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第23話 大浴場にて――友に勧める議長職




「いやあー、本心をさらけ出して語りあうのに、ここ以上の場所は、ありませんねー」

「そうだなあ……」


 風紀委員長・望陀布美と、側用部部長・祇園渚卯子の声は、湯煙のなかを漂い、濡れたタイルの壁に響いた。


 二十時三十七分。

 彼女たちは、枢要館・大浴場の湯船に、揃って肩まで浸かっている。

 特徴的な白銀色の長い髪を結い上げ、湯気に湿らせている祇園は、自分と友人の裸身を交互に見やってから、淡々とつぶやく。


「しかし……お前も私も、本心だけでなく、いろんなものをさらけ出してしまっているな」

「ふふっ、下ネタじゃないですか」


 望陀が笑うと、熱い水面に、さざ波が立った。

 その向こう、薄紅に染まる友人の素肌、自身のものより大きな胸のあたりを、祇園は、ぼんやりと眺める。


「……祇園ちゃん。さすがに、そう、じっくり見られると恥ずかしいんですが……」

「ん? ああ、悪い」


 頬を赤くした望陀に、祇園は素っ気なく謝る。

 そのまま、しばらくの間、二人は無言で湯にひたった。


 枢要館の「大浴場」は、その名に反して、小さな規模のものだった。

 五人が使えば埋まってしまう洗い場と、六人が足を伸ばすとぶつかってしまうような浴槽。

 これをもって「大」浴場と称するのは、有名無実、誇大広告というものだろう。

 このような狭い大浴場だが、使用される機会は年に数度で、また、そもそも枢要館での重要会議に参加する生徒数自体が少なかったから、不便とされることはなかった。

 今回の選出会議にも女子は八名が参加しているが、彼女たちは、入浴時間が互いに重ならないよう、暗黙の内に調整し合っている。これによって、狭い浴場でも、まず快適な入浴をおこなうことができていた。


 祇園も、先ほど望陀を入浴に誘ったときに、二十時三十分すぎという比較的遅い時刻を指定した。

 そのため、現在、大浴場には祇園と望陀の二人しかいない。


 密談には、絶好の場所だろう。

 そのために、先ほどの望陀による決起の促しに祇園が応じるか返答をする場として、ここが選ばれたのだった。


「それで……祇園ちゃん。先ほどの返答を聞かせてもらってもいいですか」


 やがて、沈着な声で望陀は尋ねた。これに頷くと、祇園は決心の表情を浮かべた。

 そして、祇園は友人に、彼女が何よりも聞きたいだろう言葉を伝える。


「望陀、私は決めたよ。生徒会長になる。この選出会議で勝って、次の会長になる。だから、お前も力を貸してほしい」


 それを聞いたとき、望陀は、少しも驚かなかったようだ。

 実際、彼女は驚いていないのだろう。

 ただ、親友の決心を信じ続け、それが報われた。

 そして、彼女は満足そうに、深く頷いた。


「こちらこそ、よろしくお願いします。()()()()()()

「ふふっ、気が早いよ」


 笑って応えた祇園だが、直後、その表情を真剣なものに切り替える。


「ただ……望陀。一つ、確認しておきたいことがある」

「なんでしょう」

「私が生徒会長になれたとして、そのとき、お前は何になる?」

「と、いうと?」

「つまり、政権ナンバー2、生徒会議長のポストの件だ」


 機枢高校の生徒会長は、選出会議によって指名されるものだ。ただ、その下で働く生徒会役員たちの任命権は、生徒会長が有している。

 つまり、生徒会長を志す祇園としては、就任後の人事についても考えておかなければならなかったのだ。決して、気が早いというものではない。


 生徒会役員の人事を考える上で、まず考慮しなくてはならないのは、生徒会議長の役職を誰に任せるか、ということだろう。

 他の一般的な学校と異なり、このときの機枢高校生徒会本部に、「生徒会副会長」という役職は存在しない。生徒会長のすぐ下は議長で、これが実質的な政権第二の地位となっているのだ。


 過去には、機枢高校にも「副会長」が存在していた。

 しかし、ある時代の生徒会で、副会長が生徒会長に背き、政権奪取を狙うという事件が起きた。この副会長による叛乱の後、その役職は危険なものとして廃止されてしまったのだ。


 こうして、それまで政権第三位であった議長が繰り上がり、実質的に生徒会長に準じる地位の役職となった。

 議長は、生徒会長選出会議などの会議で、それを主宰し、進行することを主な仕事としている。また、会議がおこなわれないときには生徒会長を補佐し、会長の不在時には、その職務を代行することもあった。

