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第25話 Baden-Baden




 数秒の黙考の後、雨城文化委員長は答えた。


「……条件がある」

「それは?」

「私の文化委員会はともかく、文化系部活動への過度の干渉はしないでほしい」

「……あなたがそう言うということは、つまり、清川会長がそのような干渉をしたのか。あなたと会長の間にあった軋轢も、それによるものだった、と」


 祇園が確かめると、雨城は頷いた。


「そう……校史小説部を、知っているかな」


 その語に驚きながら、祇園も頷き返す。


「もちろん、知っている。機枢高校史のなかで著名な人物や事件を題材に、文芸創作をする部活動だね。……じつは、ここに来る前にも、その部がつくった本を読んでいた」

「あ、私が貸した本ですか」


 望陀が祇園に貸していたその本は、校史小説部副部長・松丘万鑑の著した『側用部の時代』だ。

 祇園は、生徒会長になる決心をする直前、それに目を通していた。

 このことが、彼女の決心に直接の影響を与えたわけではない。だが、そこに至るまでの思考の一助となったのは間違いないだろう。


 過去の側用部が校史の中でしてきたことを知り、これから自分がやろうとしていることと照らし合わせる。

 そうした思考活動によって、祇園の頭には、自分が生徒会長になるまでと、なってから、双方の構想が具体的な(ビジョン)となって浮かんできたのだ。


「有益な……少なくとも、私にとっては得るものの多い作品だった。それに、純粋に面白かった。他の生徒たちにとっても、同様に価値のある部活動だと思う」

「……その校史小説部の活動が、清川会長によって制限されようとしていた」


 告げられて、祇園と望陀は小さく息を呑んだ。

 そうした様子を一瞥してから、雨城は、さらに語っていく。


「会長は、あまりに無制限な作品創作は機枢高校の権威を傷つけ、生徒たちの権利を侵害する、と考えたらしい」

「…………」

「事実、学校内に出回った作品の一部には、私の目から見ても()()()()()表現のものがあった。校史小説は、過去の人物とはいえ、この学校に在籍していた生徒を材に取り扱うものなんだから、そのことへの配慮と節制は、あってしかるべきだと私も思う」

「……当然だな」

「ああ。しかし、そうした校史小説へ清川会長がおこなおうとした対策は、それこそ『行きすぎた』ものだった。会長は、発表される前の作品を強制的に検査し、不適当と判断した場合には発表を禁止する。これを可能にする校則をつくろうとしていた」

「つまり、検閲か。……ずいぶんと懐かしいものだな。『内務委員会』のとき以来だろう」

「……皮肉なものですね。清川会長も旧敵のように、学園と生徒のすべてを管理しようとしたわけですか」


 祇園と望陀は、揃って苦い顔をした。


 機枢高校内での「検閲」は、清川会長の独創ではなく、内務委員会という先例があったのだ。

 内務委員会による管理体制の打破を目指したはずの清川会長が、任期満了近くになって、自らが滅ぼした旧敵の所業を復活させようというのだから、まさに皮肉という他ない。


 雨城は説明を続ける。


「あの清川会長が引退すれば、当然、重石を外したように、この機枢高校の空気も変わるだろう。今以上に()()()()()創作活動をする者も出てくるかもしれない。そうした空気を引き締めて、引退後も、この学園が『健全』であり続けるために、会長は検閲を復活させようするのか……」

「いや、清川普青への批判を潰す。妹を侮辱させないため。そのためだけに検閲をやろうとしても不思議はないな……」


 嘆息まじりに、祇園は言った。顔には憂いの陰がある。

 敬愛していた先輩、「偉大な生徒会長」の変質に、祇園の心は痛む。

 反逆を決意した今でも、祇園の内には変わらず、清川会長への思慕の念があった……。


 その祇園の表情を、雨城は冷静に観察するような目で眺めた。

 やがて、彼女は語調を強めて言う。


「たしかに、校史小説部の作品創作には、ある程度の制限が必要かもしれない。しかし、それは、彼ら創作者たちが自主的におこなうべきだろう。生徒会や委員会の公権力は、彼らの手に余る部分を補助するにとどめるべきだ。……現に今も、彼らは動いている」

「校史小説部が?」

「ああ。あそこは、部長が自作の執筆にしか能のない人間だから、その下の松丘副部長が頑張っているよ。政権側と交渉を試みたり、部内で比較的軽い自主規制のガイドラインを作成したり、とね。……しかし、こうした副部長の行為に反感を抱く者も、部員のなかにはいるようだが」

「……仕方がないだろうな。今まで自由にやっていたことを、身内から規制されてしまっては」


 再び、祇園は嘆息する。今度の憂いは、校史小説部の現状に対するものだ。

 それを見た雨城は、視線を祇園の瞳へ向けて告げる。


「この検閲だけでなく、校史小説部の他にも文化系部活動は、清川政権から干渉を受けようとしている。……だから、祇園。君が次期会長になったら、そうした干渉をしないと約束してほしい」

「……分かった。それは約束する。しかし……」

「しかし?」


 祇園が発した逆接の語に、雨城の視線は不審そうなものへと切り替わった。

 その彼女に、祇園は落ち着いた口調で告げる。


「約束できるのは、部活動に過度な干渉をしない、ということまでだ。あなたの文化委員会が今まで受けてきた予算面での優遇。体育委員会との不均衡。これは改めなければならない――と私は考えている。あなたとしては、受け入れにくいことかもしれないが……」

