第17話 夕食にて――誰が「白票の人物」か
祇園たちが夕食の場に入ったのは、彼女の腕時計が十七時を示したときだった。
側用部の二人の他にも、会議に出席している全員が、食堂に集まっている。
食堂の中央では、亀山選出監理委員長が段ボール箱を開け、中から弁当を取り出していた。
異国の聖職者を思わせる外見の彼が、黒いプラスチック容器に入った安っぽい弁当箱を甲斐甲斐しく配る姿は、どことなくユーモラスな印象を与える。
亀山の隣では、祇園たちが今朝に会った三つ編み髪に眼鏡をかけた選出監理委員の女子が、同じく段ボール箱からペットボトルの緑茶を出していた。
食堂で夕食の準備をしているのは彼ら二人だけだったが、他にも枢要館の内外で、二十人ほどの選挙監理委員がそれぞれの職務に従事している。
――ご苦労様です、と思いながら、祇園は弁当を受け取った。
第一会議室の円卓と異なり、夕食時の席は指定されていない。
なので、祇園と俵田は、食堂の隅のまわりに誰もいない静かな場所を選び、テーブルに着いた。
「……これが、今日の夕食ですか」
二本のエビフライと小さなハンバーグを主菜とし、野菜の煮物や蟹カマボコなどいくつかの副菜が詰められ、白いご飯の上に梅干しが一つ載った弁当。それと、パッケージに俳句を掲載している某メーカーの緑茶。
――以上の献立を眺めて、俵田はつぶやく。
「つつましいですね」
「いや、食べてみると、意外に腹は満たされるよ。味も、まあ悪くない。ただ……」
「ただ?」
「去年の選出会議では、二日目の夕食も、これとまったく同じメニューだった」
「……飽きますね、それは」
――簡素で単調な食事は、あるいは、出席者たちに嫌気を抱かせて、早期に会議が決着するよう仕向ける……という意図によるものかもしれないな。
口に含んだ梅干しの塩気を味わいながら、そのようなことが、祇園の頭に浮かんだ。
「……実は、少し考えたことがあって」
箸を止めて、俵田は祇園に言う。
「たぶん、『裏切り者が誰か』って話にも関係するんじゃないかと思うんですが……聞いてもらっていいですか」
「うん。聞かせてほしいな」
「じゃあ……」
まず俵田は、慎重な声で確かめる。
「先ほどの第三回投票のことですけど……あのとき、平山体育委員長は約束どおり、清川普青に票を入れたんですよね?」
「私は、そうだと思っているけど」
「だとすると、清川普青が獲得した五票のうち一票が平山委員長によるもの、ということになります。けど、それだと……」
「残りの四票が問題になるよね。生徒会で投票権を持つ者は三人、側用部は二人、合わせて五人。この五人のうち、誰か一人が清川普青に投票していない、ということになってしまう」
「あ、既に気づいてましたか」
「まあね」
微笑しつつ頷いて、祇園は俵田に答えた。
このようなことは、当然、側用部だけでなく清川会長たちも気づいているだろう。誰も口にしなかったのは、言えば、それが相互不信の種になってしまうからだ。
しかし、現状、側用部のテーブルの周囲に人はいない。ならば、もう少し自由に意見を出しあってもいいだろう。
祇園は、話を進める。
「第一回から第三回投票までの間、一人だけ白票を続けている人間がいることは、俵田くんも知っているよね。この『白票の人物』を、清川会長は、雨城文化委員長だと考えていたようだけど……」
「ですが、雨城委員長には、第三回投票で一票が入っています。これは、自分で自分に投票したんじゃ……」
「うん、私もそう思う。これまでの情勢を見るに、他に雨城へ投票しようという人間は見当たらないからね。……そして、第三回投票では『雨城の一票』と白票が、それぞれ別に存在している」
「つまり、雨城委員長と『白票の人物』は別だ、ということになりますね」
俵田が述べた結論に頷くと、祇園は、さらにそれを踏まえた考えを語ろうとする。
だが、その直前、彼女は喉の渇きを覚えた。
一口、緑茶で喉を潤してから、祇園は再開する。
「それじゃあ、『白票の人物』は誰なのか、ということになるけど……。これは、さっき言った、清川普青に投票していない一人だろう」
「つまり、生徒会――議長を除いた三人のうち誰か、ってことですね」
俵田は迷いなく、生徒会役員で投票権を持つ三人を疑った。側用部の二人は「白票の人物」ではないと、信じているらしい。
彼自身はともかく、祇園をも潔白だとしたのだ。
「俵田くんは、私を疑わないの?」
尋ねた祇園に、俵田は、まっすぐな視線を向ける。
「僕は、祇園先輩を信じていますよ。僕に黙ったまま、なにかなさることはない、って」
「うんうん。それは正しいよ。もし、私がなにか行動を起こすことがあれば、まっさきに君に打ち明けて、協力してもらうからね」
祇園は、忠実な部下に笑みを返した。
――本当に、この俵田くんは、これまでずっと私に尽くしてきてくれた、と祇園は思う。
