第15話 それでも、あなたは機枢高校にとって偉大な会長ですよ
第二会議室には、祇園と清川会長の二人だけが残った。
他の生徒会役員たちがいないことに、このときはじめて祇園は気づく。
「そういえば、那珂川議長たちは……」
「ああ、彼らにも退室してもらっている。……祇園と、二人きりで話がしたいからね」
言うと、清川会長は微笑んだ。
夕暮れ時のことだった。第二会議室の窓から差す紅の光が、会長の微笑を染める。
いつもの秀麗な顔立ちは、このとき、いっそう艶めいたものとなり、その輝きに祇園は見惚れてしまった。
「…………」
「祇園?」
「……は、はい」
「もう一度、君に聞くが……」
その微笑を一分も変化させないまま、清川会長は問いかける。
「祇園。今の君に、生徒会長になろうという野心はあるか?」
そう問われるのは、二度目のことだった。
それへの答えが、祇園の内で変わることはない。
「いえ、ありません。……私などに、生徒会長の仕事は務まりませんよ」
答えながら祇園は、なぜ再びこの質問をされたのか、そこに疑問を感じた。
自身の言動が、ありもしない野心を清川会長に疑わせるようなものだったのだろうか……。
「どうして……また、そのような質問を?」
「…………」
緊張の声で尋ねた祇園を、清川会長は黙ったまま見つめる。
いつもの鋭さが消えた、穏和な眼だった。そこにも、祇園は奇妙な違和感を覚える。
奇妙な違和感。
だが、それ以上に、彼女が感じるのは懐かしさだった。
――ああ、そうだ。これは清川会長の……いや、清川先輩の眼だ。昔は先輩も、こんなまなざしを私に向けてくれた……。
やがて、清川は、その視線と同質の口調で語りだした。
「一応の確認、といったところだ。今から話すことは、会長職に野心を持つ人間には、とても聞かせられないものだからね。……私が、妹の普青に生徒会長職を継がせる、その理由なんてものは」
「……それは、会長が清川普青書記に、その資質を認められたからでは?」
「ふふ……無理に追従する必要はないよ。あれに、人の上に立つ資質がないことは、姉の私がいちばん分かっている。気弱な性格だからな、普青は。会長を補佐する書記としては優秀なんだが……」
先ほどの微笑に、やや苦みを足した表情で、清川会長は言った。
「そんな普青だが、だからこそ私は、あれに生徒会長を継がせようと考えた」
清川会長の逆説的な言葉は、当然、それだけで祇園の理解を得られなかった。
混乱する表情を浮かべた祇園へ、続けて会長は説明する。
「君も知っているだろうが、機枢高校は……生徒が統治するこの学園は、昔から争いや諍いが絶えなくてね。それだけ、学園を支配できる権力が、野心家の生徒たちにとって魅力あるものだったというわけだが」
「はい……」
「しかし、その強大な権力を得ても、結局、私はこの学園の問題をすべて解決することができなかった」
……内務委員会を滅ぼして生徒会専制を確立して以後、清川会長は、体育系部活動の冷遇などもあったが、それを差し引いても、まず生徒たちのためになる学園政治をおこなった。
今なお、清川会長の人気は絶大なものだ。彼女に冷遇されているはずの体育系部活動の中にさえも、多くの支持者がいる。
まったく皮肉な現象だが、彼らは自分たちを窮状から救ってくれる存在として、自分たちを窮状に追いこんだ者を信じたのだ。
美しい生徒会長のカリスマ性が、彼らを魅了し、騙し抜いたのだろうか。
あるいは、彼らはすべて承知の上で、それでも独裁者にすがるしか救われる道がないと考えたのかもしれない。
とにかくも清川会長は「偉大な生徒会長」として学園を治め、多くの生徒たちから支持されてきたのだった。
しかし、神ならぬ人間による統治だ。すべての生徒の要望を叶えることなど、できるわけがない。
清川会長に不満を抱く者は、少数ながら存在し続けた。
反対者たちの不満が高まり、不穏な動きを見せると、清川会長としても無視することはできない。
それへの対処に、彼女が、あえて強権的な弾圧という手段を用いたのは、政権誕生時からの宿命だろう。
彼女は、それ以前の「内務委員会による支配体制」の破壊者として、生徒会長に就任した。その彼女が弱気な対応をしては、旧勢力の復活を許すことにもつながりかねなかったのだ。
「……ですが、清川会長が就任なさる以前に比べれば、現在はずっと良好な状態ですよ。ほとんど平穏無事といっていいでしょう。今、表だって会長に対抗する者は、小櫃総務委員長たちぐらいなものですし」