「それは……そうだな」

「うん」

「……仕方がないだろうな。受け入れるよ」


「へ?」


 思わず、祇園は間の抜けた声を出してしまった。

 数瞬だけためらったとはいえ、こうもあっさりと雨城文化委員長が受け入れるとは、予想していなかったのだ。


「本当に、いいのか?」

「ああ。既に私は清川政権から切り捨てられた身だ。今まで受けてきた恩恵が、もう望めないことは分かっている。それに……少し、反省しているんだ」

「反省?」

「これまで、私の委員会や文化系部活動が優遇されるかわりに、平山体育委員長たちが割を食ってしまっていた」

「……しかし、それは、あなたが文化委員長としての職責を全うしただけだろう」

「いや、だとしても程度はある。『文武両道』というが、今までの機枢高校は、多分に『文』へと片寄りすぎた。そろそろ、『両道』に立ち戻ってもいい頃だろう。それに……」


 一度、言葉を切る。すると雨城は少し、はにかんだ。


「偉そうに言わせてもらえば、文化というものは、権力者に庇護されているだけでは清新さを失ってしまう。そこから健全に発展するには、ある程度、権力から距離をとった方がいい」


 やや照れくさそうに、雨城文化委員長は自説を披瀝してみせた。

 そして、一つ小さな咳払いをしてから、今度は祇園に挑戦的な視線を向ける。


「さて、私の考えを明らかにしたからには、次は君の番だ。……祇園、君は生徒会長になって、この機枢高校をどうしようと思っている?」

「…………」

「まさか、その構想すら持たずに、権力欲だけで会長を目指すわけではないだろう?」

「あ! それは、私も聞きたいです。祇園ちゃんの、所信表明」


 雨城は祇園を試そうとするような、望陀は興味を覚えたような目で、次期会長候補者を見た。

 これに、祇園は不敵な微笑を浮かべてから、二人の委員長へ己の構想を伝える。


「生徒会長になった後、私には、やってみたいことがある。それは、三つの目標で……」




 ……やがて、その「三つの目標」を、祇園は語り終えた。


 雨城と望陀は、しばらく、無言のままでいた。

 祇園の構想に圧倒された、という様子ではない。

 むしろ、それが実現可能かどうか。そもそも実現したとして自分たちに利益があるのか――ということを検討しているのだろう。


 祇園の所信表明よりも長い時間をかけて、二人の委員長は考えた。

 やがて、雨城文化委員長が先に口を開く。


「君がやろうとしていることは……生徒会の権力を弱めてしまうだろうな」

「そして同時に、私たちの委員長としての権利も、いくらか損なわれてしまいますね」


 短い発言の後、雨城と望陀の両委員長は再び口を閉ざして、黙考に沈んだ。


 祇園のやろうとしていること。「三つの目標」のうちの一つは、これまで委員長たちが有していた特権を弱めるものだった。

 当然、委員長である雨城たちとしては抵抗を覚えるだろう。


 しかし、一方では、生徒会長を頂点とした独裁体制も、大きく改められる。

 これまでのように生徒会長の強権的な振る舞いによって悩まされることも、なくなるはずだ。

 生徒会長との力関係を相対的に考えれば、むしろ委員長たちにとっては有利になるかもしれない。

 

 失うものと、新たに得るもの――どちらか大きいか。

 二人の委員長の内では、利益をはかる天秤が、左右に揺れているのだろう。


 ……やがて、天秤は一方へ傾き、静止した。


「いいだろう。君のやろうとしていること、私も協力させてもらう。……百年前の雨城子爵によってつくられた校風の害は、雨城の人間が除くのが筋でもある」

「ええ。私たちにも得るものはあるようですし……なにより、面白そうです」


 雨城と望陀はそれぞれの言葉でもって、祇園に賛同した。

 しかし、二人にはまだ、納得できない点もあるようだ。


「……だが、祇園。君の構想は、せっかく手に入れた生徒会長の権力を、自ら弱めようとするものだろう」

「そうですよ。祇園ちゃんって、意外と欲がないんですねー」

「……『意外と』は余計だ」


 そう言って口を尖らせた祇園だが、すぐに表情を引き締めた。

 真剣な声で、雨城と望陀に告げる。


「私は、やはり、清川会長のように偉大な存在にはなれない。あの人と同じにはなれない。だから、()()()()()()()()()()()、私は生徒会長の職責に向き合うつもりでいる。――私の構想も、つまりは、そうした自覚によるものだ」


 そう語った祇園に、雨城と望陀は深い理解の頷きで応えた。


 こうして、風紀委員長・望陀布美と、文化委員長・雨城楊子は、協力を約束した。

 側用部部長・祇園渚卯子は、自身の野心と構想の実現に欠くことができない盟友を、二人も得たのだ。




 ……このとき結ばれた三人の同盟関係は、やがて、生徒会長選出会議のみならず、その後の機枢高校における政局にも大きな影響を与えることになる。


 後の時代には、この同盟を機枢高校史の中で重要なものだったと位置づける者も多い。

 また、生徒会長選出会議の裏話、エピソードとしても、この一件は学園に広く伝わっている。

 学園の生徒たちに相応の興味を与えたわけだが、それは、祇園たちが同盟を結んだ舞台が特異な場所であったことも一因としてあるだろう。



 かくして祇園、望陀、雨城の三者の同盟は、後の時代に、「大浴場の盟約」あるいは「湯煙(とうえん)の誓い」という名で呼ばれることになるのだった。





 次回


 第26話

 生徒会役員たちの夜

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