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第9話 体育委員長の本質




 機枢高校は、伝統的に文化系の部活動が盛んな学校だ。

 とくに、雨城楊子が文化委員長に就任してからの一年は、彼女の保護政策により、多くの部が著しい発展を遂げた。

 これは、学園を厳格な管理体制によって支配していた内務委員会の時代からの反動でもあっただろう。

 内務委員会による統制――とくに出版物や映像作品に対する検閲は、学術研究や創作活動、報道活動などをおこなう部を厳しく抑圧していたのだ。

 機枢高校の歴史を調べて著述する校史研究部、その成果に取材した文芸創作をおこなう校史小説部、生徒会や委員長による校内政治について報道する第一新聞部、ゴシップ紙の第二新聞部……多くの部活動にとって、冬の時代だった。

 その時代を変革したのが、清川会長だった。会長は内務委員会を解体へ追い込むと、自身に協力的な文化委員だった雨城楊子を委員長に抜擢したのだ。


 こうして文化委員長となった雨城楊子は、すぐに、文化系部活動の状況を改善することに取り組んだ。

 雨城委員長は部を保護しつつも、その活動に過度に干渉することはなかった。ただ、清川会長派の幹部という自身の立場を活かして、学校の予算から豊富な資金を流し込む。

 それによって、機枢高校の文化系部活動は、雨城委員長の下で自由と繁栄を謳歌することができたのだった……。


 しかし、清川会長が金貨の湧き出る神秘の壺を持っていない以上、学校の予算にも限りがある。

 富める文化系部活動の陰には、その皺寄せを受けた貧しき体育系部活動が存在していた。

 彼らは少ない予算での活動を余儀なくされ、さらに、場合によっては廃部を宣告されることもあった。

 このような体育系部活動を守るべき責任が、体育委員長・平山雪家にはある。

 彼女が清川会長と対立し、小櫃総務委員長を新たな生徒会長に推すのも、当然のことだろう。


 その平山体育委員長を、清川会長の陣営に引き込まなければならない。

 困難極まる任務を帯びて、祇園と俵田は、平山の部屋を訪れた。


「側用部の祇園です。平山委員長、あなたに話があります。部屋に入れてもらえませんか」


 ドアを軽くノックして、祇園は室内にいるはずの人物に呼びかけた。

 ……しかし、返答はない。


「留守……ですかね」

「あるいは、居留守かもね」


 清川会長の陣営に属する側用部だ。

 小櫃総務委員長の同盟者である平山としては、投票を前にしたこの時に、接触を避けたいと思うのかもしれない。側用部との会話を誰かに見られれば、それだけで、清川会長陣営への寝返りを疑われるのだ。

