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第4話 会長候補推薦、そして、第一回投票




 会長候補の推薦――その言葉を聞くと、出席者たちはようやく清川会長の呪縛を脱し、表情を改めた。


 選出会議では、投票に先立ち、まず会長候補者を推薦する時間が取られる。

 ここで次期会長にふさわしい人物を明らかにすることで、その後の投票を効率的におこなうことができるのだ。

 ただし、候補者は自分自身を推薦することはできず、他薦だけが認められている。これは、他者に推されることによって候補者の人望を示すという、選出会議の慣例だった。

「誰からも推薦されない者に、機枢高校の生徒会長となる資格はない」というわけだ。

 もっとも、これは成文化された規則ではなく、あくまでも慣例なので、ここで推薦されなかった者でも選出会議に出席しているかぎり、次期会長候補者になる権利はある。

 とはいえ、やはり、推薦された方が、その後の投票を有利に運ぶことができるものだ。

 そのため、各陣営から推薦人として、二人の出席者が手を挙げた。

 体育委員長と文化委員長だ。

 その挙手は、体育委員長の方が明らかに速かった。

 しかし……。


「雨城文化委員長」


 那珂川議長が先に発言を許した者は、文化委員長だった。これは、議長による清川会長陣営への便宜に他ならない。

 不満を顔に浮かべる体育委員長ら総務委員長陣営を後目に、文化委員長・雨城楊子は、ゆっくりと優美な動作で立ち上がった。


「私は、次期会長候補に、清川普青生徒会書記を推薦します」


 言うと雨城文化委員長は、その気品ある顔に、しとやかな微笑みを浮かべる。

 微笑は、清川会長に向けられたものだった。


 ……昨年の選出会議の後、生徒会長となった清川総璃愛は委員会への影響力を強めるため、自身に協力的な何人かの後輩たちを委員長職に抜擢した。

 その一人が、雨城楊子だ。

 文化委員長に就任した当時、雨城楊子はまだ一年生で、大半の委員は彼女より年長だった。

 それでも彼女は、自身の手腕と、旧華族の名門「雨城家」の出自に寄せられる人望、そして清川会長の威光によって、瞬く間に委員会を掌握してしまった。

 以後は、学園の文化政策――特に文化系部活動の新設、保護、育成に取り組んでいる。

 これまで、清川会長は雨城への助力を惜しまず、雨城は清川会長の信頼に応えてきた。両者の関係は、概ね良好なものだったといえる。

 ただ、昨今は、二人の間に微妙な軋轢が生まれてきたとも噂されていたが……。


「……雨城文化委員長の言動を見るに、その軋轢も、決定的な破局の遥か以前の段階で収まったらしいな」


 祇園は胸中でつぶやいた。

 結局、今回の選出会議でも、雨城は清川会長の妹を支持している。現状のところ、「清川政権」の継続が成れば、今後も彼女たち文化委員会は安泰となるのだから、当然の行動だろう。


「……今日まで、私たちの機枢高校は平和で豊かな時を過ごしてきました。これは無論、清川会長の政策によるものであります。そして、その会長を陰で支えてきたのが、実の妹でもある清川普青書記なのです。清川会長の政策を継承するのに、彼女よりふさわしい人物はいないでしょう」


 そう語って雨城文化委員長が着席すると、出席者一同の視線は、会長候補として推薦された清川普青に向いた。


 生徒会長の実妹――清川普青。

 彼女は清川会長より二歳下の一年生だが、まるで双子のように、姉とよく似た秀麗な顔立ちをしている。しかし、姉の鋭い眼光だけは似なかったようで、熱のない冷ややかな瞳で会議の場を眺めていた。

