第16話 私が生徒会長……か
この生徒会長選出会議で、清川会長は、妹の清川普青を次期会長に就任させようとしている。
それは、政権の継承と政策の継続によって学園政治の安定化をはかるためではない。
清川会長の引退後も影響力を残すためですらなかった。
すべては妹のため……。
そのことは理解した祇園だが、まだ、別の疑問が残る。
「……しかし、なぜ、その話を私に?」
「それは、君が、これからの普青にとって必要な人間だからだ」
「私が、ですか?」
たしかに、これまで祇園は側用部として、清川会長の陰で働いてきた。生徒会長と各委員長との間の連絡役という側用部の立場は、これからの「清川普青新生徒会長」の下でも変わらないだろう。
しかし、それだけだろうか。
清川会長の言葉は、なにか別のことを言おうとしているように、祇園には思える。
――自分が「これからの清川普青に必要な人間」とは、どういうことだろう……と、祇園は考え悩む。
その様子を眺めて、また一つ微笑むと、清川会長は静かな、しかし確かな口調で問いかけた。
「祇園。この会議の出席者のなかで、生徒会長にふさわしい人間は、誰だと思う?」
不意の質問だった。意外といってもいい。
祇園は、清川会長がその質問をした意図が読めず、それへの答えも、とっさには出てこなかった。
「清川普青」という答えはないだろう。
彼女に生徒会長としての資質がないことは、先ほど、清川会長自身が明言したばかりなのだから。
長考の末に、祇園は答えを絞り出した。
「雨城文化委員長……でしょうか。学園創立者の末裔で、多くの生徒会長を輩出した名門の血筋ですし、一般生徒たちからの人気もあります」
「いや、違うな」
一蹴されて、祇園はまた考えた。
「平山体育委員長は、どうでしょう。彼女の人格は高く評価されていますし、周囲からの人望もあります」
「違う」
「……では、小櫃総務委員長ですか?」
「自分で信じてもいない答えを、無理に言う必要はないよ」
「それでは、もう思いつきません。あなたの他に、会長にふさわしい人間なんて……」
祇園が降参すると、清川会長は、満足そうに頷いた。
「そうだな。私にも、その自負はある。私以外の何者にも、私のしたようなことはできまい――という自負が。……しかし、残念だが私は、もう引退しなければならない」
少しだけ寂しげに言うと、清川会長は視線を横へ流し、窓の外の夕日を眺めた。
祇園も釣られるように、その視線を追い、おそらく会長が眺めているものと同じ、夕暮れの景色に見入る。
紅に染まる西の空。
沈みゆく太陽は、今の清川会長そのものを象徴しているように、祇園には思えた。
「私はね……」
ぽつり、と会長は語を漏らす。
「……私は思うよ。この機枢高校で生徒会長にふさわしい人間は、ただ二人。私と、君だ」
それは決して、大きな声だったわけではない。
しかし、清川会長が放った言葉は雷鳴のように、祇園の中で轟いた。
「あ……」
声が出ない。
まるで雷に打たれたように、祇園の精神と声帯は麻痺してしまった。
「驚かせてしまったかな。だが、事実だ。私は君を、このように評価している」
清川会長は、優しげに告げた。
対して祇園は、全霊の努力の末に、ようやく声を絞り出す。
「……ご冗談を」
「冗談? 君は、機枢高校生徒会長の発言を、戯れ言の領域にまで貶めるのか?」
「うぅ……で、ですが、私に生徒会長だなんて……」
「自己をどう評価するのかは君の勝手だが、私も含めた周囲の人間は、君に生徒会長としての資質を認めているのではないかな」
おそらく、清川会長は、祇園に票を投じた望陀風紀委員長のことを言っているのだろう。
あるいは、雨城文化委員長や俵田宮一が祇園を評価していることに、どこかで気づいていたのかもしれない。
しかし、それこそ、彼女たちの「勝手」というものではないか。
「……分からないんです。なぜ、私がそんなに評価されるのか。私を評価する人は、私の何を見ているのか」
「そうだな。君に対する評価は、個々人それぞれのものだろうが……私が君に見るのは、全校の統率者としての能力だ」
「全校の統率者、ですか?」
――それは、おそらく自分から最も縁遠い言葉の一つだろう。
祇園は、首を横に振った。
「ありえませんよ。委員長たちはともかく、一般の生徒で私を知っている人は、ごくわずかです。側用部部長とは、そのような立場ですからね。顔も名も知られていない日陰者の私が、全校生徒を率いるなど……」
「有名であるかということと、有能であるかということに、関係はないだろう。それに、ここで重要なことは、君も言うように、委員長たちからの信望だ」
