第35話 決戦の前
八時七分。祇園の部屋。
祇園と望陀風紀委員長、雨城文化委員長ら「大浴場の盟約」の三人は、ここで会合をもった。
本日の会議再開の時刻は八時三十分なので、その前に、互いの情報と意見を交換し、過半数の票獲得に向けた作戦を決める。――そのための会合だった。
まず、口を開いたのは、雨城だった。
「祇園。平山体育委員長が、君に協力を申し入れてきた」
「え……?」
「条件は、体育系部活動の廃部計画撤回。それと、予算面における体育委員会への配慮。まあ、これまでの文化委員会びいきを改めろ、ということだな。そちらについて私から異存がないことは、昨夜の大浴場で言ったとおりだ。あとは、君の判断しだいだが……」
「……え? え?」
雨城の語ったことを、はじめ、祇園は理解できなかった。
数秒ほど遅れて、ようやく思考が追いついても、まだ信じられない。
平山が、いきなり味方になろうとしていることもそうだが、それが「政敵」である雨城の口から告げられるとは……。
――文化委員長と体育委員長の間には何かあると思っていたが、まさか……。
胸中でつぶやいた祇園だが、すぐに思考を切り替えた。
今は、二人の秘めた関係よりも、それによって生まれたのだろう平山の協力について考え、決断するべきだった。
「……分かった。平山委員長の申し入れを受けよう。彼女からの条件も、私が生徒会長になったら、必ず実行する」
「そうか。なら、平山も君に忠誠を尽くすだろう。その点は、私が保証する。それと、君が投票で勝負に出る時が決まったら、私から彼女に伝えよう」
「それは、ありがたいけどね。しかし……雨城。この会議が終わったら、君と平山の関係について教えてほしいな。あの平山を口説き落とすほどの、秘密の関係について」
祇園のやや冗談めかした要求にも雨城は答えないで、ただ、にやりと笑うだけだ。
――こいつ、私に教える気はないな。
と、悟る祇園だった。
そして、次は彼女が、雨城と望陀に重大な情報を告げる。
「じつは私も、今朝、ある人物の協力が見込めそうになった」
「誰です?」
尋ねた望陀に、祇園は微笑してから、その名を放つ。
「保健委員長・下郡栞」
祇園の口から飛び出た名前に、望陀と雨城は、揃って驚愕の表情を浮かべた。
とくに雨城に関しては、つい先ほど驚かされた、その意趣返しができたようで、祇園は会心の笑みとなる。
「下郡の説得に、今、俵田くんを向かわせているところだ」
「しかし、祇園ちゃん。どうしてまた……」
驚愕から怪訝な表情に移り変わった望陀と雨城へ、祇園は、その事情――小櫃委員長からの依頼と、祇園が次期会長になった後に生徒会議長の役職を下郡へ与えるという条件を説明した。
「……雨城。君には、生徒会議長の件を相談しないまま、事を進めてしまったが。君も、議長になりたかっただろうか。だったら……」
「ああ、いや。それは気にしなくていい。私は、下郡みたいな野心家じゃないし、今の文化委員長だけで精一杯だからね。議長の職は……正直なところ、小櫃以外なら誰がやってもいい」
「雨城ちゃんも私と同じですね。自分の委員長の仕事に集中したい。でも、小櫃総務委員長に任せては、旧内務委員会勢力の復権に繋がるかもしれないから、それはやめてほしい……と。まあ、下郡ちゃんも充分に危なっかしい子ですが。祇園ちゃんなら、抑えられるでしょうね」
そう言った望陀に、今度、祇園が尋ねる。
「望陀からは、何かないか?」
「そうですね……二人みたいに、誰かを味方にしてきたって話ではないんですが」
少し思案してから、望陀は告げる。
「じつは、昨日いろいろあって、伝えられなかったことがあるんです。――私が、第一回投票から、祇園ちゃんに票を入れている事情を」
「それは……望陀が、私を生徒会長にしたいと思ったからじゃないのか?」
「もちろん、そのとおりです。それがいちばんの理由ですが。しかし、それだけでは……」
望陀は、慎重に言葉を選ぶような口調で説明する。
「考えてみてくださいよ。もともと、清川普青は、全十票のうち七票を取れるはずだったんですよ。そこから私だけが離反しても、清川普青は六票。過半数は取れるから、すぐに次期会長になってしまう」
「望陀が抜けたところで、それだけでは私を生徒会長にすることができない、ということか。しかし……なら、どうして、お前は清川会長を裏切ったんだ?」
「私の他にも、清川会長を裏切る人間がいる。清川普青は五票しか取れず、次期会長になることができない――それが、あらかじめ分かっていたからです」
