第33話 違和感と信頼
七時三十分。朝食の時間だ。
祇園は食堂に入ると、昨日の夕食と同じように、亀山選出監理委員長から弁当を受け取った。
朝食の弁当は、おにぎりが二つ。それに数切れの沢庵が付いただけの、質素なものだった。
「……やっぱり、あれは本当かもなぁ」
「あれ」とは、早期に会議が終決するよう出席者たちに働きかけるために、あえて選出監理委員会は簡素な食事を提供しているのだという、祇園の推測のことだ。
自分で言いながら、それほど本気で考えていたわけではなかったが……手元のおにぎりを眺めていると、その推測も信じる気になってきた。
「……なに、この食事も、これで最後だ」
――私が、この会議を終わらせるのだから。
決意を新たにした祇園は、視線を周囲に転じた。
そして、信頼する部下の姿を見つける。
祇園は静かな歩みで、彼が座る席に歩み寄った。
彼の後ろから、張りのある声を放つ。
「おはよう! 俵田くん」
「うわぁっ!?」
……祇園の内に、彼を驚かせようという意図はあった。単純な悪戯心だ。
それでも、俵田の示した反応は、冗談で済ませられないくらいに大きなものだった。
驚愕というよりは、なぜか恐怖の表情を浮かべている。
怯える彼に、祇園は罪悪感を抱いて、すぐに謝る。
「……ごめん。驚かせちゃったね」
「あ。ああ……いえ。大丈夫です。祇園先輩」
「朝食。いっしょにいいかな?」
「え、ええ……」
俵田の応答は硬く、ぎこちないものだ。
そこに祇園は、わずかだか違和感のようなものを覚えた。
テーブルを挟んで彼の向かいに座りながら、祇園は聞いてみる。
「ほんとに大丈夫? なにかあったら私に……」
「な……なにもないですよ。はい、本当に」
俵田の声は微かに震えていた。
彼の顔を見ると、たじろいだような、あるいは、なにか思いつめたような陰がある。
とても、無視できるものではなかった。
少し考えをめぐらせてから、祇園は尋ねる。
「もしかして、私に言えないような隠しごとをしている――とか?」
「ぎくり」と、まるで音が聞こえてきそうなくらいに、俵田は硬直した。
――図星か。
胸中で溜め息をつきながら、それでも顔には穏やかな表情をつくって、祇園は告げる。
「……俵田くん。仮に、君が秘密を抱えていても、陰で私に言えないようなことをしていても、私は君を怒らないよ。追及もしない。……君が、私を裏切るはずがないからね」
「祇園先輩……」
「私は君を信じているから。だから、隠しごとの一つや二つ、あったっていい。私は、笑って見過ごすよ」
そう言いつつも、祇園の微笑みは、つい寂しげなものになってしまった。
言葉よりも、その先輩の表情が、俵田の心を揺さぶったのだろう。
苦しそうに顔をしかめ、しばらく思い悩んでいるようだ。
……そして、ついに彼は重い口を開く。
「じつは、昨日の夜に……」
「俵田」
背後からの呼びかけが、俵田の言葉を遮った。
彼は慌てて振り返り……再び硬直した。
「き、清川……」
いつの間にか俵田の後ろに立っていたのは、生徒会書記・清川普青だった。
彼女の姿を見ると、俵田は露骨に動揺を浮かべる。
――なるほど。昨夜、清川普青と何かあったな……。
そう観察しつつ、祇園も俵田の肩ごしに生徒会書記を見た。
二人に対し、清川普青はまず軽く会釈する。
「お話し中のところ、すみません」
「……なにか?」
「いや、たいしたことではないんですが」
そう言いながら、清川普青は片手に持っていたものを見せる。
それは、食事の前に選出監理委員会が配っていた、ペットボトルの緑茶だった。
「『お茶が余ってしまったので、欲しい人に渡してきてほしい』と」
「……亀山委員長が、あなたに?」
祇園が尋ねたのは、そのような雑事を亀山選出監理委員長が「清川会長の妹」に頼むだろうか、と疑問に思ったからだ。
亀山は権威に従うタイプの人間ではなかったが……普通は彼自身が行くか、部下の選出監理委員に任せるところだろう。
