第39話 踊る! 生徒会長選出会議
祇園の「三つの目標」を聞き終えて、清川普青は静かに口を開く。
「……この、二日間の密室会議。皆さん、ただ投票を繰り返すのみでしたね。祇園先輩ほど真剣に、会長就任後について語った人はいませんでした」
「…………」
「あなたは、既に、自分が会長になると確信しているのでしょう」
一つ祇園に微笑んで、清川普青は言う。
「私も同意見です。あなた以上に次期会長となるべき人はいないでしょう。喜んで、協力させていただきます」
祇園の勝利が決まった、その瞬間だったのかもしれない。
清川普青が味方となったことで、祇園の獲得票は過半数を超えるだろう。
ついに、祇園が次期生徒会長になるのだ。
その感慨が、祇園の胸中に満ちてくる。
それは、隣に座る俵田も、祇園を支援してくれた望陀、雨城、平山も同様だろう。
祇園の勝利。
――しかし、その勝利は、まだ、薄氷の上にのっているものだった。
「お姉ちゃん……いえ、清川会長も、もう、よろしいでしょう?」
清川普青が、優しく宥めるような声を姉にかけた。
事態が一転したのは――あるいは、忘れ去っていた危機が顕在化したのは、直後のことだった。
「……いや、だめだ」
短い返答は、たとえるなら、地震における初期微動のようなものだった。
議場を揺るがす本震は、数瞬後に生まれる。
「……だめだ! 私の生徒会長の地位は、普青に継がせるためだけに築いてきたものだ。側用部ふぜいに譲る気はない! 祇園は勝ったつもりでいるようだが、君を会議から追放する権利は、まだ私の手中にある。……議長!」
いつもの余裕を崩し、内にあった激情を露わに、清川会長は那珂川議長に命じた。
先ほどの、会議の中断を要求しようというのだ。
これに、普青は冷たく告げる。
「清川会長……。もう、終わりなんですよ。あなたの会長任期も、私の会長就任も」
「いや、まだだ。まだ終わっていない!」
悪あがきを続ける姉に、普青は溜め息まじりの声で宥めようとする。
「清川会長。今まで、この学校のために働いてきた、あなたです。最後まで、尊敬できる姿でいてください」
「違う! 普青! 私は、普青のために……」
清川会長がそこまで言うと、普青は一変した。
「……分からずやの、お姉ちゃん! 自分勝手な我儘に私や学園まで巻き込んで」
「我儘だと?」
「お姉ちゃんの望むことなんて、私はちっとも望んでないの! それが分からないなんて……バカ! バカ姉! そのうえ、最後の最後で醜態をさらすの!? 妹の私が恥ずかしいじゃない!」
「な……」
普青の痛烈な言葉に、一瞬、清川会長は絶句した。
しかし、すぐに気勢を回復し、再び姉妹で応酬する。
清川会長も、普青も、普段の余裕や冷淡さといったものを、霧消させてしまったようだった。
この姉妹、二人のためだけに、議場は騒然となった。
他の出席者たちは何も言えずに窮してしまう。
会議を取り仕切るべき那珂川議長は苛立った顔になっている。彼には場を収める責任があるはずだったが、一方の相手が上位者である清川会長なので、対応に苦慮しているようだった。
そのような中で、しかし、側用部の二人だけは冷静だった。
まだ会議から追放される危機の中にいるはずだったが、過熱する清川姉妹の応酬を眺めていると、かえって、こちらの思考が冷めてきてしまうのだ。
……もっとも、これには、会議の円卓における二人の席が清川姉妹から遠く離れている、という理由もあったが。
対岸の火事を眺めるように、俵田が淡々と漏らす。
「……先輩。この会議が密室のなかでおこなわれる、もう一つの理由が分かりました。機枢高校の上位にある方々の醜態を、一般生徒に見せないためなんですね……」
「確かにねえ……」
短く苦笑した祇園は、既に姉妹喧嘩の場と堕した議場を眺めてつぶやく。
「――会議は踊る、されど進まず。……いや、もう、これは会議とも呼べないね」
すると、祇園は懐から紙片を取り出した。
その紙片は、今朝、小櫃総務委員長が祇園を呼び出すために使ったものだ。
