きなリスクだ。だけど見ず知らずの俺にここまでしてくれる奴が悪い奴なわけがない。それに悪意を感じないからな。
イザベラはステータスを閲覧できるアプリを開くと【効果詳細】と書かれた文字をタップする。
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称号 創造の女神を怒らせし者
効果 創造の女神アリエスが指定した物を武器として認定し、使用どころか接触すら禁止する。ただし、直径42.67ミリ以下の物であれば武器として使用することが可能。
効果 魔力皆無
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「こ、これは酷いわね」
「自業自得ではないかと」
煩い、護衛対象崇拝者は黙っていろ。
「こんな称号のせいで俺は武器が持てないどころか飯もまともに食べられないんだ。こんなのもう泣かずにはいられねぇよ!」
「ジン落ち着いて!このステーキでサンドイッチ作って貰うから」
「本当か!」
「え、ええ……」
俺の問い返しに少し引き気味に肯定の言葉を口にしたイザベラ。
「ありがとう!」
本当にイザベラは俺の女神様だ!
十数分して執事のセバスが先ほどのステーキで作られたサンドイッチを持ってきてくれた。ついでに言わせて貰えればこのセバスという男、神出鬼没のためとても心臓に悪い。
「これで食べられるでしょ」
俺は垂れそうになる涎を袖で拭き取るとサンドイッチを手に持ちかぶりつく。
「どうかしら?」
「………う……うめええぇ!」
俺は号泣しながら次々と頬張っていく。今年で37歳のおっさんが号泣しながらサンドイッチを食べる姿など見っともない以外ないが、そんな事は関係ない。
柔らかいお肉から溢れ出した肉汁が口一杯に広がり、パンに合うように掛けられたソースが食欲をそそる。
気がつけば10個もあったサンドイッチを数分で完食していた。
「美味かった」
「それは良かったわ」
「お嬢様少しお食事中申し訳ありませんが、少し宜しいでしょうか?」
「どうしたのセバス」
いつの間にかイザベラのすぐ後ろに控えていた。ほんといつ来たんだ?
「旦那様からお電話が入っております」
「そう分かったわ。セバスは悪いんだけどジンを客室に案内しておいて頂戴」
「畏まりました」
そう言うとセバスは軽く一礼する。
「ジン御免なさいそういう事だから」
席から立ちあがったイザベラはそう言ってくるが、
「いや、何から何まで世話になったのは俺の方だから」
正直、謝る必要はない。逆に感謝したいのはこっちの方だからな。
「そう言って貰えると助かるわ。それじゃまた明日ね。その時にでも前世の事を教えて頂戴」
「分かった」
こうして俺はイザベラたちと別れ、セバスの案内で客室に向かった。




