第29話 闇の中で
「……まずい! 寝すごした!」
慌ててドアを開け、部屋から出てきたのは側用部部員・俵田宮一だ。
十九時に祇園と別れてから、俵田は一人で入浴を済ませると、その後は自室に帰っていた。
彼は、日中の疲れからか、ついベッドでうたた寝をしてしまう。
そうして、たった今、飛び起きたところだった。
寝ている場合ではない。彼には、やらなければならないこと――義務があったのだ。
時刻は二十三時五十五分。その「義務」が始まるまで、あと五分しかない。
既に消灯時間の二十三時を過ぎており、枢要館の廊下は暗い。非常灯の緑色の光だけを頼りに、俵田はほとんど走るような歩調で、目的の場所へ向かう。
目指すのは、一階にある談話室だ。
枢要館・一階にある談話室は、ドア付きの部屋ではなく、廊下からそのまま連続した造りになっている。
会議室や食堂ほど広くはない一区画に、テレビや観葉植物、いくつかのソファーとガラステーブルを置いた、利用者がくつろげるような空間だ。ちょうど、病院や役場の待合室に似ているかもしれない。
俵田の目的は、その談話室にあるテレビだった。
……先ほど、祇園が次期会長を目指すという決心をした話の後。それとは別に、少し雑談になった。
打って変わって他愛もない話題が続き、そのなかで、ふと俵田が漏らした。
今日は、見たいテレビ番組があったのに、会議場の枢要館に閉じ込められたままでは諦めるしかない――と。
「……ん? 見られるよ、テレビ。枢要館にも、一台だけテレビがあるから」
祇園の言葉に、俵田は表情を輝かせた。
「本当ですか!?」
「うん。まあ、会議ではあんな調子でも、やっぱりみんな高校生だからね。ここじゃあ、スマホも使えないし……一切の娯楽を禁止するわけにはいかないんだろう」
「……あ。ってことは、一台のテレビをめぐってチャンネル争いが?」
「いや、どうだろ。今年の会議出席者は、あんまり〝テレビっ子〟がいないし……。七時半から八時十五分までは、私や那珂川先輩とかが『ブラタ○リ』を見るけども」
「……ずいぶん、渋いのを見るんですね」
「ええー? そうかなあ。普通のバラエティーだと思うけど……」
……結局、祇園の話では、俵田の見たい二十四時ごろにはテレビも空いているらしい。
消灯時間を過ぎていても、たいていの場合は黙認してくれるそうなので、俵田は誰にも邪魔されることなく視聴できるだろう……。
しかし今、俵田が目的地に近づいたとき、彼は奇妙な光景を見た。
暗い廊下の先、無人であるはずの談話室から光が漏れている。
不規則に明滅する光。それから音も届いてきた。聞き覚えのあるCMソングだ。
誰かが、俵田よりも先に、談話室でテレビを見ている――!
驚きと焦りに、俵田は歩調をさらに速めた。
彼は、談話室に駆け込み――そして、目撃する。
艶やかな黒髪、秀麗な顔立ちの少女が、闇の中で光るテレビ画面の前に座っているのを。
「清川……普青?」
一瞬、姉の清川会長と見間違えそうになってしまった。
そこにいたのは、清川会長の妹、姉とよく似た美貌の生徒会書記・清川普青だった。
「清川普青……なにをしているんだ?」
俵田と普青は同じ一年生で、クラスメイトだった。
俵田の方は当然のように「ため口をきく」が、それでも声は少し硬い。
「なにをしているって……テレビを見ているんですが。悪いですか?」
淡々とした、普青の応答だった。
それを聞いて、俵田は自身の目的を思い出す。
「その……テレビなんだけど。ちょっと譲ってくれないか? 三十分でいいから」
「無理」
「……なんで?」
「説明する必要あります? こんな時間に、私が部屋から出てきてテレビの前にいるんですから」
――清川普青も、自分と同じように、見たいテレビ番組があるってことか。
それを理解した俵田は、肩を落とす。
「早いもの勝ち」だ。ここは、清川普青に譲るしかない。
心の底から残念そうに顔を暗くして、俵田は来た道を戻ろうとする。
「……じゃあ、僕は帰るよ。邪魔をしたな」
「いや、ちょっと」
「なんだよ」
普青の呼び止めに、怪訝な表情で俵田は振りかえった。
彼に、普青は尋ねる。
「一応、聞いておきますが。俵田は、なにが見たいの?」
「いや……それは」
「人には言えないようなもの?」
冷ややかなジト目を向けてきた普青に、俵田は白状する。
「『フラいち』だよ、『フラいち』……どうせ、君に言っても分かんないと思うけど」
その答えを聞くと普青は、にやりと笑った。
「……そう。俵田も、ですか。まさか、この学園に他にもいるとは思ってなかったけど」
「え?」
「私も『フラいち』オタク」
「え、え?」
