表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/44

第22話 幼なじみ




 側用部の二人の関係が少しだけ前に進んだのと、ほぼ同時刻。

 枢要館の別の部屋でも、一組の男女が対していた。


 一方は、清川政権に対抗する勢力の旗頭として、選出会議における次期会長候補の一人となった、黒縁眼鏡の男子。

 もう一方は、彼を支える幼なじみの、これも同じ黒縁眼鏡をかけた女子だ。


「……今、なんて言ったのよ?」


 その女子――保健委員長・下郡栞は、幼なじみの男子に、きつい口調で問う。

 これに、その男子――総務委員長・小櫃渉は、困憊の表情で答えた。


「今までの状況を見て、とてもじゃないが、清川普青に勝てる気がしない……と言ったんだ」

「じゃあ、諦めるの? 生徒会長になることを」

「……いや、それはない。諦めないよ。僕にも、会長を目指す理由があるからね」


 そう答えた小櫃の顔には、疲弊のなかにも、強い決意の色があった。

 それを見て取ると、安心したように、下郡は溜め息をつく。


「はぁ。それでいいのよ。まったく……すぐ弱気になるのが、昔からの悪い癖なんだから」


 そう言うと、黒縁眼鏡の奥の瞳が、小櫃を睨みつけた。


 整った顔立ちの下郡だが、人が彼女の容姿を口にする時にまず挙げるのが、その瞳だった。

 火炎のように爛々と輝く瞳を、多くの者は「野心的で危険なもの」と忌避する。

 しかし、小櫃だけは、幼なじみのその瞳が好きだった。

 彼女が眼鏡をかける前から、ずっと見てきたその輝きは、自分には不足している情熱の表れのように感じていたのだ。


 いや、情熱だけではないだろう。


 ――自分には、理想や目標を実現させる能力が決定的に足りない。

 そのように、小櫃は自覚していた。


 無論、彼にも生徒会長になろうという意志はある。

 しかし……。


「……しかし、厳しいな。状況は厳しい。このままだと……」

「また、弱気になってる」

「いや、栞。この状況を覆すのは、やっぱり難しいよ」


 第三回投票まで、対立候補の清川普青は五票を獲得し続け、あと一票で次期会長になるという優位にある。

 一方で、小櫃の方は、たった二票にまで落ち込んでしまった。つまり、自分と目の前の下郡しか投票しなかったのだ。


「平山委員長にも、見はなされてしまったな」

「……本当に。ひどいことするわよ、あの体育委員長。普段は誠実そうなふりしていて、こんなときに裏切るなんて」


 下郡は、心の底から憎らしそうに非難した。

 しかし、彼女に対して小櫃の方は、それほど怒っているわけではなく、むしろ達観している。


「まあ、そう責められないよ。平山にも、役職に対する責任というものがある。彼女としても、かなり苦しく悩んだ結果なのかもしれない」

「甘い! そんなんだから、あんたは、いつも……」

「――いつも、部下の総務委員たちの身勝手な要求に、突き上げられて、振り回される?」


 苦笑しつつ、小櫃は、幼なじみの言おうとするところを先回りした。


「けどね。僕は総務委員長として、けっこう、彼らを制御できていると思うよ。例の『六月二十三日のクーデター』だって……」

「…………」

「あの事件だって、委員会内部の強硬派たちを風紀委員会に捕らえさせることで、彼らの力を削ぐことに成功している。結果として、相対的に委員長の影響力を強めることができた。……まあ、これは全部、栞の策だったんだけど」

「……でも、事件の表層だけをみれば、総務委員長が旧内務委員会の暴走を抑えられなかったように映るわよ。現に、祇園側用部長なんかは、あんたを無能者みたいに言っているのに」

「言わせておけばいいさ。……事実として、僕は有能な人間ではないんだし」


 苦笑を顔に貼りつけたまま、小櫃は淡々と語る。


「今回の選出会議への出馬も……たしかに、彼ら旧内務委員たちに要求されてのことだけどね。これで僕が生徒会長になれば、その力で、委員会内部も抑えることができる。僕だって、そのぐらいの計算はしているさ」

「だったら、弱気になってないで、この会議で勝てるよう頑張りなさい。私も、今、新しい策を考えているんだから」

「策か……そういえば、第一回投票の後、望陀風紀委員長をこちらへ寝返らせるって栞の策。栞は、実際に望陀と会って話したらしいけど……あれは、どうなったんだろ」

「ああ、あれ? 全然だめ」


 首を横に振って、下郡は呆れたような声を出した。


「あの風紀委員長。清川会長陣営の幹部だったくせに、裏で、友人の祇園側用部長を推していたのよ。側用部から生徒会長になるなんて、一つの前例もないのに。ほんと、馬鹿なことを」

「祇園側用部長か……ああ、なるほど。第一回から彼女にずっと入っている一票は、望陀風紀委員長によるものだったのか」


 ひとり納得した小櫃は、頷きながら思案の表情をつくった。

 やがて、彼は提案する。


「清川陣営に対抗する策だが……その、望陀が祇園を次期会長に推しているという情報を、清川会長にリークしてみたらどうかな? 向こうの陣営に相互不信の種をまき、混乱させることができるだろう。上手くいけば、清川会長が特権を行使して側用部を追放する、という事態にまで繋がるかもしれない」