清川会長は、祇園を正面から見つめて説いていく。
「私は、自分の会長としての行動が、他者にとっては苛烈なものだったと自覚している。それでも、委員長たちと激しく争うことはなく、多少の軋轢はあっても、学園を運営することができた。それは、君が側用部部長として、私と委員長たちとの間に立ってくれたからだ」
「…………」
「いわば、機枢高校上層部の人間関係の緩衝材のような役目を果たしてくれたわけだな。……感謝しているよ」
「そんな……」
「謙遜することはない。少なくとも私は、事実として、助けられたと思っている。委員長たちも助かっただろう。私が苛烈であった分だけ、君に頼ろうとしたはずだ」
祇園には、自分がそのような存在だという感覚はない。
ただ、側用部としての仕事を忠実におこなってきただけだ。
清川会長からの評価には、戸惑うしかなかった。
「やはり、私には、そこまで自分を評価することができません。それに……仮に、私が委員長たちから信頼されているとしても、それは、彼女たち数名にとどまります。全校生徒からの支持があるわけではありません」
「ほう……この機枢高校で、『生徒からの支持』がそれほど重要なものだとは知らなかったな」
清川会長の声が、鋭さと冷たさを帯びた。
「一般の生徒など、無力な大衆だ。彼らは、ただ壁の外から会議の結果を見ていることしかできない。そして、彼ら一般生徒を導き、この学園を動かすのは、生徒会長と委員長たちだ」
「…………」
「祇園。たとえ君が全校生徒を直に従わせることができなくても、彼らを代表する委員長たちの上には立てる。古い言葉だが『兵に将たる能わざるも、善く将に将たり』という。それも、リーダーとしての、一つの在り方だろう」
清川会長の持ち出した古言が、「将軍として兵士たちを統率することはできないが、将軍たちの上に立って統率する人物となることができる」という意味だと、祇園は知っていた。
それは、古代中国のある帝王を評した言葉で、やや大仰ではあるが、今の話に説得力を与えるものだろう。
それでも、そうした資質が自身に備わっていると、祇園には思えなかった。
どうすれば清川会長に理解してもらえるだろうか、と祇園は考える。
いや――そもそも、なぜ自分は、このような話を聞かされているのだろうか。
「さて、そこで話は戻る。祇園、君がこれからの普青にとって必要な人間だ、ということに」
清川会長の放ったそれは、祇園の胸中に浮かび上がった疑問を見透かしたような言葉だった。
そのまま清川会長は、まっすぐな視線を祇園の瞳へ注ぎながら告げる。
「君には、委員長たちを統率する力がある。望みさえすれば、生徒会長の地位を手にすることができるほどの力だ。その力を使って、これからの普青を助けてほしい」
「……なるほど。今までの話はすべて、私に妹御を補佐させるためのものだった、ということですか」
ここまで、ずいぶんと高く見積もられたものだが、その意図は、祇園にも理解できた。
どこまでも「妹思い」の会長だ――と祇園は思う。
それでも、祇園は、清川会長に対して否定的な感情を抱けなかった。
むしろ、清川会長が妹への権力継承に拘る、その真の理由を教えてもらえてよかった――とさえ感じている。
敬愛する人からの信頼が、素直に嬉しい祇園だった。
「分かりました。非才の身ではありますが、これからも、清川普青さんに協力させていただきます」
祇園の確かな答えを聞いて、清川会長は満足そうに、にこやかな笑顔で頷いた。
しかし、その笑みをすぐに消失させると、咎めるように告げる。
「祇園。『非才』と君は言うが、そういつまでも、卑下していてはいけないよ。今まで述べたとおり、私は、君を高く買っているんだから。……あまりに謙遜が過ぎると、私の見る目がないということになってしまう」
「す、すみません……」
清川会長の注意に、祇園が謝った直後だった。唐突に、第二会議室のドアをノックする音が鳴る。
「側用部員の俵田君かな。平山体育委員長に再度の協力を頼みに行かせた、その報告だろう。まあ、あまり期待はできないが……」
そうつぶやくと清川会長は、これまでの穏やかな眼を、いつもの鋭いものへと戻した。
それを見て、祇園は、清川会長と二人きりでの話が終わったことを知る。
祇園の心に、自身の今後について考えさせる「何か」を残した対談だった。
帰ってきた俵田の報告は、やはり、平山体育委員長が再度の協力を拒んだ、というものだった。
聞き終えると、清川会長はそれほど落胆したような素振りも見せず、側用部の二人を下がらせた。
「……すみません、祇園先輩。僕の力不足です」