「リアタイ視聴はアニオタの義務です。……いっしょに見よう、俵田」
「フランスのいちばん長い日」
映画のようなタイトルだが、深夜アニメだ。――その略称が、「フラいち」
物語の舞台は、西暦一九四〇年代のフランス。第二次大戦中、フランスがドイツ軍の侵攻に対して戦ったという史実を元ネタにしている。
それだけなら、真面目でシリアスな「戦争もの」のアニメだろうが……ある一点が、この作品を他とは違うものにしている。
女体化。
登場人物であるフランスの政治家や軍人たちが、全員、美少女に描かれているのだ。
「あれは……ヤバい」
「正直、スタッフの正気を疑った」
引きつった苦笑を、普青と俵田は交わした。
「ヒトラーとかスターリンとかチャーチルを美少女にするのは分かりますが。他にそういう作品もあるし。でも、ド・ゴールやペタン元帥を女の子にするのは……」
「一気にえぐくなった」
「『ロリババアのペタン元帥』とかいうパワーワードよ……。史実だと、八十四歳のおじいちゃんなのに」
「なにより悲しいのは、あんだけ攻めてる作風なのに、まったく反響がないという」
「おもしろいのにねえ……。まあ、私も、ファンだって人に会うのは俵田が初めてだわ」
もの寂しげに普青が言ったとき、ちょうど二十四時になった。
CMが終わり、アニメが始まる。
「……普段の私は、実況ツイートもしないで画面に見入るタイプなんでね」
「僕も同じく」
「エンディングまで黙るよ」
「応」
そして二人は、闇の中で光るテレビ画面に意識を集中させる……。
二十四時、「フラいち」が始まった。
今日、放送されるのは、第二話。
ドイツ軍の侵攻により、パリを退去してしまったフランス政府。追い詰められた彼らが、敵に休戦を申し込むかどうか苦悩する――というストーリーだ。
フランス首相ポール・レノーは徹底抗戦を唱えるが、副首相ペタン元帥ら休戦派の意見を抑えられないでいた。
ロンドンでは、シャルル・ド・ゴールがイギリス首相チャーチルを通じて、フランスが休戦しないよう働きかける。
しかし、レノー首相やド・ゴールの努力は実らなかった。ペタン元帥が新たな首相に就任し、フランスはドイツに休戦を申し込んでしまう。
帰国していたド・ゴールと首相を辞職したレノーは、フランスのボルドーで対面する。
そして、レノーと別れたド・ゴールはイギリス行の飛行機に飛び乗り、フランスを脱出。ロンドンで、新たな戦いを始めることになる……。
「――次回・第三話。『六月十八日の演説』 フランスの歴史が、また一ページ……」
「……ふぅ」
次回予告まで見終えると、ようやく二人は、ひと息ついた。
先に感想を述べたのは、普青の方だ。彼女は短く簡潔に言う。
「よかった」
「うん。よかった」
「とくに……あそこ。ボルドーで、レノーとド・ゴールが話すの」
「十万フランのところ?」
「そう。いやぁ……史実をああいう風に解釈してきたかー。レノーが機密費の十万フランを渡して、『君がフランスを救え』だもんなあ」
「レノー△」
放送が終わった後も、オタク二人の語りは止まらない。
「……僕は、やっぱりレノーが好きだな。世界史だとマイナーな方だけど、アニメだとほとんど主役みたいになってるし」
「まあ、主役なのは序盤だけだと思いますが。たぶんこの後、四十五年のイッター城まで出番はないだろうし、そこまでアニメがやってるか知れない」
「マジかー……」
軽い落胆の声を漏らした後、俵田は尋ねる。
「清川の好きなキャラは? やっぱり〝シャル〟か?」
「いや……〝シャル〟は、ちょっと……」
〝シャル〟とは、登場人物であるシャルル・ド・ゴールの愛称だ。
史実のド・ゴールからして人の反感をかいやすい性格だったが、このアニメでは、それがさらに強調されていた。
有能だが、気が強い。負けず嫌いで、傲岸不遜。強引なやり方に、巻きこまれる周囲は辟易している……。
「……あれは、苦手だね。身内を思い出してしまう」
ふと、普青が漏らした一言。
それが意味することに気づいた俵田は、驚きの顔で見かえす。
「清川……」
「……ほら。ギャルゲーとかで、ヒロインの名前が自分の母親や姉妹と同じだったら萎えてしまう――ってことあるでしょ? あれみたいなやつですよ」
冗談で、本心を韜晦しようとしているのか。
しかし……。
今、二人しかいないこの状況は、好機であるかもしれない。清川普青の秘密を探る好機。
アニメは終わり、休息の時間も果てた。
ここから先は、交渉の時間だ。
「……清川。話がある」
表情を引き締め、空気を改めて、俵田は清川普青に向き直った。
次回
第30話
一年生たちの取り引き