 こうした重要性もあって、これまでの議長職には、生徒会長の就任に最も功績があった人物か、その政権内で会長に次ぐ実力を有する者が就くことが多かった。


 さて、祇園の場合はどうか。

 彼女にとって、望陀は信頼できる友人で、その熱心な説得によって彼女が生徒会長を志すきっかけとなった。

 また、風紀委員長という要職を務める望陀は、実力と政治的な影響力の上でも申し分ない。

 議長にふさわしい人物だといえるだろう。


 望陀に、議長となる資格は充分にある。

 あとは、彼女にその意思があるかどうか。

 それを、祇園は確認したかったのだ。


「私としては、お前にも生徒会に入ってもらって、仕事を手伝ってほしいと思っている」

「それで、生徒会議長というわけですか。まー、たしかに? 私は、お金の計算も雑だし、字を書くのも下手ですから、会計や書記は務まりませんものねー」

「望陀、冗談を言ってるんじゃない。私は、決心させてくれたお前に感謝しているし、その恩には、せめて政権第二位の職で報いたいんだ。……いや、それだけじゃない。お前には、生徒会議長が務まるだけの充分な器量がある」

「ふふっ、その言葉だけでも、充分ありがたいですよ」


 微笑すると、望陀は口を閉ざし、やや俯いて考えに沈んだ。

 真剣な、表情だった。自分が生徒会議長になるということを、慎重に検討しているのだろう。


 その表情を、祇園は静かに見守った。

 先ほどは、生徒会長を目指す決心をするまで、望陀から猶予の時間をもらった。今度は、祇園が待つ番だ。


 いくらでも待とう、と祇園は思った。

 ――もっとも、湯船で茹であがってしまうまでには、返答してほしかったが。


 望陀の前髪の赤い一房が、湯気に湿る。それを指でつまみながら、彼女は考える。

 やがて、望陀は顔を上げ、白銀髪の友人に告げた。


「祇園ちゃん。やっぱり、議長の役職は遠慮しておきます」

「……理由を聞きたい」

「私は、今、風紀委員長の職に就いていますから。その仕事には、誇りとやりがいをもって取り組んでいます。私の部下の風紀委員たちからも、それなりに慕われてしまっているようですし。……ですから、この風紀委員長の仕事を辞めることはできません」

「風紀委員長のまま、議長と兼任することはできないか?」

「他の人はともかく、私には無理でしょうね。私は、そこまで器用じゃありません。どちらか一方の仕事で精一杯ですよ。そして、どちらを選ぶか、となったら、やっぱり……」

「風紀委員長、か」


 先ほど望陀は、風紀委員長の活動に誇りを抱きつつも、生徒たちから恐怖されることを厭う葛藤を打ち明けた。その葛藤は、まだ彼女の内で収まっていないのかもしれない。

 だが、それでも、彼女は自身の職務に引き続き専念することを選んだのだった。


 その友人の選択を、祇園は尊重したいと思う。

 しかし、一方では、完全に納得できない自分もいる。


「……中学時代。私が生徒会長で、お前が副会長。その思い出に、未練はないか?」


 それは、望陀が祇園に機枢高校でも生徒会長になることを求めた、理由の一つではなかったか。

 その思いがあったから、祇園は、望陀に政権第二位の役職を勧めたのだ。

 しかし、あるいは……このような質問をしてしまうあたり、本当に未練を抱いているのは、祇園の方かもしれなかった。

 友人の複雑な心情から発した質問に、望陀は、どこか達観しているような表情で答える。


「さて、この機枢高校に、副会長という役職は現在なかったはずですがねー」

「望陀。私が言いたいのは……」

「ええ、分かっていますよ。ただ、先ほども言ったと思いますが、しょせんは過去の思い出です。それが私のなかで色褪せることはありませんが……未練を抱いているわけでもありません」

「…………」

「中学と違い、この機枢高校では、私は委員会の長として祇園ちゃんを支えたいと思います。案外、その方が、私とあなたの関係に合っているかもしれませんよ。……まあ、過去に囚われすぎることなく、新しい方法に挑戦してみましょうよ」

「……分かったよ」


 それで、祇園は納得することにした。


「祇園ちゃん。いいですか……」


 視線を鋭いものへ切り替え、やや口調を強めて、望陀は告げる。


「その生徒会議長のポストは、この選出会議における、重要なカード、切り札です。その地位に価値を見出す人間は、必ずいます。そうした中で、これぞ、という人物を味方にするときに、そのカードを切るべきです。そうすれば、祇園ちゃんは、きっと、会議を優位に進めることができるでしょう」


 そこまで言うと、望陀は再び表情を切り替え、今度は少しはにかんだ、悪戯っぽい顔になる。


「それが……『祇園渚卯子陣営』第一の臣が、未来の生徒会長閣下に申し述べる、最初の進言でございます。どうぞ、虚心にお聞き入れくださいますよう」


 芝居がかった台詞を軽やかに言ってのけた望陀だが、そこで堪えきれず失笑してしまった。

 祇園も、釣られるように笑いだす。

 そして、二人しかいない大浴場に、ただ笑い声だけが響いた。

 友人同士が、心から朗らかに笑いあう声。


 その笑声が止まったのは、大浴場が二人の占有物でなくなったときだ。

 唐突に、浴場のガラス戸が開かれる。


 湯煙と野心が渦まく大浴場に、第三の人物が登場した。





 次回


 第24話

 湯煙の中の交渉

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