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序章 記憶の中の生徒会長選出会議




「――右の投票結果を受け、生徒会規約第五条および会議規則第十八条第二項により、本会議は、清川(きよかわ)生徒会書記を次期生徒会長に指名することに決しました」


 薄暗い密室の中、広い円卓の最奥の席に座る議長が言った。

 彼の宣言の後、数瞬ほど間をおいて、拍手の音が続く。盛大だが、どこか空虚さを感じさせる音だった。

 密室に響く拍手は、円卓に着く十二人の生徒のうち、十一人によるもの。ただ一人の生徒だけが、周囲に同調していない。

 その男子生徒は、愕然としたまま、死人のようにしばらく固まっていた。それでも次第に、顔には困惑と不満と怒りの感情が浮かびあがっていき、ついに口から溢れ出た。


「これは、どういうことだ!?」


 男子生徒は叫んだ。咆哮にも似た大声に、密室の中は一瞬、静まりかえる。しかし、その静寂は長くは続かなかった。


「『どういうことだ』……とは。ふふっ、それこそ、()()()()()()でしょうか? 内務委員長」


 皮肉っぽい嘲笑まじりの言葉が、静寂の密室に投げこまれた。発言者は、内務委員長と呼ばれた男子生徒の向かいに座る女子だ。

 肩まで下ろした艶やかな黒髪、秀麗な顔立ちの少女。薄暗い中でも、その美貌は光を放つように輝いてみえる。彼女が、先ほど次期生徒会長に指名された、清川だった。

 清川新生徒会長は、余裕に満ちた声で、内務委員長に続けて問う。


「私はこうして、過半数の票を獲得し、新たな生徒会長となったわけですが。それほど意外なことでしょうか」

「あ……ありえない! あるはずがない! そんな……九票も取られるなんて」

「……議長と選出監理委員長を除く十票のうち九票。つまり、あなた以外の全員が、あなたではなく私を選んだということですね」

「どうして……」

「どうして? 分からないのですか? あなたとあなたの内務委員会が、いつまでも学園を支配できるなど……それこそ『あるはずがない』」


 やや青みがかった黒色の瞳から、剣のように鋭い眼光を放ち、清川新生徒会長は断言する。


「ここにいる全員が、あなたたち内務委員会のやり方にうんざりしているのですよ。それならば、私が選ばれるのも当然のこと」

「ぐっ……」


 内務委員長が声を詰まらせたのを見ると、清川新生徒会長は薄く笑った。


「さあ。次期生徒会長は選出され、会議も果てました。機枢(きすう)高校の新たな時代の幕開けです。(ふる)い時代の方々には、速やかに退場してもらいましょうか」





 新生徒会長が言うまでもなく、会議が終わった以上、この場に残る理由はない。出席者たちはそれぞれの表情と足取りで、会議室を後にした。

 清川新生徒会長も、先代――数分前までは生徒会長だった人物に挨拶し、今までの支援や助力についての礼を済ませると、すぐに退出した。

 薄暗い会議室から明るい廊下に、清川は出ていく。


 ドアを開けた先では、一人の少女が待っていた。

 少女は、際だった美人というほどではないが、整った顔をしている。だが、それ以上に人の目を引くのが、彼女の頭髪だった。

 ツインテールに結んだ髪は、白銀色。廊下の窓から射す秋の陽光に照らされると、少し時季の早い新雪のように煌めいていた。

 白銀髪の少女は、名を祇園渚卯子(ぎおんしょうこ)という。このとき祇園は学園の一年生で、二年生の清川の後輩だった。


「清川先輩。お疲れさまでした」

「ああ。祇園も……会議ではいろいろと働いてくれて、ありがとう」


 清川が祇園にかける声は、優しく穏やかなものだ。先ほど内務委員長と対峙したときの鋭さは、影を潜めている。

 それから二人は肩を並べて、廊下を進んだ。歩きながら、清川は尋ねる。


「……今、何時だ?」

「一時三十五分です」


 手首に着けている細い革ベルトの腕時計を見て、祇園が答えた。


「……午後の授業は、始まっていますね」


 この日は月曜日だった。普通に授業のある平日だ。

 会議と重なってしまったため、祇園も清川も、午前中の授業は欠席していた。だが、その会議が終わったなら、当然、午後の授業には出なければならないだろう。

 もっとも、他の学校ならば、授業が第一で、生徒会長を選ぶことなど二の次とされるはずだ。

 生徒会長選出会議がなによりも優先されるということ。それは、この私立・機枢高校の特異な校風だった。