側用部の活動は、地味なうえに、機枢高校の広い敷地内を駆け回って会長と委員長たちの間を取り次ぐという、苦労の多い仕事だった。
だが、それでも祇園が命じると、俵田は愚痴ひとつこぼさず、全力で仕事に取り組んできたのだ。
生徒会長になるという夢が破れて、その下働きとなった祇園が、腐らずに職務に励めたのも、俵田の存在が大きいだろう。
彼のために「頼れる部長」でいよう――と、祇園は己を奮い立たせてきたのだ。
既に、俵田の存在は、祇園の内で欠くことができないほど大きなものになっていた……。
「これからも、君には私を支え続けてほしい――というのは、私のわがままかな」
「いえ、こちらこそ……これからも、先輩の下で働かせてください」
俵田の志願に対し、満足げに頷くと、祇園は話題を戻した。
「で、『白票の人物』が生徒会の三人のうち誰か、ということだけど」
「清川会長と会計の東田先輩、そして、書記の清川普青――の三人ですね」
「俵田くんは、目星がついているかな?」
「僕は……清川普青が怪しいと思います」
一瞬だけためらいながらも、俵田は、その名を言い放った。
「清川普青……彼女が次期会長の最有力候補者だってことは、もちろん、俵田くんも知っているよね。その彼女が、自分自身にではなく、白票を投じた、と?」
「ええ。やっぱり、僕には、清川普青が生徒会長にふさわしいとは思えません」
俵田の答えに、祇園は少し眉を寄せた。そして、軽く咎めるように指摘する。
「待った。君が、清川普青に会長の資質はない、と思うのは分かる。でも、それは君の個人的な意見だ。清川普青が白票を投じた根拠にはならない」
「それは分かっています。……でも、僕は思うんです。清川普青も、自分が会長になれるとは考えてないんじゃないかって」
「……どういうこと?」
祇園は、声に微かな興味をにじませて尋ねた。これに俵田は、慎重に言葉を選ぶような口調で答える。
「清川普青って……頭がいいんですよ。彼女、テストだと、いつも学年上位の成績をとってますし」
「本当? 知らなかったよ、私」
側用部部長として、多くの人々の事情に通じている祇園でも、はじめて耳にすることだった。
「まあ、先輩は学年が違いますから……。僕も、清川普青と同じクラスじゃなかったら、知らなかったと思います。それに、彼女、自分の成績とか、あまり広言しないんですよ。いつも、目立たないように気を配ってるみたいで」
「能ある鷹は――ってやつかな」
「ええ。そういう振る舞いができるってことも含めて、やっぱり、清川普青は頭がいいんだと思います。その頭のいい彼女ですから……自分が生徒会長にふさわしくないってことも、分かってるんじゃないかと」
「清川普青に、生徒会長の資質がないという自覚が、ねえ……」
「それに、清川普青の性格からいっても、目立つことを避ける彼女が、全校生徒の上に立つ生徒会長になりたがるとは思えません。この会議を見てても、彼女、どこか熱意がないみたいなんですよね。人まかせっていうか……どうなってもいい、っていうか……」
俵田の意見を聞きながら、祇園は、選出会議での清川普青の姿を思い返した。
会議の間、清川普青はほとんど発言していない。ただ、冷ややかな瞳で成り行きを傍観しているだけだった。
その様子からは、たしかに、生徒会長になろうという意志が欠落しているように思われる。
しかし……。
「しかし、清川普青が次期会長になることは、誰よりも、彼女の姉の清川会長が強く望んでいる。私は側用部部長として、あの姉妹を間近で見てきたけど……やっぱり、清川普青が姉に逆らうとは思えないよ。積極的ではないにしても、姉の意思には従うだろう」
その姉である清川会長は、妹の平穏無事な学園生活のために、生徒会長職を継がせようとしている。
それは、清川普青にとっても悪い話ではないはずだ。
「なにより、清川普青が白票を投じた、その根拠はない。今までの君の推測は、ほとんどが、彼女に対するイメージによるものだね」
「す、すみません……」
「いや、咎めているわけじゃない。ただ、清川普青が白票を投じたと、私には思えないだけだよ。やっぱり、彼女は姉の意思に従って、自分自身に投票したんだろう」
そこまで言うと、祇園はもう一度、ペットボトルの緑茶を飲んだ。それに釣られるように、俵田も茶を口にする。
喉を潤すと、今度は、俵田から祇園に尋ねた。
「それじゃあ、祇園先輩は、誰が『白票の人物』だと思いますか?」
「そうだね……。実は私も、確かな根拠はないんだけど……」
少し、ばつが悪そうに前置きしてから、祇園はその考えを述べる。
「私は、生徒会会計の東田ひよこが怪しいと思う」
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第18話
夕食にて――超然とした矜持