 清川普青は、機枢高校に入学してすぐに、姉の生徒会に入った。以来、光輝に満ちた清川会長の陰のように付き従い、生徒会書記として働いている。

 事務処理や文書整理、スケジュール管理などといった彼女の仕事が、清川会長の公務を裏から支えていたことは間違いないだろう。

 しかし、彼女自身が表立って学園を率いる力量を持っているかは、不明だった。

 人を下から支える能力と、人の上に立つ能力は、全く別種のものなのだから。


「……では次に、体育委員長」


 那珂川議長に呼ばれると、先ほど後回しにされた体育委員長・平山雪家(ひらやまゆきえ)は、解き放たれたバネのように勢いよく起立した。すらりとした長身が伸び上がる。

 その弾みで、制服を押し上げている豊かな胸をわずかに揺らしてから、彼女は口を開く。


「文化委員長は清川普青書記を推しましたが、体育委員会としては、賛成しかねます。清川書記はまだ一年生。機枢高校の生徒会長として、全委員会、全生徒の上に立つには、いま少しの経験が必要でしょう」


 まず、平山体育委員長は、先ほどの雨城文化委員長の主張に毅然と反対した。これは、今に限ったことではない。文化と体育の両委員会は、予算分配や部活動の管轄などで、伝統的な対立関係にあったのだ。

 今回の会議でも、ふたりの委員長は、それぞれ清川会長陣営と総務委員長陣営に分かれている。


「次期会長には、やはり、経験の豊富な小櫃(おびつ)総務委員長がふさわしいと考えます」


 平山がそう断言すると、一同の視線は今度、推薦された小櫃に向いた。


 総務委員長・小櫃渉(おびつわたる)は、黒縁眼鏡を掛けた、地味な雰囲気の二年生男子だ。

 小櫃が長を務める総務委員会は、生徒たちの学籍の管理、学園設備の維持管理、各学級の監督、委員会間の総合的な調整などの事務を司る。

 担当する業務が多い総務委員会は、現在の機枢高校で最も大きな組織だ。

 だが、それでも、この委員会が「内務委員会」という名であったときに比べると小さなものだった。


 かつて、内務委員会は校内最大の権限を有し、機枢高校を厳格な管理体制で支配していたのだ。

 その内務委員会を廃して、生徒会一強の体制を確立したのが、清川会長だった。

 しかし、内務委員会を廃止こそしたが、その後で、やはり学園と生徒を管理する組織は必要だと清川会長は考えたらしい。そして彼女は、新たに「総務委員会」を設置したのだ。

 この総務委員会は、内務委員会の後身にあたる組織で、その権限こそ縮小されたが、人員の大半は旧委員会から引き継がれた。そして、彼らをコントロールする長として、当時は清川会長に従順だった小櫃が据えられたのだ。

 しかし、その後、小櫃委員長は清川会長と対立するようになっていった。

 彼はおとなしい性格で、決して会長に逆らわないと思われていたのだが、その性格がたたり、部下である旧内務委員たちの突き上げに折れてしまった――と噂されている。

 

 こうして現在、小櫃総務委員長は反清川会長勢力の筆頭として、体育・保健の両委員長に支えられながら、次期会長職を狙っているのだった。


「小櫃委員長は、彼がまだ一年生だったころから総務委員会を率いてきました。組織を運営する経験と実績のある彼なら、生徒会長の重職も充分に務まるでしょう」


 この、体育委員長・平山雪家の主張には、すぐさま、文化委員長・雨城楊子が反論した。


「たしかに総務委員会は他の委員会よりも大きな組織だが、それでも、一委員会だけを率いることと、機枢高校全体を治めることを同列には論じられないだろう。なにより、その総務委員会の内部については、良からぬ噂があると聞く」

「噂? 噂とは何か。雨城委員長」

「小櫃委員長の部下である総務委員――つまり、旧内務委員たちが、滅ぼされた内務委員会の復活を企図しているというのだ。小櫃委員長が生徒会長を目指すのも、こうした部下たちの野望に押されてのことではないのか」