その疑問に、清川普青は薄く笑って答える。
「私から言ったんですよ。俵田が欲しがっているみたいだから、私が渡してきます――と」
「……そうなの? 俵田くん」
「は? いや、僕は……」
彼の反応を見るに、清川普青の言葉は嘘だろう。
おそらく、俵田が「昨夜にあった何か」について漏らしそうになったから、適当な理由をつけて止めに来た――というあたりか。
推察すると、祇園はとにかく、邪魔者を追い払おうとした。
大切な部下を心理的に支配しようとする相手に、向ける言葉は刺々しい。
「俵田くんは別に欲しくないそうです。他を当たってください。……清川書記」
「ええ、そうすることにしましょう。……祇園側用部長」
互いに刃を内包したような鋭さで呼びあう二人だった。
それでも清川普青は、素直に引き下がる。
彼女の後ろ姿を見送ってから、祇園は俵田に向き直った。
「清川普青に監視されてたら、なにも言えないよね。……うん。まあ、さっきも言ったけど、私は無理に聞かないよ」
「……すみません。彼女とは約束――みたいなものをしていて」
「約束、ねえ……」
微かな苦笑まじりに、呆れたような声をこぼす祇園だった。
……少しの間をおいてから、改まって俵田は告げる。
「祇園先輩。これだけは言わせてください。僕は、先輩を裏切りません」
「うん。知ってる」
「状況は少しずつ良い方へ向かっています。祇園先輩は、きっと会議に勝って、次期会長になります。なので……諦めないでください」
「諦めない?」
「はい。どんな逆境にあっても、絶対に」
真剣な顔つきで、言いきった俵田だった。
それでも、直後に彼は申し訳なさそうに身を縮ませてしまう。
「すみません。僕から言えるのは、ここまでです」
「……分かった。ありがとう、俵田くん。……じゃあ、この件は、とりあえず終わりにしよっか」
祇園は、口調を明るいものに切り替えた。
「じつはね、昨夜から、私の支持者が増えてきたんだ。まず、望陀風紀委員長と雨城文化委員長。二人は私の盟友として、協力することを約束してくれた」
「す……すごいじゃないですか! 一気に二人も!」
「ふふん。二人だけじゃあない。……保健委員長の下郡。彼女も味方にできる可能性がでてきた」
「……下郡委員長も、ですか?」
「ああ。うまくいけば、彼女らの三票と私たちの二票を合わせて、五票。会議の票の半数を獲得できる。次期生徒会長になるまで、あと少しというところまで、私は来ている」
高揚をなんとか自制しつつ、祇園は語った。
続けて、小櫃総務委員長からの下郡を委ねるという「依頼」について、手短に説明する。
「……俵田くん。君には、その下郡を味方にする交渉を任せたい。彼女に小櫃委員長の件を伝えて、私の陣営に加わるよう言ってほしい」
「ぼ、僕が、ですか? 祇園先輩ではなく?」
「私は時間がなくてね。この後、会議でどう戦うか、望陀や雨城と話さなければならない。だから、君しか任せる人がいないんだ」
「けど、僕なんかが、あの下郡委員長と交渉するなんて……」
「大丈夫。君ならできる。これまで君は、私の近くで、側用部の仕事を学んできたんだから。委員長相手の交渉なら、充分にこなせるはずだ」
「先輩……」
「……それに、下郡を従わせる絶対的な条件、最強の武器が、こちらにはある」
「武器……それは?」
緊張の声で尋ねた俵田に、祇園は説明する……。
「……というのを取り引きの材料に使う。野心家の下郡に対してなら、きっと、有効な交渉カードになるはずだ」
「なるほど……」
「俵田くん。私は、君を信じている。きっと成功するってね。だから、引き受けてくれないか」
真剣な視線と口調で、祇園は頼んだ。
……これに、俵田は即答しないで、しばらく悩むような顔つきになる。
それでも、やがて彼は答えた。
「……分かりました。微力を尽くしましょう」
そう言って、俵田は祇園の頼みを引き受けたのだった。
次回
第34話
保健委員長を落とす武器




