第32話 総務委員長の依頼
側用部部長・祇園渚卯子は、清川会長より遅れること四十五分――六時三十分に目を覚ました。
身支度を済ませると、彼女は部屋の外へ出ようとする。
朝食まで、散歩を――といっても、枢要館の外に出られるわけではないが――しようと思ったのだ。もしかしたら、俵田や望陀たちと会うかもしれない。
祇園は、ドアノブに手をかけた。
そのときだ。
彼女は、ドアの下に紙片が差し込まれていることに気づく。
拾って見ると、それは、祇園を呼び出す手紙だった。
第一会議室。
まだ選出会議が始まる前のそこには、ふつう、誰も訪れることがない。
密談にはふさわしい、この部屋が、手紙で指示された場所だった。
祇園が入室すると、中には、一人の男子生徒が待っていた。
総務委員長・小櫃渉だ。
「……小櫃総務委員長。私に何の用ですか」
警戒しつつ、祇園は小櫃に尋ねる。彼女の口調も、次期会長を狙う者ではなく側用部としての丁重なものだ。
それに対し、小櫃は淡々とした声で告げる。
「単刀直入に言おう。祇園側用部長、君は生徒会長になるつもりか?」
一瞬のうちに、祇園は身構えた。
これまで清川会長と対立し、これからは次期会長職をかけて祇園とも争うことになるだろう、その小櫃が、祇園の秘めた野心を知っている……?
「…………」
驚愕と困惑に、祇園は数秒ほど声が出なかった。
それでも、彼女は動揺を抑えて言う。
「……さて、なんのことかな」
「なるほど。やはり、事実か。君は、生徒会長になろうとしている」
祇園のはぐらかしを冷ややかに無視して、小櫃は断言した。
祇園が返答するまでの沈黙――それは数秒ほどの空隙だったが、小櫃が確信するには充分な時間だったのだろう。
その空隙に、彼は祇園の動揺を見抜いたのだ。
つまり、小櫃は祇園の野心を確かめるために、かまをかけたのだった。
それに、祇園は釣られてしまった。
――小櫃め……!
祇園は心中でうめく。
彼女は、これまで小櫃を生徒会長になれる器ではない、と見ていたのだが、どうやら、それは過小評価だったらしい。
この小櫃は、今までずっと、あの清川会長と戦ってきた男なのだ。
会長の下働きに甘んじていた祇園が、彼を軽んじてよいはずはなかった。
心中で小櫃への評価を改めつつ、祇園は気を引き締めて答える。
「……そうだ。私は、清川会長から独立して、次期会長を目指す。だから、あなたとも、これからは会長職をかけて戦うことになるだろう」
これ以上はぐらかしても、小櫃には見抜かれるだろう。
そもそも、そのように卑怯で姑息な振る舞いは、祇園の好むところではなかった。
胸を張って、祇園は自己の野望を明らかにする。
その堂々とした宣戦布告に、小櫃は興味を覚えたようだった。
「……分かった。ならば、こちらとしても、君を会議における敵手と認めよう。ただ……その前に一つ、頼みがある」
「頼み? 私に可能で、私に不利にならないことなら喜んで受けるが」
「それなら大丈夫だ。君には、かえって有利になることだろうから」
一瞬だけ薄笑をつくると、小櫃は明確に告げる。
「保健委員長の下郡を、君の陣営に加えてほしい」
小櫃に驚かされるのは、これで二度目だった。
はじめ、聞き間違いではないかと祇園は疑う。
自身の味方を敵対陣営に委ねようとするなど、にわかには信じられない。
「なんのつもりだ」
露骨に不審そうな視線を向けて、祇園は小櫃に問う。
これに、彼は落ち着いて答えた。
「……下郡の望みは、自身の手で次期会長を就任させて、学園内での力を増すことのようだ。できることなら、生徒会長の黒幕として、陰の権力者になりたいと思っているのだろうが……これは、君としては無論、認められないだろう」
「あたりまえだ。誰が好きこのんで、あいつの傀儡になりたがるか」
「だろうな。しかし、君が生徒会長になることに協力したなら、以後、下郡の意見を尊重するぐらいはいいだろう? 彼女の立場も、頼りない僕を担ぐしかない在野の現状よりかは、マシになるはずだ」
そこまで聞いて、祇園は小櫃の言いたいことが分かってきた。
「……つまり、あなたは幼なじみの下郡のためを思って、私に依頼しているわけか」
「ああ。彼女の本来の望みからすれば、不満なものかもしれないが……それでも、今の状況よりは良い。彼女も、きっと理解してくれる」
「それなら、あなたが、下郡のために生徒会長になればいいだろう。……ああ、いや。私としては当然、それに対抗するわけだが」
指摘しようとして祇園は、つい、対立候補を支持するような言葉を放ってしまった。
すぐに訂正されたその指摘に、小櫃は苦笑しつつ応じる。
「僕も、はじめはそのつもりだった。僕を応援してくれる下郡のためにも、生徒会長になるつもりだったが……それは、どうやら難しいらしい。たった二票しか獲得していない、これまでの状況では、この会議に勝てないだろう」
「これまでの票数を言うなら、私は一票だが」
「知っている。それでも、君ならば、と思った。これまで側用部部長として働いてきた君には、他の委員長たちからの信望があるだろう。……少なくとも、『内務委員会の後裔』である僕よりは」
昨日の清川会長のように、小櫃もまた、祇園の「委員長たちを統率する」能力を認めているようだった。
