第26話 生徒会役員たちの夜
大浴場にて、自分たちの政権を揺るがしかねない同盟が成立していたとき――生徒会役員の面々は、いつもの第二会議室にいた。
議長・那珂川涸太郎は二人掛けのソファーの片側に座っている。
そこから、やや離れた席に、書記の清川普青。
そして、二人の中間あたり、壁に背を寄りかけて佇んでいるのが、会計・東田ひよこだった。
微妙な位置関係をつくる彼らの中に、清川会長の姿はない。彼女は、既に自室で休んでいた。
……側近である彼らしか知らないことだが、清川会長には、遅くとも二十時までに就寝するという習慣があったのだ。
高校生にしては早い就寝時間は、日中に精神と身体を全力で稼働させて生徒会長の激務にあたる、その反動によるものだろう――。
とは、生徒会役員たちで密かに話し合って出した推測の一つだった。
あくまでも推測の一つで、実際の理由は不明だ。
ただ、ある種の病気のように深刻なものでないことは、確かだった。
妹である清川普青が言うには、
「姉は、眠ることが趣味なんです」
とのことらしい。
しかし、それでは余りに無味乾燥な解答なので、満足できない生徒会役員たちは、冗談まじりの推理を巡らせる。
その一つが先ほどの推測で、これは、強権的ながらも熱意をもって公務に励む清川会長の姿を、いくらかの称賛も込めつつ皮肉ったものだった。
……このように、生徒会役員たちは職務の合間や前後に、よく他愛もない会話を楽しんでいた。
このときも、既に入浴を済ませて学校指定のジャージ姿になった彼らは、「臨時生徒会室」である第二会議室に集い、いつもの雑談を交わしている。
ただ、これは意義のある雑談だった。
会話によって醸成された自由な空気からは、今まで多くのアイデアが生まれてきたのだ。そのアイデアの中には、清川会長に進言されて若干の修整が加えられた後、機枢高校を動かす政策となったものも少なくない。
その効果を期待して、清川会長は、役員たちを萎縮させないように退室したのかもしれなかった。
そして、今回もまた雑談の中から、生徒会長選出会議の情勢を大転回させるような一つのアイデアが生まれた。
「この際、小櫃総務委員長の陣営と手を結ぶのは、どうでしょう?」
会計・東田ひよこによる提案だった。
混迷する会議に決着をつけるため、これまでの敵対陣営と協力する――という発想は、他の役員を驚かせた。
しかし、一方でそれは、生徒会会計として両陣営の間に立ち、学園財政を切り盛りしてきた東田らしい考えだったかもしれない。
具体的には、小櫃総務委員長に清川普青新政権で生徒会議長のポストを与えると約束する。この条件によって、清川普青が次期生徒会長となることを認めさせるというのだった。
おそらく総務委員会内部からの突き上げによって、小櫃は次期会長になろうとしているのだろう。しかし、現状のところ、それが実現する見込みは薄い。
ならば、政権ナンバー2の生徒会議長の役職で、彼に妥協させることはできないだろうか――そう、東田は提案する。
この提案は、無論、一切の抵抗もなく受け入れられたわけではない。
「……私は、東田会計の意見に賛成できない。新政権に小櫃委員長を参加させると、これまでのように、生徒会本部主導で学園を動かすことができなくなるだろう。総務や保健といった委員会の思惑に縛られてしまう。……せっかく、清川会長が、生徒会専制を築いたというのに」
いつもの険しい目つきで、那珂川議長が反対した。
これに、東田は、苦笑しつつ応じる。
「正直いって……清川会長や涸太郎先輩が引退された後に、私たちで、その生徒会専制を維持できる自信はありませんよ。ねえ? 普青さん」
東田が後輩でもある生徒会書記に問いを向けた。これに、清川普青は静かに頷いて同意を示す。
それを見て、東田は続ける。
「今までのやり方は、先輩たちだからできたんですよ。私には難しいです。……なら、このあたりが、私たちにとっても、小櫃委員長たちにとっても、いい妥協点でしょう」
「しかし……」
「それとも、涸太郎先輩。先輩が留年でもして、生徒会に残ってくれますか? それなら、私としても心強いんですけど」
それは、奇妙に迫力のある冗談だった。
那珂川は口をつぐんでしまう。
……結局、那珂川は渋い顔をしながらも、東田の提案を容認した。
なにより、当の次期会長候補である清川普青が同意している以上、彼としては強く反対できなかったのだろう。
ただ、その後も生徒会役員たちは話しあって、この案を実際に用いるための検討を重ねた。
そして、まず翌朝に普青が清川会長から、この案の承認を得ること。
慎重を期して、次回の投票までは様子を窺い、その後に東田が小櫃総務委員長陣営と交渉すること。
これら二点が決まった。
雑談が真剣な討議に移り変わり、それも一応の結論が出たとき、時刻は二十一時三十分を過ぎていた。
「……では、そろそろ、私は失礼します。明朝早くに、このことを姉へ伝えなくてはいけないので」
今までも口数の少なかった普青だが、それだけ告げると、静かに退室した。
後には、那珂川と東田だけが残される。
「……それにしても、この時間に寝るのは早いだろう。こういったところは、姉に似ているのか?」
不思議そうな顔つきで、那珂川がつぶやいた。
彼に、東田は少しはにかみながら教える。
「私たちに、気をつかってくれたんですよ。涸太郎先輩」
「ん? なぜ、気をつかう必要がある?」
「……もう!」
頬を膨らませると、東田は、これまで佇んでいた壁際を離れた。そこから滑るような足取りで、那珂川の座る長椅子の空いている片側に移る。
隣に腰かけた小柄な東田を見下ろす、那珂川の視線は険しいものだったが、これはいつもの表情だ。
彼をじっと見上げながら、東田は小さな口を尖らせて問いただす。
「先輩! 私たちは、どんな関係です?」
「関係? ん……ああ、そうか。そういえば、そうだった」
これは、あまりに酷薄な答えだろう。
ふつう、交際相手の男からこのような発言が出たなら、女の方は怒ってもおかしくない。
しかし、東田ひよこは、忍耐強かった。あるいは、諦観していた。
「いいですよ、いいですよぅ。涸太郎先輩がそういう人だってことは知ってましたから。知ったうえで、私は告白したんですから」
「む……悪かった」
東田の、わずかに棘の覗く口調から、ようやく那珂川は己の非に気づいたらしい。
謝罪の言葉は短いものだったが、直後に深く頭を下げたのは、彼の生真面目な性格の現れだったろう。
生徒会役員のうち、議長の那珂川と会計の東田が付き合っているというのは、学園の中でも知る者の少ない事情だった。
次回
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彼氏と彼女