 それは、実直な性格の彼女にとって、堪えられないことだろう。


 しかし、清川会長の命令を受けた祇園は、なんとしても平山に会って、彼女を寝返らせなければならなかった。

 もう一度、祇園は室内に呼びかける。


「平山委員長、あなたが自身を不遇だと思うなら、それを変える機会は、今この時しかないでしょう。会って、話だけでも聞いてもらえませんか」


 これにも、沈黙だけが返ってきた。


 ──やはり……駄目か。


 祇園が、そう考えた時だった。

 今まで固く閉ざされていたドアが、わずかに開かれた。

 ドアの隙間から、平山体育委員長の切れ長の瞳が、祇園を鋭く睨む。


「……私は、自分を不遇だとは一度も思ったことがない。私が思うのは、自分への苛立ちだけだ。私を頼ってくれる人たちに応えられない自分への、な」

「それなら、やはり私の話を聞くべきだ、平山委員長。あなたのそうした問題も、私と話すことで解決するかもしれないから」

「…………」


 祇園の言葉には何も答えないで、平山は側用部の二人を室内に入れた。そのまま、ドアから半身だけ出して周囲を見回し、誰も見ていないことを確認する。

 普段の颯爽とした平山らしくない、どこか臆病な行動だったが……それが済むと、彼女は静かにドアを閉めた。





 体育委員長・平山雪家は、清川会長や雨城文化委員長ほどではないが、一般生徒に人気があった。

 彼女の誠実な人柄や颯爽とした振る舞いは好かれたし、その容姿もまた、多くの好意を寄せられるに充分なものだったのだ。

 すらりと伸びる長身。明るい赤茶色の髪はポニーテールにまとめている。眼は、やや切れ長で、引き締まった顔立ちには中性的な趣がある。

 どこか、中世風ファンタジー小説に登場するような、凛々しい騎士をイメージさせるものだった。

 しかし、平山雪家が女性だということは、なによりも、その豊かな胸が雄弁に主張している。

 祇園も同性として、平山のそれを羨望の眼差しで眺めたことが、何度かあった。

 ただ、このときは差し迫った状況にあったので、祇園は真剣な視線をつくって早速、用件を切り出した。


「平山委員長、あなたには、清川会長が次の投票における協力を求めています」

「……なるほど。つまり、会長は私を、たやすく味方を変えるような変節漢だと評価してくれたわけか。まったく、光栄なことだ」


 皮肉というのすら生やさしい、それは、刃のような鋭さを内包する答えだった。

 その口調と同じく、まるで騎士が剣を構えるような雰囲気をまとって、平山委員長は祇園に対峙する。

 彼女の精神は、たとえるなら高山の雪中にそびえる(いわお)のように、高潔で、厳格なものだ。

 これを攻略する困難に、祇園はあらためて胸中で嘆息する。

 それでも祇園は気を引き締めると、制服の内ポケットから一通の黒い封筒を取り出した。


「無論、会長も私も、あなたを簡単に味方にできるとは考えていません。相応の対価が必要なことは理解しています。なので……まずは、これを読んでください。清川会長が、あなたに宛てたものです」


 差し出された黒い封筒の中には、平山を引き込むための条件が記されているのだろう。それは、つまり、彼女を裏切り行為へ走らせようとするものだ。

 彼女は、自己の良心に基づいて、受け取ることを拒否してもよかった。


 しかし、平山は一瞬だけ祇園を睨むと、封筒を受け取った。

 清川会長からの条件は、体育委員会や体育系部活動の現状を改善するものかもしれないのだ。彼らに対する責任を平山が負っている以上、彼女としては、その条件を確かめないわけにはいかなかった。


 平山は黙ったまま封筒を開け、中の文書を読んでいく。

 その様子を、祇園と俵田は静かに見守った。

 彼女たち側用部は、規則により、生徒会長から委員長への封をされた文書を勝手に読むことができない。よって、平山にどのような条件が示されたのか、彼女たちには分からなかった。

 そのため、俵田は興味の視線で平山を眺めている。

 彼ほど露骨ではないが、祇園も、気にならないといえば嘘になる。自制しつつも、平山の表情を探ろうとした。


 その、平山の引き締まった顔つきは、読み進めるにつれて険しさを増していくようだった。

 やがて、彼女は読み終えると、嘆息して言う。


「祇園側用部長、君は……この封筒に記されている、清川会長からの条件を知らないのだろうね」


 確かめるような平山の言葉に、祇園は黙って頷いた。

 それを見ると、平山は落胆を隠さずに語り出す。


「当然のことだ。知っていれば、こんなものを平然と渡せるはずがないからな。……では教えるが、清川会長は私の協力に対する見返りとして、体育委員会の来年度予算の増額を提案してきた。今までの、文化委員会偏重の不均衡が覆るほどの、な」

「……それでは、不満でしょうか?」


 清川会長の掲示した条件は、体育委員会の待遇を大幅に改善するものだった。これを、体育委員長が不満に思うはずはないのだが……。


「不満、というよりも不足だ。金銭の問題じゃない。たしかに、予算の増額は我が委員会にとって喜ばしいことだが。しかし、それ以上に、我々は切迫した問題を抱えているんだ。まさか、当の清川会長が、それを知らないはずはないが……」


「――体育系部活動の廃部計画!」


 ようやく、祇園は気づいた。

 まったく、そのことを忘れていたのは、祇園の失態だった。

 その「廃部計画」は、平山体育委員長との交渉に大きく関わる事情なのだ。


 清川政権による文化系優遇の政策は、代償として、体育系部活動の不遇を生んでいた。

 もともと機枢高校では体育系部活動が盛んでなかった上に、予算まで減らされたのだ。

 苦しい経済状況もあって、体育系部活動の部員や入部者数はさらに減っていった。結果、いくつかの部活動――そのなかには、野球やバスケットボールといった他校では人気のある競技も含まれる――は、試合をおこなえる最小限の人数すら揃わなくなってしまった。