「平穏無事、か。それは、私の権力に守られた側用部の君だからこそ、言えるセリフかもしれないな」
「……そうでしょうか」
「いや、別に、君に皮肉を言っているわけじゃない。私が言いたいのは、この争いや諍いの多い機枢高校で最も安全な場所は、権力の中枢だということだ」
そこまで話を聞いて、祇園は、あることに気づいた。
今年の四月、松丘万鑑が生徒会の書記を辞めた後のこと。清川普青が機枢高校に入学してすぐ生徒会に入った、その理由――。
「では……会長が、まだ一年生の妹御を書記になさったのは、ご自身の権力で彼女を護るためだったのですか?」
「察しがいいな。しかし、まだ足りない」
清川会長は、やや語調を強めて、その思いを明らかにする。
「私は普青に、権力の最も中枢、最も安全な場所にいてもらいたい、と考えている。つまり……生徒会長だ」
気弱な妹に学園最高の地位と権力を与える。生徒会長という黄金の煌めく鎧を着せることで、その身を機枢高校内でのトラブルから守る――それが、清川会長の真意ということなのだろうか。
祇園は、まだ完全には納得できない。
「じつは……あなたは、卒業後も学園にご自身の影響力を残すため、妹御を生徒会長に仕立てるのだと、私は思っていました」
「うん。そのことも、考えてはいる。ただ、それは手段であって、目的ではないな」
「……どういうことですか?」
「こういうことだ。――普青が生徒会長になって、権力を手にしたとしても、その扱いには困るだろう。だから、普青が立派に会長職を務められるように、私は卒業後も校外から助言するつもりでいる。結果として、多少は私の影響力が残ることになるが……それは、あくまでも普青のためだ」
それを聞いて、ようやく、祇園は清川会長の考えが分かった。
この生徒会長選出会議に勝利し、清川普青を次期会長に就けようとするのは、すべて彼女のため――妹のためだったのだ。
「……つまり、私事ですか」
「そう。この会議において私は、徹頭徹尾、私的な欲求で動いてきたわけだ。……幻滅したかな」
――幻滅、か。
祇園は心の中でつぶやき、しばらくの間、「生徒会長・清川総璃愛」というものについて考えてみた。
その辣腕によって、学園を率いてきた偉大な生徒会長。
それは幻想だったのだろうか。
清川会長の真の目的は、私的な欲だった。
この会議に限らず、たとえば四月に入学したばかりの清川普青が生徒会書記になったことも、やはり妹のためだった。おそらく、他のところでも、清川会長は妹の幸福を第一に動いてきたのだろう。
それは、一人の姉としてはともかく、機枢高校の生徒会長としては、公私混同との謗りをまぬがれないはずだ。
しかし……なぜか、不満や怒りといった否定的な感情が、祇園の内には生まれない。
この学園に入学したとき、まだ生徒会長になることを志していたころの祇園なら、義憤にかられていただろう。
一年前、夢破れた側用部の部員として前回の生徒会長選出会議に出たときの彼女でも、不快感は覚えたはずだ。
だが、今の祇園は、怒ることができなくなってしまっていた。湿気た花火のように、心に火がつかない。
「たった一年でも人は変わってしまう」と、今日の会議が始まる前に、祇園は言った。
かつて、学園と生徒のために内務委員会を潰すと豪語した清川会長は、この一年間で、私的な欲求を満たそうとする権力者となってしまった。
同じように、祇園もまた変わってしまったのかもしれない。
生徒会長になろうとした夢は失せた。
今では、「自分なんかが生徒会長になれるわけがない」というコンプレックスの厚い殻が心を閉ざす。
夢破れた祇園は、かつて密かに清川会長へ期待していた。
自分の代わりに、生徒の声に応える「新しい生徒会長」になってくれる――という最後の情熱。
しかし、その期待は裏切られ、ついに情熱も冷めた。
今の祇園の思考は冷ややかなものだった。その思考を、彼女は進めていく。
たしかに、清川会長は公私混同をしているのかもしれない。しかし一方で、任期中の業績を見るに、その存在が学園と生徒たちにもたらした利益は、不利益よりも遥かに大きいのだ。
私的な目的と公的な利益の合一。
これを自己の手腕によって実現してみせたというのは、ある意味で清川会長らしい偉業ではないか――そのような思いも、祇園の内には存在した。
やがて、祇園は静かに口を開く。
「……それでも、あなたは、機枢高校にとって偉大な会長ですよ。あなたが任期の内に成したことが、それを証明しています」
それが、祇園の結論だった。
次回
第16話
私が生徒会長……か