 我ながら、悪辣で冴えた策だと、小櫃は思った。

 会議に側用部が出席しているのは、生徒会長の許可を前提とした特例なのだ。清川会長に猜疑心を抱かせれば、その許可を取り消して、祇園たちを会議から排除させることもできるだろう。

 そうなれば、清川普青の支持者が二名、消えることになる。

 しかし、小櫃の「悪辣で冴えた」考えは、すぐに幼なじみによって否定されてしまった。


「無理ね」

「……なぜ?」

「祇園には一票しか入っていない。つまり、望陀ひとりだけが勝手に支持しているってこと。祇園たち側用部は、まだ、清川普青に投票している」

「だから、その側用部を追放させるために……」

「清川会長は、状況を正確に認識しないで、そのような情報に踊らされるほど愚かじゃないわ。……もし、そうだったら、私たちの敵になってないわよ」

「……それも、そうか」

「なにより、清川会長は、祇園側用部長を信頼している。祇園が自分に背くことはないってね。そんなの、敵対陣営にいる私たちにも分かるくらい、明らかなことよ」


 この時点で、既に祇園が反逆の決意を抱いていたことなど、下郡たちには知る由もない。

 ……もっとも、仮に知ることがあったとしても、その無謀な挑戦を信じることは難しかっただろう。


 結局、小櫃の考えた策は却下されてしまった。

 落胆する彼を見ると、少し考える素振りをしてから、励ますように下郡は言う。


「まあ、でも……その策の、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って点だけは悪くないわよ。劣勢の私たちには、もう混戦状態に持ちこむしか道がないんだし。そのアイデアは、どこか別の場所で使えるかもしれない」

「そうか……」

「けど……あんたにしては、なかなか陰険な考えじゃないの。珍しい」

「ああ。いつも、栞にばかり、策を考える苦労をさせてきたからね。たまには、僕も頭を働かせて、栞を手伝いたいと思ったんだ」

「あっ、あんたは……! まったく、もう……」


 なぜか怒ったように――少なくとも、小櫃にはそう見えた――頬を紅潮させると、下郡は黙って、横を向いてしまった。

 小櫃としては、下郡のこのような調子は何年も前から同じなので、今さら気にすることもない。

 ただ、このとき彼は、別のことが気にかかっていた。


「そういえば、前々から聞こうと思っていたんだが……」

「なによ?」

「栞は、どうして、僕を生徒会長にしようとするんだ?」


 小櫃としては、自分を支持する理由を聞くだけのつもりだった。あえて、二人の間で隠すこともないと思っている。

 その返答も、彼女の口から、すぐに出てくるはずだった。

 しかし、小櫃の予想は外れた。

 下郡は、答えるのを躊躇ったのだ。いつもは悪辣な陰謀を巡らす頭の中で、なにか即席の返答を考えているような……。


「……栞?」

「うるさい。今、言葉を選んでいるんだから」


 かなり長く逡巡してから、ようやく、下郡は答えた。――先ほどよりも、さらに赤い顔をして。


「わ、渉。あんたが、私の……お、幼なじみだからよ。だから、あんたを手伝ってあげてるの。それ以外には、ないわ」


 どこか不満げな口調。加えて、その声は動揺していた。

 明らかに、本心を偽っている様子だ。

 小櫃は当然、不審に思う。少し眉を寄せながら、彼は問いただそうとした。


「栞、嘘はよくない。……いや、その答えも、全部が嘘ってことはないだろうが。まだ、なにか隠しているんじゃないのか?」

「な……なにも隠してなんかないわよっ!」


 やはり、怪しい。

 小櫃は考える。下郡栞が自分に協力するのは、なにかを望んでのことではないだろうか。


 ――では、彼女は何を望む?


「生徒会長の黒幕として、機枢高校を裏面から支配する、その権力」

 ふと、そのような発想が、小櫃の頭に生まれた。


 無から生まれたのではない。

 これまでの、「陰謀家」としての下郡の振る舞いを見た何人かが噂したこと。その噂が小櫃の耳にも入り、頭の片隅に残り、そして今、下郡への「理解」を生んだのだ。


 奇妙な納得があった。

 小櫃は生徒会長を志しながらも、自身の資質が他の候補より優れているとは思っていない。その彼に、ここまで協力する下郡が、正直、分からなかったのだ。

「小学校からの幼なじみ」という義理だけでは納得できない。

 しかし、実利を求めてのことなら、理解できる。


 ――なら、どうする?


 幼なじみを「理解」したとき、その問いが、小櫃の内に湧いた。

 彼が生徒会長を目指して選出会議を戦うのは、総務委員会内部の事情によるもの。下郡には直接の関係のないことだ。しかも、その勝ち目は薄い。


 ――このまま栞を無謀な戦いに付き合わせるより、もっと、彼女のためになる道があるんじゃないか?


 そこまで思い至って、小櫃は、ある決心をかためた。

 あるいは会議の情勢を一転させるかもしれない決心。

 その決心を知る者は、この時点で彼ひとりだけだった。





 次回


 第23話

 大浴場にて――友に勧める議長職

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