第38話 普青の真意、祇園の目標
会議における清川普青の発言は、これが初めてだった。
「せっかく、祇園先輩が私に尋ねてくれたんです。その質問には、答えさせてください」
「それは、つまり……」
「はい。先ほど祇園先輩が話してくれたように、今まで私は、ずっと白票を投じてきたんですよ。……先輩の推理はお世辞にも完璧なものだったといえないでしょうが、それでも、真実に到達していたわけですね」
その告白に、再び、議場がざわめいた。
祇園も衝撃を受けていたが、すぐに彼女は、会議の流れが変わったことを察した。
静かに着席すると、表面上だけでも余裕のある声で、清川普青に告げる。
「一つ付け加えると、この推測は、私の部下の俵田くんがはじめに言ったことだ。私は、彼の考えを借りただけにすぎない」
「……彼から、私のことは聞きましたか?」
「いや……昨夜、あなたと俵田くんとの間に何かの話があったようだが、それについては聞かされていない。……私が言うのもなんだが、彼は『約束』を守った、と保証するよ」
「そうですか。もし、彼が秘密を洩らしたなら、私も清川会長に祇園先輩の反逆を伝える――という約束だったのですが。……まあ、そうならなかったというのは、お互いに結構なことですね」
淡々と応じてから、清川普青は付け加えて言う。
「……俵田が先んじて『答え』にたどり着いていた、ということですが。まあ、彼は、この会議に出席している中で唯一の、私の同級生ですし。彼が私を見る視点は、他の先輩がたより鋭いものだったのかもしれませんね」
そう言うと、清川普青は俵田に向かって微笑んだ。
その微笑は奇妙に迫力のこもったもので、俵田は、同級生の初めて見せる表情に驚いているようだった。
「さて、話を戻しましょう。――なぜ、私は白票を投じたのか? 次期会長候補者の私が、なぜ、中立の行動をとったのか?」
静かだが確かな口調で、清川普青は一同に告げる。
「その理由は……簡単なことです。私には、生徒会長になろうという意志がないんですよ」
「普青!」
会議の情勢も自身の陣営も一瞬で崩壊させてしまう危険な発言に、清川会長が鋭い制止の声を飛ばした。
しかし、姉の叱咤にも、清川普青は平然としている。
「お姉ちゃんは少し黙っていてください」
「な……?」
「今まで、ずっと、私は口を閉ざして黙ってきたんです。せめて今ぐらい、好きに話させてくださいよ」
「う、ぐぅ……」
これを聞いた、おそらく全員が同じことを思っただろう。
「あの清川会長を黙らせた!」と。
清川会長や那珂川議長も含めて、会議に出席する、機枢高校の上位にある実力者たちが、彼らより年少の清川普青に圧倒されている。
これまで、ただ大人しく事態を静観していたはずの清川普青は、今、変貌を果たした。
彼女は落ち着いているが迫力のこもった弁舌で、会議の主導権を握ってしまっている。
「会長になる意志が薄弱な私は、みずからの進退を会議の結果に委ねようとしました。私以外の人が次期会長に選ばれたのなら、それも良し。もし、私が選ばれてしまったら、そのときは、大人しく姉の後を継ごうと思っていました」
一度、言葉を切ると、清川普青は微かな苦笑をつくった。
「明らかになってしまえば、大したものではないですが。真意・真相などというものは、得てしてそういうものでしょう。……まあ、とにかく、会議の結果にこちらから干渉しないよう、私は白票を投じたというわけです」
清川普青の告白に、清川会長は妹以上の苦い表情を浮かべていた。
これを見て、祇園は奇妙に思う。
――あの清川会長が、妹の本心に気づいていなかったのか? それとも……生徒会長を継がせることこそ妹のためと思って、気づいても無視していたのだろうか……。
しかし、祇園の思考は、急速に現実へ揺り戻された。
清川普青が、彼女の名を口にしたのだ。
「祇園先輩。こうして会議を傍観していた私ですが、なかでも先輩には注目していました。なので……先輩が次期会長を目指せるようにと、望陀風紀委員長に手紙を送るなど少しだけ手を出してしまいましてね。それだけが、私が会議に干渉した唯一の例外です」
「……どうして、私を?」
「興味を覚えたからですよ。以前、祇園先輩は、この機枢高校を変えようとして、生徒会長を目指していたそうですね。結局、その夢は一度、諦めてしまったようですが……」
「…………」
「しかし、祇園先輩は、この学園をどのように変えようとしたのか――それが、どうにも気になってしまいましてね」
表情を真剣なものに切り替えて、清川普青は言う。
「先ほどから会議の中断を待ってもらっているのは、それを祇園先輩から直接に聞くためです。先輩が会議から追放されたら叶わないことですからね。ですので……もし、祇園先輩の答えが私の期待を下回るものなら、そのときは、即座に会議を中断していただいて構いませんよ。那珂川議長」