「……どういうことだ?」
「その情報が、匿名で、私のところに持ちこまれたんですよ。会議の数日前ぐらいですかね。正体不明の怪文書でしたが……それを受けて、半信半疑のまま私はとりあえず行動してみました」
驚きに、祇園は目を見張った。
友人に頷くと、望陀は続けて語る。
「誰がそのような情報を私に教えたのか、名前は分かりませんし、理由も不明です。けど、会議が始まってみると、その情報のとおりに、私の他にも清川会長を裏切る人がいたわけで……」
「第一回投票から、ずっと白票を続けている人物のことだな。すると、そのことをあらかじめ知っていたというのは……情報を望陀に教えた人間が、つまり、『白票の人物』なんじゃないのか」
「そうですね、その可能性は高いと思います。しかし、どうして、そんなことを……まるで、祇園ちゃんを次期会長にしたいみたいじゃないですか」
「いや、私を次期会長にしたいなら、私に票を入れるだろう。白票というのは、おかしい。……どうして、白票なんだ?」
祇園は考えたが、答えは見つからない。
そこへ、今まで黙って話を聞いていた雨城が、口を開いた。
「……傍観、しているのでは?」
「傍観?」
「はじめに情報を漏らすことで望陀委員長を動かし、会議がすぐに決着しないようにする。そうして、きっかけをつくると、後は手を出さないで、祇園が次期会長を目指す様子を眺めるだけ……理由は知れないが、その人物は、会議を傍観しているようだ」
傍観――その語を聞くと、祇園の内に、ある考えが浮かぶ。
昨日の夕食時に、俵田と話したことだ。
――いや。……まさか。
昨日に俵田から聞かされたそれは、まったく根拠のない推測だ。それを、祇園はまだ信じられないでいる。
しかし……。
祇園は迷ったが、結局、これ以上の推測を止めた。
あまりに不確かなことが多かったのだ。
「……今は、『白票の人物』について、あれこれ思い悩むのはやめよう」
「『語りえぬものについては、沈黙しなければならない』っていいますもんね」
「ヴィトゲンシュタインか。いや、あれとは微妙に意味が違うんじゃ……」
望陀にツッコむ祇園。
その漫才にはあえて触れないようにして、雨城が話をまとめる。
「『白票の人物』が何を企んでいても、後は下郡を味方にできれば、そのまま会議を終わらせられるだろう。些事には拘らわず、この際は我々の目的に向かって直進するべき……かな」
こうして、三人の話に一応の決着がついた、そのときだった。
突然、部屋のドアがノックされる。
瞬時に祇園たちは口をつぐみ、緊張した。未だ極秘の反逆計画を、清川会長陣営に知られるわけにはいかないのだ。
……しかし、続いてドアの向こうから届いた声は、彼女たちの怖れるものではなかった。
「先輩。俵田です。ただいま帰りました」
安堵の表情で迎え入れた祇園に、俵田は告げる。
「下郡保健委員長と、話をしてきました。彼女は驚いていましたが……『祇園先輩に投票する』と」
「よし! ありがとう、俵田くん。さあ、いよいよ、このときが来た」
「いよいよ、だな」
「いよいよ、ですね」
嬉しそうに笑みを交しあう三人の先輩に対して、俵田は、まだ状況をよく認識できていないようだ。
「その……何が、『いよいよ』なんですか?」
「俵田くん。君がいない間に、平山体育委員長が私へ協力することになった。それによって今、私を支持するのは、望陀と雨城、平山、下郡の四人の委員長。彼女らの票に、私と君、二人の票を加えると?」
「……六票。あっ! 過半数です」
「そう。会議を制して次期会長となる、そのための票数が、ついに揃ったわけだ」
高揚感に声を微かに震わせながら、それでも努めて冷静に、祇園は言った。
「次の投票で、勝負に出る」
側用部部長の祇園は、ひとたび清川会長に逆らう意思を表してしまえば、簡単に会議から追放されてしまう。
それを避けるためには、清川会長から反逆計画を気づかれずに会議へ臨む必要がある。
そして、ただ一度の投票で、電撃的な素早さをもって勝利するしかない。
その勝負のとき――決戦のときを、次の第四回投票に祇園は定めたのだ。
声を引き締めて祇園は、雨城に平山へ、俵田に下郡へ、それぞれ次回の投票を要請するよう指示した。
そして、祇園は不敵な自信をこめて、一同へ言い放った。
「次回の投票が、一度きりの、最初で最後で最大の勝負だ。ここを勝って、私は生徒会長になる!」
次回
第36話
第四回投票――最初の勝負