 そのような部活動の存続を許すほど、清川会長は寛容ではなかった。まともに活動のできない微小な部を廃し、それによって生まれた予算上の余裕を、他の部に回す。

 極めて合理的で冷徹な考えのもと、会長は廃部計画を作成していった。

 しかし、清川会長の任期満了が迫った現在になっても、まだ、この廃部計画は実行に移されていない。

 おそらく清川会長は、この処断を、選出会議の後に就任するだろう「清川普青新生徒会長(いもうと)」におこなわせるつもりらしい。それによって、「新生徒会長」の権威と実力、そして姉の政策を継続する意志を全校に示そうというのだろう。


 当然、この計画に、平山体育委員長は反対している。

 そもそも、体育系部活動の窮状は清川政権に責任があるのだ。その上、「新生徒会長」の権威付けのために廃部を断行するなど、容認できるわけがない。

 平山は体育系部活動の擁護者として、清川会長に計画を撤回させなければならなかったのだ──。


「祇園側用部長。清川会長に伝えてもらおうか。真に私の協力を求めたいのなら、まず、私の欲するものを提示するべきだ。出し惜しみしていては話にならない、とな」

「……分かりました」


 苦く答えて、祇園は敗北を認めた。

 彼女の力不足というより、「武器」が不足していた。平山を攻略するには強力な武器――廃部計画撤回が不可欠なのだ。

 ここは一度、引き下がり、清川会長の判断を仰ぐしかなかった。


 突き返された黒い封筒を受け取り、祇園と俵田は退室しようとする。

 そのときだった。突然、彼女たちは呼び止められる。

 平山の、先ほどとは調子の違う躊躇(ためら)いがちな声によって。


「……少し、待ってほしい。一つ聞いておきたいことがある」

「なんでしょうか」

「このようなこと、私の立場で言うべきじゃないと分かってはいるんだが……」


 そこまで逡巡すると、平山はようやく決心を顔に浮かべて、一つの問いを放った。


「その黒い封筒には、協力の見返りとして体育委員会の予算増額が記されていたが、それは、今までの文化委員会の優遇を改めるものだろう。そのことを、雨城文化委員長は承知しているのか?」


 これは、祇園にとって意外な質問だった。彼女だけでなく、機枢高校の政治情勢を少しでも知っている者にとって、驚愕の事件だろう。

 平山が、政敵ともいうべき雨城を気にかけたのだ!

 あるいは、平山の潔癖なまでの実直さが、雨城を出し抜くような行為を潔しとしなかったのだろうか。

 その真意を掴めないまま、祇園は平然を装った表情で答える。


「……それは、清川会長と雨城委員長の間の事情であって、あなたには関係のないことですが」

「それはそうだが……いや、雨城委員長が承知しているのなら、私も構わない。しかし、雨城委員長の知らないところで、彼女の不利益が決定されたのではないか? もしそうなら、これまでの彼女の、清川会長への忠勤も報われないだろう。私としても、忠実な部下を平然と切り捨てるような人物とは、交渉しようとすら思えなくなるが」


 ──なるほど、平山は、雨城文化委員長を気にかける風を装って、清川会長の強権的な振る舞いを牽制しているのか。


 そう解釈し、納得した祇園だが、それへの返答には迷った。

 祇園も、この件を雨城が承知しているとは思えなかったのだ。

 返答に窮した祇園の様子を、平山はしばらく眺めていた。やがて、彼女は穏やかな口調で、祇園に告げる。


「答えられないか。……まあ、仕方がないな。私に体育委員長としての責任があるのと同じように、君にも側用部としての立場があるんだから。返答に困るようなことを聞いてしまって、悪かったね」


 そう詫びた平山の瞳は、このときはじめて、温和なものとなった。

 祇園を気遣おうとするような態度。

 そこに、祇園は、平山の本質のようなものを感じ取ったように覚えた。


 ──平山雪家という人は……。


 彼女の前から退出しながら、祇園は思う。


 ──平山雪家という人は、高潔で、厳格で、生真面目で……そして、優しい。


 その彼女を心変わりさせようとした自分の行為に、祇園の良心は、針で刺されたような痛みを覚えるのだった。





 次回


 第10話

 保健委員長との対峙

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