第13話 二人の遅刻者、そして、第三回投票
平山が味方となったことを、祇園は清川会長に報告した。
こうして、清川会長陣営の面々は勝利の確信を胸に、第三回投票へ臨むことになった。
「……これで、決まりかな」
十四時五十五分を示す第一会議室の壁時計を見上げながら、祇園は、ぽつりとつぶやいた。
今まで清川普青には五票が入っていたが、平山体育委員長の寝返りにより、過半数の六票が確実になったのだ。
これによって、次の十五時からの第三回投票で、ついに新しい生徒会長が誕生するだろう。
――新生徒会長……か。
そのことを考えると、祇園の胸に、なにかが引っかかる。
昨年の会議で、彼女の先輩である清川が生徒会長に選ばれたときも、そうだった。
新しい生徒会長を選ぶということに、祇園は虚心でいられない。
まだ、生徒会長に、破れてしまった夢に、未練でもあるのだろうか。
――馬鹿馬鹿しい。私は、もう終わっているんだ。
ともすれば胸中に溢れそうになったその思いを一蹴すると、祇園は前を向いた。
未練など、遥か昔に捨て去っているはずだった。
前を向いた祇園が、自席から議場を見ると、ある異変に気づく。
十二人が着くはずの円卓に、二つだけ、空席があったのだ。
その席は、平山体育委員長と雨城文化委員長のものだった。
「二人は……まだ?」
「ええ。どうしたんでしょうね。もう、他の人たちは全員、着席しているのに」
祇園は右隣りの俵田に尋ねたが、当然のように、彼も事情が分からないようだった。
側用部だけでなく、他の出席者たちも、この異変に気がついていた。
平山は誰もが認める生真面目な人物だったし、雨城も、まず良識に逸れない人格で知られている。その二人が重要な会議に遅刻するというのは、出席者一同を充分に動揺させる事件だった。
まさか、なにか尋常でない事態――たとえば、事故や体調不良といったものが、二人の身に生じたのだろうか……。
時計の針が十五時に近づくにつれ、一同の不安も増していく。
そして、それが限界に達しようとしたとき――十四時五十九分五十数秒のことだ。
「――遅れて申しわけない」
ようやく、遅刻者が第一会議室に現れた。
ただ、その人物は、一人だけだった。
その人物――体育委員長・平山雪家は、一同に遅参を詫びると、後は無言のまま自席に着いた。
既に、会議再開時刻の十五時を過ぎている。
しかし、まだ、雨城文化委員長だけが姿を見せない。
会議を取り仕切る那珂川議長としては、この問題を解決しないわけにはいかなかった。
「平山委員長。雨城文化委員長が、まだ来ていないのだが。なにか知らないだろうか?」
その問いを受けて、一瞬、平山は意外というような驚きの顔になる。
当然だろう。平山体育委員長と雨城文化委員長は、政敵どうしなのだ。敵対する二人が互いの事情を知っているわけがない――と誰もが考えるはずだ。
那珂川が平山に尋ねたのは不可解な行動だった。それだけ彼が焦り、動揺していたからだろうか……。
平山は切れ長の眼で、那珂川を観察する。
やがて、なにかを悟ったような表情をひらめかせると、彼女は質問に答えた。
「ああ……雨城委員長ですか。彼女とは……ええ、その……私がここに来る前に会いました。会いましたが……少し遅刻してしまう、と言っていました。えーと、その……忘れ物をした、とかなんとか」
その答えも、それを口にする平山の様子も、なにかを隠しているようで明らかに怪しいものだった。
「……もし、ここがミステリーとかサスペンスの物語の中なら、平山委員長は雨城委員長を殺めてしまって、その犯行現場から戻ってきたところ――といった感じですかね」
「それにしては、演技がへぼすぎるでしょ」
俵田の冗談に、わずかに口元を緩めて祇園も応じた。
彼ら側用部だけでなく、議場の一同も、先ほどまでの不安がやわらいでいた。これは、平山の常にない調子はずれの言動に、緊張が解けたためだろう。
それでも、そうした彼女の怪しい様子には、なお疑問が残ったが……。
短い溜め息をつくと、那珂川議長は、一同の気を引き締めるように冷厳な口調で告げる。
「十五時十分まで、雨城委員長を待つことにする。その後も彼女が姿を見せないようなら、祇園側用部長、君たちに探しにいってもらう」