そして、机上に転がっている、先ほどの第四回投票で使用したペンを執ると、小櫃からの文章を横線で消してから、その裏の白い面に一文を書きこむ。
「俵田くん。悪いけど、もう一回、手を出してくれる?」
不思議そうな顔で、俵田は言われたとおりに手を差し出した。
その手を包むようにして、祇園は紙片を渡す。
「これは……!」
その紙片に記された文を読んで、俵田は緊張したようだ。
それは、次のような一文だった。
「私に味方してくれるなら、次期政権における生徒会議長の役職を与える。祇園渚卯子」
丁寧に記名までされたその文は、先ほど下郡が祇園を裏切ったことで宙に浮いた、政権ナンバー2の役職を交渉の条件とするものだった。
「……これをもって、僕は誰と交渉してくればいいのでしょうか?」
「察しがいいね。けど、今回、君は相手に手渡すだけでいい。それで充分だろう。で、その相手だけど……」
祇園が耳打ちする。聞き終えると俵田は、潜るように身をかがめて、清川会長たちから見られないように出動した。
「……清川会長、清川書記。静粛に」
那珂川議長による、何度目かの注意にも、清川姉妹は応じない。
さらに、彼女たちは立ち上がって、議長に詰め寄った。
「議長、会議の中断を要求する」
「議長、会議の続行を要求します」
清川姉妹の間に、那珂川は挟まれる。
彼女らの中にあって、那珂川は、不思議と落ち着いていた。
先ほどの苛立ちも消えていて、呆れたような……あるいは、どこか達観しているような表情だった。
一つ溜め息をつくと、那珂川は、生徒会会計・東田ひよこの方を向いて言った。
「……東田会計。遺憾だが、生徒会内部の意見が割れてしまったようだ。そこで、同じ生徒会の一員である君の意見を聞きたい」
この局面で東田の意見が問われるのは、当然のことであり、また祇園が予想したとおりのことだった。
東田は起立した。
――彼女の前の机上に一枚の紙片が置かれていることに、はたして那珂川は気づいただろうか。
東田は、明確な口調で答える。
「今、清川普青書記が次期生徒会長にならない意思を示したうえ、最有力候補者となった祇園側用部長まで追い出すことになっては、いつまでも会議の決着がつかないでしょう。……議長、あなたのするべきことは決まっているはずです」
穏やかだが揺るぎない、東田の断言だった。
そして……小柄だが、自信と力感に満ちたような東田の立ち姿を、那珂川は眩しそうに眺める。
彼は苦くも満足げに、薄く笑った。
「……東田会計の意見はもっともだ。議長のなすべきことは、会議をまとめ、停滞させず、議論の末の結論を導き出すことだった。そのことを失念して、判断に迷うとは……私まで、任期の最後に醜態を晒してしまったらしい。失礼した」
出席者たちに深く頭を下げる。
再び顔を上げたとき、那珂川の、いつもの冷厳な眼光は復活していた。
彼は鋭く、左右の姉妹に命じる。
「清川会長、清川書記。着席するように。――会議を再開する」
その命令に、清川会長は驚いたらしい。
彼女と那珂川議長は、書記と会計として一年以上前に生徒会本部に入った頃からの同期の仲だ。
常に自分に従い、自分を補佐してきた彼が……おそらく初めて、背いたのだ。
「那珂川……お前まで、私を裏切るのか?」
「清川、分からないのか? 君と私の生徒会は、もう終わったらしいぞ」
「…………」
「私たちの後輩は、自分たちだけでやっていけると言う。それなら……あとは任せて、私たちは退場するしかない」
珍しく穏やかな、那珂川の声だった。
それを聞くと、清川会長は力が抜けたように、自席へ崩れ落ちた。
……そして、直後におこなわれた第五回投票の結果は、以下のとおりだ。
祇園渚卯子・側用部部長――七票。
小櫃渉・総務委員長――――二票。
無効票――――――――――一票。
「右の投票結果を受け、生徒会規約第五条および会議規則第十八条第二項により、本会議は、祇園渚卯子君を次期生徒会長に指名することに決した」
九時二十九分。
那珂川議長の宣言によって、ついに生徒会長選出会議は終決した。
次回
第40話
秋の空に昇る白煙