だが、そうだとしても、祇園より既に五票を獲得している清川普青の方が次期会長に近いだろう。
清川普青に協力した方が確実なのに、なぜ、小櫃はそうしないのか――祇園は疑問に思う。
しかし、その疑問も一瞬だけのことだった。
最有力候補である清川普青に今さら協力しても、会長就任に貢献する、その度合いは小さいだろう。
それよりは、まだ弱小勢力の祇園に力を貸した方が、後日の見返りを期待できる。
そうした計算に、祇園は気づいたのだ。
それでも他に疑問は残る。
「たしかに、私の陣営に下郡が移れば、私の有利にはなる。しかし、当然ながら小櫃委員長、あなたには不利になるだろう。貴重な支持者を手放すとは……会議の勝利を、次期会長職を、諦めるつもりか?」
問われて数瞬、小櫃は口をつぐんだ。
公的な総務委員長の立場としては、次期会長を目指さなければならない。
しかし、私的な……「下郡の幼なじみ」としては、彼女を負け戦に巻きこみたくない。
二律背反。小櫃の心理は単調でないのだろう。
それでも彼は、祇園に答える。
「……いや、それはない。僕にも、生徒会長を目指す理由がある」
きっぱりと、小櫃は言い放った。
「僕の部下の、総務委員たちが期待しているからな。その期待に、僕は応えなければならないし、応えたいと思っている」
「……そうした理由があるのに、あなたは自分に不利な依頼をするのか。まったく……言っていることと、やっていることが矛盾しているな」
「自覚している。それでも、僕の頭では、こうするしか思いつかなかった。……下郡の知謀には遠く及ばないな」
薄く苦笑しながら答える、小櫃だった。
小櫃は、勝ち目がなくても、最後まで会議を戦うつもりでいる。しかし、その負け戦に盟友の下郡を巻き込まないために、あえて、彼女を手放そうというのだ。
そうした彼の行動に、祇園は、ある程度の理解を覚える。
しかし、祇園もまた、次期会長の座を目指して会議を戦おうとするのだ。
小櫃からの依頼に対しても、彼女自身の利害という観点から、慎重に検討しなければならない。
……一見すると、たしかに、有利な申し出のように思える。
一人でも多く味方を増やしたい祇園にとって、実に好都合な話だ。
しかし、都合がよすぎないだろうか。
――あるいは、罠かもしれない。
そうした警戒の念が、祇園の脳裏に点灯した。
たとえば、祇園の陣営に下郡を送り込み、スパイのように情報収集や妨害工作をおこなわせる。そうした小櫃陣営の謀略の可能性もある。
だが、小櫃の表情や口調からは、彼が悪意をもって罠にはめようとしていると、祇園には見えなかった。
「……一つ、確認したい。先ほどあなたは、下郡が『きっと理解してくれる』と言ったが。それはつまり、この件を下郡は、まだ知らないということか?」
「ああ。彼女には、まだ話していない」
それを聞いて、祇園は確信した。
小櫃の罠ではない。
もし仮に罠ならば、祇園のもとへ送り込まれて工作員となるべき下郡も、この件を承知していなければおかしいのだから。
小櫃が嘘を吐いているということもないだろう。
「この件を下郡は知らされていない」と言ったところで、祇園の不審を買うだけのこと。もし祇園を騙すつもりなら、相応の言葉を選ぶはずだ。
そうしなかったということは、つまり、小櫃は正直に答えている。彼は、本心から下郡を祇園に委ねようとしている。
……しかし、そのことを、まだ当の下郡に知らせていない。
「あなたの言うことは分かった。信じよう。だが……まず、あなたから下郡に説明した方が、彼女の心情的にもいいと思うが」
「いや、僕の口からは言いづらくてね。……彼女、なぜか、僕の前では怒りやすくなるから」
「…………」
「それで、申し訳ないが、彼女に説明する役は君に任せたい」
「それは……少し、無責任じゃないか?」
「すまないとは思っている。……ただ、この一件で最も利益を得るのは君だろう? なら、君も多少は協力したっていいはずだ」
――自分から依頼しておいて、その言葉は少し厚かましくないか。
と、祇園は少しだけ不満を覚える。
しかし一方で彼女は、それに全く納得できないわけでもなかった。
小櫃が言うように、彼の依頼は、祇園にとって有益なものだ。
下郡の一票は、会議を戦い、強大な清川会長陣営に勝利するために重要なものとなるだろう。
それを一切の努力もしないで得ようとは、虫のよすぎる話だった。
「下郡を味方にできるかどうかは、私の力量しだい、ということか」
「……そういうことになるな」
「…………」
口をつぐんで考えるのも、短い間だけのことだった。
すぐに祇園は心を決める。
「分かった。あなたの依頼を受けるとしよう。下郡は、こちらの陣営に加えさせてもらう」
言い放った祇園のうちに、下郡を味方にできるか、という憂慮は存在しなかった。
そのための手段は既に考えついている。
そして、なにより、
「下郡ただ一人を従えさせられないで、この機枢高校の頂点に立つことができるものか」
という気概が、彼女にはあったのだ。
その自信に満ちた祇園の表情を眺めると、小櫃は満足そうに頷いたのだった。
次回
第33話
朝食にて――違和感と信頼




