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第34話 保健委員長を落とす武器




 朝食の後、さっそく俵田は下郡保健委員長の部屋に向かい、そのドアをノックした。


 出てきた下郡は、俵田を見ると一瞬、きょとんとした。

 やがて、彼女は相手の顔を記憶の中から見つけだしたらしい。


「……あなた、たしか祇園の部下だったわね」

「俵田です。側用部の部員で、一年の」

「そう。……それで? 側用部の部員が、こんな朝から私に何の用かしら」


 怪訝な声で、下郡は尋ねた。

 この時点で、まだ側用部は反逆の意志を隠し、表面上は清川会長の陣営に属している。小櫃総務委員長の盟友である下郡には、会議における敵だと映るのだろう。

 さらには、そうした勢力関係を抜きにしても、祇園側用部長と下郡は仲が悪かったのだ。


「……なんの用もないなら、さっさと帰ってくれる? 祇園(あいつ)の部下と話すことなんて、こっちにはないんだけど」

「いえ、下郡委員長。用件はあります。大切な用件が。……総務委員長から依頼されたことです」

()()……小櫃が?」


 少しだけ動揺しつつ、下郡は確かめた。


「わた」と彼女は漏らしたが、それが何なのか俵田には分からなかった。

 ──総務委員長・小櫃の下の名前が「(わたる)」であることは、俵田の知識になかったのだ。


「……入りなさい。話だけは聞いてあげる」


 小櫃総務委員長の名前を出されたことが、下郡の態度を変えたようだ。

 彼女は、俵田を自室に入れた。




 単刀直入に、俵田は伝える。


「小櫃総務委員長からの依頼です。下郡委員長、あなたには、祇園先輩の陣営に移ってほしい」

「……は?」


 当然のように、下郡はその依頼をすぐに理解できなかったようだ。

 彼女に、俵田は一から丁寧に説明した。


 側用部部長・祇園が清川会長に反逆し、みずから次期会長になろうとしていること。

 その意志を知った小櫃が、自身の盟友だった下郡を祇園の陣営に加えてほしいと考えていること。

 小櫃は、自分が会議に勝てないことを悟っていて、その「負け戦」に盟友を巻きこまないよう、祇園に依頼したということ……。


 それらの事情が、俵田を介して下郡に伝えられる。


「……そう。そういうことだったのね」


 聞き終えると下郡は、それだけ漏らした。


「そういうこと?」

「さっき、朝食のときに小櫃から言われたのよ。『この後、君に()()が訪れるだろうから、それを拒まないでほしい』ってね」

「それは……」

「笑えるでしょ? あの、普段は何の面白みもない男が、深刻そうに眉を寄せて、そんなセリフを吐いたのよ」


 皮肉っぽく言った下郡だが、直後に彼女は弱々しくつぶやく。


「あの馬鹿。似合わないことを……」

「…………」


 いつもと違う下郡の頼りなげな姿に、一瞬だけ、俵田は気後れしてしまった。

 それでも彼は、自身の使命を果たすため、話を進める。


「……それでは、僕の言ったことも信じていただけますね? 小櫃総務委員長からの依頼のことを。だったら……」

「祇園の陣営に加われ──って? 冗談じゃないわ」

「駄目ですか?」

「当然でしょ。それとこれとは話が別。いくら小櫃の頼みだって、祇園の下につくなんて……」


 あくまでも、下郡は協力を拒む。

 これに対して、俵田は意を決した。──下郡への武器を用いる決意を。


「祇園先輩は、協力の見返りとして、次期政権の中であなたを厚遇すると言っています」

「厚遇?」

「生徒会役員・()()()()()()()()()と」


 これこそが、下郡保健委員長を落とすべき武器だった。


 生徒会議長は、生徒会長に次ぐ、政権ナンバー2の地位だ。その権威と職権は、とりわけ下郡のような野心家には魅力的に映るだろう。

 現状、祇園が持っている中で、最強の交渉カード。

 それを今、下郡に使ったのだ。


 ……効果はあった。

 議長職を示されて、たしかに下郡は反応した。普段から爛々と光らせている野心的な瞳を、さらに輝かせる。


 少しの沈黙の後、それでも慎重に、下郡は確かめる。


「……祇園にしては奮発した条件だと思うけど。実際に祇園(あいつ)が政権を取らなきゃ意味がないわ。画餅(がべい)に釣られるほど、私は安くないわよ」

「大丈夫です。祇園先輩は絶対に次期会長になります」

「だから、その根拠を……」


「現時点で、望陀風紀委員長と雨城文化委員長の二人が祇園先輩の仲間になっています」


「……なんですって?」


 驚きに、下郡は目を見開いた。

 俵田は畳みかける。


「僕も当然、祇園先輩に投票しますので……祇園先輩は四票を取ることが確定しているんです。これに、あなたの票が加われば、五票。過半数を取って次期会長に指名されるまで、あと少しってところに来ているんです」

「…………」

「……ここから先は、僕の私見ですが」


 そう前置きして、俵田は自分自身で考えたことを告げる。


「祇園先輩は清川会長に反逆することになります。当然、次の祇園政権では、これまでの清川会長の影響力は失われる。清川会長による生徒会専制も改まるでしょう」

「…………」

「そうなれば、今まで清川会長に抑えこまれていたあなたの保健委員会や小櫃先輩の総務委員会が、相対的に力を増していく。祇園先輩が次期会長になることには、あなたたちにもメリットがある。だったら……」


 そこまで俵田が言ったとき、下郡は片手を出して、彼の言葉を抑えた。

 黙りこんだまま、彼女は思い悩んでいるようだ。


 しばらく、沈黙が続いた。

 そして、ついに下郡は口を開く。


「……分かったわ。分かったわよ」


 一度、大きな溜め息をついて、彼女は続く言葉を伝える。


「次の投票では、祇園に入れる。あいつに、協力するわ」




 その交渉成果を祇園に報告するため、俵田は礼を言うとすぐに退出した。

 足早に出ていく彼の姿は、まるで、投げられたフリスビーを咥えて飼い主のもとへ駆け戻る子犬のような……。


「……羨ましいわね」


 一人だけになった部屋の中で、下郡は、ぽつりとつぶやいた。


 俵田にとっては、まぎれもない吉事だろう。下郡が陣営に加わったことで、敬愛する祇園が勝利に近づいたのだ。

 しかし、下郡にとっては……。

 彼女にとってみれば、盟友である小櫃の勝利を諦めて、祇園の下につかなければならなくなったわけだ。

 俵田と下郡とは、対照的な立場にあっただろう。


「はあ……」


 もう一度、下郡は大きな溜め息を吐きだした。

 そして、心の底から不愉快そうに、彼女はこぼす。


「……まったく、ここには馬鹿しかいないわね。俵田(あいつ)も、祇園(あいつ)も、小櫃(あいつ)も。――そして、私も」


 苦々しいその言葉を聞いた者は、彼女の他にいなかった。





 次回


 第35話

 決戦の前

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