「いや、気にすることないよ。清川会長も、平山が前言を撤回して再び協力するとは、ほとんど期待していなかったみたいだし。……平山は頑固ものだからね、仕方ない」
そう言って、祇園は後輩を慰めた。だが、俵田には納得できないことがあるようだ。
「ですが、清川会長への協力を拒んでは、平山委員長にも不都合なんじゃないですか? あれほど平山委員長がこだわった体育系部活動の廃部計画撤回も、反故になってしまうでしょうし」
「うん、そうだ。そうなんだけど……こうなると、平山は、清川普青に完全に見切りをつけたんだろうね」
「清川普青が新生徒会長になることはない、と?」
「そう。清川政権の継承が成らなければ、廃部計画も白紙に戻ってしまう。それを見こして、平山は、わざわざ節を曲げて清川会長に従属することをやめたんだろう」
そのとき、祇園の内に、ある考えが浮かんだ。
平山の「一度だけ、清川普青に投票しよう」という言葉は、現在の状況をあらかじめ想定していて、容易に清川会長陣営から離脱できるようにするための「保険」だったのではないか。
もし、それが事実なら、平山も実直なだけではない、なかなかに強かな性格の持ち主ということになるが……。
そこまで考えると、祇園の頭には新たな疑問が生まれた。
「強かな」平山体育委員長は、清川会長陣営を離脱した後、次に誰を支持するのだろうか。
再び小櫃総務委員長の陣営に戻るのか。
新たに別の候補者を見つけるのか。
それとも……。
――それとも、平山自身が、会長職を狙うか?
それは、ふと祇園の頭に思いついたことだったが、そう馬鹿げた発想でもないはずだ。
平山には、一般生徒からの人望がある。
それに、彼女自身が生徒会長になれば、体育系部活動の窮状を改善することもできるだろう。
現状のところ、平山は一つの票も獲得していない。しかし、それは、彼女が自ら生徒会長になろうとしないで、他の候補の支持者に甘んじていたからだ。
平山がその野心を抱けば、次回の投票は、どうなるか……。
だが、会議の先行きを不明瞭にするものは、平山体育委員長の進退だけではない。
前回の投票では、雨城文化委員長にも票が入り、新たな会長候補者となった。
また、第一回投票から、不可解な白票も続いている。
会議の情勢は、いよいよ混迷極まったようで、祇園としては途方に暮れそうな思いを抱くのだった。
「……先輩?」
黙考に沈んでいた祇園の意識を現実に戻したのは、俵田の呼びかけだった。
「あの、先ほどお借りした時計ですが、いろいろあって返し忘れていて……」
言いながら俵田は、制服の胸ポケットから大切そうに腕時計を差しだした。
それは、第二回投票の前、祇園が望陀風紀委員長を説得する際に、俵田へ預けていたものだった。
「ああ。私も、返してもらい忘れていたよ」
優しく微笑むと、祇園は腕時計を受け取る。
それを自身の腕に巻きながら、祇園は、ふと友人のことを思い起こした。
――望陀は今でも、私に生徒会長になってほしいと思っているんだろうか……。
馬鹿馬鹿しい。私に生徒会長なんて……。
しかし、祇園の自己否定は、そこまでで停止した。そこから新たに、別の記憶が連想される。
つい先ほど、清川会長から告げられた言葉だ。
「――この機枢高校で生徒会長にふさわしい人間は、ただ二人。私と、君だ」
「――君には、委員長たちを統率する力がある。望みさえすれば、生徒会長の地位を手にすることができるほどの力だ……」
これまでずっと、祇園は自身を未熟だと考えていた。
それは、清川会長の側にあって、どうしても優秀な彼女と自分を比較してしまったからだ。
しかし、先ほどの会長の言葉は、憧れつつも敵わないと思っていた存在からの承認ではなかったか。
あのときは、困惑と混乱の中にあって、言葉の意味を完全には理解していなかった。
しかし、いま思い返してみると、それは、祇園がこれまでずっと聞きたかった言葉ではなかったか。
ぴしり、と音が鳴る。
耳の奥……いや、心の奥で発した音だ。
心の中、コンプレックスの殻に亀裂が入った音を、祇園は聞いたような気がした。
「私が生徒会長……か」
コンプレックスの殻を破り、そこから静かに、何かが這い出してくる。
このとき、祇園の心に生まれた「それ」は、決して大きなものではない。
卵からかえったばかりのように貧弱で、今にも消え去りそうな存在。
しかし「それ」は、これまでの祇園にはなかったもの。あるいは、忘れ去っていたものだった。
祇園は、まだ知らない。己の内に生まれた「それ」が、やがて「野心」という名で呼ばれることを……。
次回
第17話
夕食にて――誰が「白票の人物」か