「……そ、それは根拠のない、ただの噂話だ。そもそも、私はその噂を、いま初めて聞いた」

「声が震えているぞ、平山委員長。あなたこそ、『いま少しの経験』が必要だろう。本心を包み隠す経験が、な」


 その皮肉は、雨城の気品ある顔立ちから少しの嫌味もなく発せられたので、むしろ平山への忠告のように、周囲の者には聞こえた。両委員長の対立関係を思えば、奇妙なことではあったが……。

 実直な性格の平山は、虚実を交えた弁舌が苦手なようで、雨城に言い返すことができないでいる。

 そうした彼女を助けるように、小櫃自身が発言した。


「たしかに、総務委員会は旧内務委員会から生まれたものだし、僕自身も、元はそこの副委員長だった。しかし、それは過去のことだ。かつて学園を支配した内務委員会を今さら復活させるような意思は、僕個人の内にも、総務委員会の内にも存在しない」


 小櫃総務委員長は断言した。しかし、それを素直に信じる者は、いないだろう。彼への、というより、内務委員会の後身である総務委員会への信用とは、その程度のものなのだ。

 この不信感こそが、今回の選出会議で小櫃が次期会長となることを困難にする一因でもあった。

 小櫃総務委員長の言葉を、その場しのぎの弁明として受け止めた出席者たちは、途端に白けた雰囲気になってしまった。この、やや弛緩しかけた議場の空気を引き締めるように、那珂川議長は鋭く言い放つ。


「他に、候補を推薦する者はいないだろうか。いないようならば、これより、投票に入る」


 議長の「投票」という語を聞くと、瞬時に、全員が再び緊張した。


「もう、なのか」

「もう、なんだよ。俵田くん」


 俵田の独り言に、隣の祇園が応じる。

 もう、生徒会長を選ぶのだ。

 他の会議と異なり、生徒会長選出会議では、長時間の議論が交わされることは少ない。候補者を推薦した後、ただちに投票に移る慣習なのだ。

 これは、討論の過熱によって候補者への個人攻撃が起こることを避けるため、というのが建前だったが、実際の理由としては、

「議論を交わしたって時間の無駄。どうせ、討論によって候補者の陣営を乗り換えることなんてないのだから」

 という、出席者たちの本音があった。

 事実、今までの会議では、議論をしないまま、投票とその結果を受けた裏面での交渉を何度も繰り返すことで生徒会長を選び出してきたのだ。

 しかし、今回だけは、ただ一度の投票で決着するだろうと、祇園たち側用部は考える――というより、期待している。


 ――結局、小櫃総務委員長は、体育と保健、二人の委員長の支持しか得られなかった。彼らの三票に対し、清川普青は、自分たち側用部も支持して七票。過半数を取って会議は終わりだ。


 そう考えながら、祇園は腕時計を見た。

 このとき十一時四十九分。期待どおり、昼までに帰れるかもしれない。

 祇園と同様に、清川会長以下、清川普青を推す者たちも圧勝を確信しているようで、余裕の表情を浮かべていた。中立であるはずの那珂川議長も、本心では清川会長派らしく、ためらいなく投票に入ろうとする。


「選出監理委員長、お願いする」


 那珂川議長が呼びかけると、おもむろに亀山選出監理委員長は立ち上がった。

 亀山はそのまま円卓を回り、出席者のうち投票権を持つ者――彼と那珂川以外の十名に、紙片とペンを配っていく。紙片には、まだ何も記されていない。

 白い紙片が一同に行き渡ったことを確認すると、那珂川は説明をおこなう。


「この投票用紙に、次期会長として最もふさわしいと思う者の名前だけを記してもらう。投票者自身の記名はしないように。投票の後、白票などの無効票も投票総数に算入して、その過半数を得た候補者が次期生徒会長に指名される。……なにか質問は?」