「ん? ん……了解した」
突然に言葉を向けられ、那珂川は虚を突かれたように、短く容認しただけだった。
普段は冷静な彼も、清川普青によって失調してしまっていた。
彼の扱い方だけでなく、ごく短い時間で会議の流れを支配してしまったその様子からは、彼女が真実、姉譲りの力量を有しているのだと分かる。
その清川普青は、表面上だけ穏やかだが、底から圧迫するような口調で、祇園に問う。
「では、質問させていただきます。側用部部長・祇園渚卯子先輩。あなたは、この機枢高校をどのように変えようと思っているのですか?」
質問が、放たれた。
その返答は、確実に、祇園の運命を左右するだろう。
そして、議場の視線も、清川普青の軛を逃れ、祇園に集中した。
重大な局面だった。
祇園が少しうつむくと、震える己の手が見えた。
――また、私の臆病心が出たか。
苦くも冷ややかに、祇園は自身を俯瞰する。
そのまま、彼女は自嘲しようとするが……それは、唐突に制止された。
俵田が隣から、祇園の震える手を握ったのだ。――まるで、昨夜の再現のように。
「また、勝手にこんなことをして、すみません。……ですが、祇園先輩は大丈夫です。きっと、うまくいきます」
「まったく、君は……ああ、分かったよ。ありがとう」
祇園は優しく微笑む。
手の震えは、収まっていた。
俵田に頷き、ゆっくりと手を放す。
そして、祇園は力強く立ち上がった。清川普青と、こちらを鋭く睨む清川会長、双方に対峙する。
「私は、この学園の、ごく一部の生徒が多数の一般生徒を支配するという校風を変えたいと思っています」
言うと、祇園は右手を前に突き出し、三本の指を立てた。
「そのために、機枢高校を変革する三つの目標が、私にはあります。生徒会の権力を自制させるための、三つの目標です」
昨夜、俵田や望陀たちだけに語った「三つの目標」
それを今、会議という公の場で明らかにする。
「まず、一つ目。生徒会本部の専制によって、その権力が濫用されることがないよう監視するための機関をつくります。会計が適法かを検査する『監査委員会』、校則が適正かを審査する『法規委員会』。これら二つの委員会を新設することで、生徒会本部、生徒会長の権力の自制が半ば実現するでしょう」
祇園は指を一つ折ってから、続きを語る。
「次に、生徒会本部役員、各委員長、各クラス会長からなる合議機関『全校評議会』を開設します。これは、開設初期では生徒会長の意思決定への協賛機関に過ぎませんが、徐々に権限を移していき、最終的には、予算と校則を決定できる唯一の機関にします。これによって、生徒会権力の自制が完成し、これまでの生徒会専制が改まるでしょう」
また一つ指を折り、祇園は最後の「目標」を一同に告げる。
「そして……これまでの、密室の中、限られた者だけでおこなう生徒会長選出を、機枢高校の生徒全員に開放します。生徒会長公選制。全校生徒の投票による選挙で、新しい会長を決めるということです。……この枢要館での密室会議も、おそらく今回で終わりになるでしょう」
最後の指を折った。
そして、握り拳となった右手を胸に当て、決意も強く、言い放つ。
「以上、三つの目標を私は実現してみせます。機枢高校の生徒会改革を成し遂げ、この学園の校風を変えてみせます。そのために、私は生徒会長になろうとしているのです」
「……そんなことをして、何になる?」
鋭い否定の言葉は、今まで黙していた清川会長が放ったものだった。
「この機枢高校は、集中された権力を生徒会長が振るうことで、今まで動いてきた。その権力を分散し、弱めることは、機枢高校それ自体の弱体化に繋がるだろう」
「……たしかに、これまでこの学園は、あなた一人の辣腕によって守られてきました。あなたは、本当に、偉大な生徒会長でした」
それは、祇園の本心からの言葉だった。
彼女は今でも、清川会長を敬愛している。それでも、彼女は自身の夢と野心と目標のために、反逆したのだ。
清川会長の気迫にも怯むことなく、祇園は答える。
「しかし、『偉大な生徒会長』も、やがては卒業し、この学園から去ってしまう。……では、その後は? あなたの後を継げる者なんて、いやしません。誰も、私も、一人では無理です。だから、機枢高校の生徒全員で、あなたの後を継ぐ。あなたの権力を、仕事を、責任を、全員で分かち合う。私の生徒会改革は、そのためのものです」
断言すると、祇園は今度、清川普青を見た。
「清川普青生徒会書記。これが、私の答えだ。もし、あなたが賛同してくれるのなら、力を貸してほしい」
それは、堂々とした要請だった。
祇園が語り終えると、しばらくの間、会議室を静寂が包む。
清川普青の答えは――誰もが沈黙の中で見守っているのだろう。
そして、清川普青は返答した。
次回
第39話
踊る! 生徒会長選出会議