「了解いたしました」
祇園も表情を引き締めて答えた。
側用部が「生徒会長の使い走り」であることを考えれば、名指しの依頼も不思議ではない。そのことを祇園は理解していた。
……しかし、祇園たち側用部が出動することはなかった。
十五時九分になって、ようやく、雨城文化委員長が姿を現したのだ。
「お待たせしてしまい、まことに申しわけありません」
深く頭を下げ、文化委員長・雨城楊子は己の罪を謝した。
この「罪」というのは、過剰な表現ではない。
少なくとも雨城自身は深刻に、自身の九分間の遅刻を重い罪だと思っているようだった。
その丁重な謝罪は、むしろ、待たされていた者たちの方を圧迫する。
名門の「雨城」に頭を下げさせることが、彼らの内で、かなりのプレッシャーとなっていたのだ。
「雨城委員長、以後気をつけてくれれば、それでいい。席に着くように」
出席者一同の気持ちを代弁するように、那珂川議長が告げた。
それを受けて、もう一度、頭を下げると、雨城は自席に着いた。
「……では、会議を再開する」
ようやく、その台詞を議長が言えたのは、十五時十一分のことだった。
その後は、すぐ投票に入る。
会議の再開の遅れを取り戻す、というわけではないが、既に話しあうこともなかったのだ。
なにより、議長も含めた清川会長陣営の勝利への確信が、会議の決着を強く求めていた。
「選出監理委員長、お願いする」
議長の指示を受けて、亀山選出監理委員長は、自身の務めをおこなった。
投票と、その後の開票作業。その結果を、亀山は議長に手渡す。
そこまでずっと、亀山の表情が変わらなかったのは、投票結果が彼の予想を超えるものではなかったからだろうか。
あるいは、どのような結果に際しても粛々と自身の職務を遂行する、彼の責任感の表れかもしれなかった。
しかし、その投票結果を伝えられた那珂川議長は、亀山のように無表情ではいられなかった。
一瞬、いつもの眼光が、さらに険しさを増したのだ。
それを窺った出席者たちは、第一回、第二回と同一のものが続いた投票結果に、大きな変化が生じたことを察した。
「第三回投票の結果を発表する」
表面上だけ冷厳な口調で議長が読み上げた、三度目の投票結果は、以下の通りだ。
清川普青・生徒会書記―――五票。
小櫃渉・総務委員長――――二票。
雨城楊子・文化委員長―――一票。
祇園渚卯子・側用部部長――一票。
白票―――――――――――一票。
その「変化」は、一同の想像を超越したものだった。
第三回投票でも会議は決着せず、むしろ、混迷の情勢へと向かっている。
この投票結果が前回までと異なる、その最大の点は、文化委員長・雨城楊子に票が入っていることだろう。
会長候補者として注目されていなかった人物への票、ということなら、これまでの「祇園への一票」と同様だ。
しかし、名門「雨城」の人間として、一般生徒からの人気が高い雨城楊子が会長指名競争に登場した、その衝撃は、祇園の時と比較にならない。
この時点で、雨城の票はまだ、たった一票だけだ。しかし、今後の情勢次第では、彼女が次期会長となる可能性も充分にあった。
表層に現れた最大の変化は「雨城への一票」だろう。しかし、もう一つ、出席者たちを驚愕させる事象が生じている。
それは、清川普青が、これまで通り五票しか獲得していないこと。
そして、小櫃総務委員長が、これまで三票だったのに今回は二票に減じたこと。
この二つの事象からは、一つの疑惑が生まれた。双方の陣営に共通する一つの疑惑。
「平山体育委員長の裏切り」だ。
清川会長陣営は、清川普青への投票を確約したはずの平山がその約束を反故にした、と思った。
一方、小櫃総務委員長陣営は、平山が離反したために票が減じたと考えたのだろう。
双方の陣営から、猜疑と非難の視線が一斉に放たれ、平山に集中した。
針のむしろに包まれたような雰囲気の中で、平山は固く沈黙を守っている。ただ一度、ひどく落胆したような溜め息をついただけだ。
その様子からは、彼女が約束を破ったと、祇園には思えないのだった。
次回
第14話
ある記録者の記録