 那珂川議長の簡潔な説明に、疑問を抱く者はいなかった。


「では、始め」


 筆記試験の監督官のように、短く、冷たく那珂川議長が告げると、一瞬、議場は静まりかえった。その静寂は、すぐに、ペン先が紙上を走る音に塗り潰される。

 その中で、祇園は投票用紙に「清川普青」と書き込む。

 清川会長の忠実な部下として、これ以外の選択肢はないはずだった。

 隣に座る俵田も、側用部の部員として、祇園と同じように清川普青の名を記入していることだろう。

 やがて、那珂川議長が声を発した。


「……全員、書き終えただろうか」


 ペンの音が消え、再び静寂に包まれた議場を確かめると、那珂川は次の指示をする。


「それでは、選出監理委員長のもとへ投票していくように」


 亀山選出監理委員長の前には、いつの間にか、銀色をした金属製の大きな皿が置かれていた。皿の中は空だ。

 この皿が、選出会議での「投票箱」となる。

 投票者は、席を立って亀山の前に行き、折り畳んだ投票用紙を皿に載せ、また自席に戻る。

 これを、清川会長から小櫃総務委員長まで、十人が続けておこなった。


「一同、投票漏れはないだろうか」


 最後に、那珂川議長が確認をする。既に全員が投票を終え、着席していた。


「投票漏れ無し、と認める。これより、開票に入る」


 那珂川議長の宣告を受けて、さっそく亀山選挙監理委員長は、開票作業を始めた。

 銀の皿に積まれた投票用紙を一枚ずつ取り、そこに記された氏名を確かめ、手元の記録用紙に書き込んでいく。

 亀山の作業は淡々としたもので、彼の表情から投票結果を窺い知ることなど不可能だった。

 やがて、銀の皿は空になり、十枚の投票用紙は亀山の前に積み上がった。そこから、また投票用紙を取り、手元の記録と照会し、皿に戻す。

 こうした再確認を終えると、最後に彼は記録用紙に集計結果をまとめ、那珂川議長へ手渡した。


「……な!?」


 突然の驚きの声は、集計結果を見た那珂川議長が放ったものだった。

 常に冷徹な彼らしくもない。なにか異変でもあったのだろうか。

 議場の出席者たちに動揺が広がっていく。


「せ、静粛に……」


 ざわめく一同に那珂川議長は命じたが、その声は、まだ、驚愕から回復できていないようだった。


「議長、なにか問題でもあったのか?」


 隣に座る清川会長が、不吉を感じたような声で尋ねる。

 だが、彼女の問いにも那珂川は答えず、苦い表情のまま沈黙していた。

 やがて、那珂川は一つ息を吐いた。それは嘆息のようでもあったが、この行為によって、いくらかの冷静さを取り戻せたらしい。

 いつもの険しい眼光で議場を一睨みすると、彼は冷厳な声を発した。


「第一回投票の結果を発表する」


 そして、議長は努めて冷静に、開票結果を読みあげた。


 投票総数は十票。その過半数は六票以上となる。

 清川普青・生徒会書記―――五票。

 小櫃渉・総務委員長――――三票。

 祇園渚卯子・側用部部長――一票。

 白票―――――――――――一票。


 ……過半数の票を得た者はいない。次期生徒会長決定せず。


 そのことを出席者全員が理解するまでに、数秒の時が必要だった。

 そして、一同がすべてを理解してもなお、議場は重い沈黙に包まれたままでいる。この場にいる全員にとって、予想外の結果だったのだ。


 そのときだった。

 息の詰まりそうな静寂の中に、突然、議場の外から音が飛びこんできた。

 低く響く金属の音。それは、学園の鐘の音だった。

 その鐘を聞いて、祇園は、ふと壁時計を見上げる。

 針は今まさに、十二時を指したところだった。



 十月十三日正午の鐘が鳴る。

 それは、生徒会長選出会議の長い戦いの始まりを告げるもののように、祇園には聞こえるのだった。





 次回


 第5話

 煙と炎と生徒会役員たち

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