 機枢高校の新たな生徒会長となった清川も、そうした校風を是とする。

 ……いや、彼女はむしろ、それを利用しようとする。


「……サボるか」

「だめですよー。生徒会長になった人が、そんなこと」


 それほど深刻でない声で、祇園はたしなめた。先輩の発言が、冗談だということを信じているのだ。

 一方の清川は、その秀麗な顔立ちに、小さな苦笑をつくった。内心では、けっこう本気で言っていたらしい。


「正直、さすがに私も疲れてしまってね。休めるものなら、休みたいんだが。……祇園は、どうだ?」

「それは……まあ、同感ですが。五十時間の密室会議というのは……」


 先ほどの会議は、月曜日の午後一時に終わった。しかし、その始まりは、同じ月曜日のことではない。

 一昨日の土曜日午前十一時に開会し、そこから約五十時間も、彼女たちは会議場の中に閉じこめられていたのだ。


「まあ、こればかりは。我らが機枢高校の伝統行事だからしかたがない」

「会長を選ぶまで外に出られないなんて。自分たちの学校のことながら、さすがに異常ですよ……」

「ふふっ、否定はできないな。……しかし、その選出会議の後だ。少々の遅刻程度なら、先生方も咎めはしないだろう。私は、のんびり歩きながら教室へ行くことにするよ」

「……牛歩戦術ですか」

「微妙な(たと)えだな。ま、祇園は、こんな不真面目な生徒会長に付き合わず、せいぜい急いで授業に向かえばいいさ」

「…………」


 清川の口調に微かな棘を感じて、祇園は口をつぐむ。

 やがて、短く溜め息をついてから、こう応じた。


「機枢高校の生徒会長に仕える者として、そのような『不真面目な』行動は見過ごせません。……ですのでっ! 先輩がサボりすぎないよう、私も側で見張らせていただきます」

「……ああ。君は本当に、私の忠実な腹心だよ」


 互いにそのような表現でもって、授業のサボタージュを黙認しあう二人だった。


 それから、まず彼女たちは、会議がおこなわれていた建物の中にある各自の部屋に向かい、荷物を取った。その後は、玄関の広間(ホール)で待ち合わせ、二人そろって五十時間ぶりに外へ出る。


「うーん……風が気持ちいい。私、もう二度とあの中に入りたくありませんよ」


 爽やかな秋の空気を吸って、大きく伸びをしながら、祇園がこぼした。その後ろで、清川がぽつりとつぶやく。


「まあ、来年もまた、ここで会議をやることになるんだが」

「嫌なこと言わないでくださいよぉ……」


 祇園が泣きそうな声を出すと、清川は、にやりと意地悪く笑う。

 それから二人はまた、歩きながら話を続けた。話題は自然と、先ほどあった大事件に関するものになる。

 清川が次期生徒会長に就任するということについて……。


「清川先輩は会長になって……やりたいことって、もう決まっているんですか?」

「内務委員会を潰す」


 コンマ数秒の間も空けない即答だった。


「跡形もなく滅ぼすよ、あの委員会は。内務委員会がこの学校を支配するようになって以来、なにか一つでも有益なことをしたか? 少なくとも私が入学してからの二年間に、そんなことはなかった」

「そう、ですね……」

「あいつらにできるのは、現状維持。問題だらけの現状を、問題だらけのままにしておくことだけだ。その方法も酷い」

「検閲……とかですか」

「そう、検閲。あれを受けて、いくつの文化系部活動が泣いてきたか。検閲だけにかぎらず、あいつら内務委員会がしてきたことは結局、学園の管理と称して、生徒たちの活動の締めつけだ」


 そう語る清川の口調と表情には、先ほどの会議で見せた鋭さが戻っていた。


「だから、内務委員会は潰す。解体する。それが、私が新生徒会長として、まずやるべき仕事だ」


 清川の断言。その迫力に、一瞬だけ祇園は気圧されたが、すぐに微笑(ほほえ)みを浮かべる。敬愛する人に向ける表情だ。


「清川先輩なら、できると信じています」

「そう思うか」

「ええ。実際、会議でも最終的には、内務以外のすべての委員長が先輩を支持したわけですから。いくら内務委員会でも、この流れには抵抗できないでしょう」


 祇園の微笑みに、清川も笑顔で応える。祇園のものとは異なり、余裕と力感に満ちた表情だった。

 しかし、直後、清川の顔には陰が差す。


「むしろ……内務委員会を潰した後、どうするかを考えたほうがいいかもしれない。政敵を滅ぼし、目的を失って、私は無為の中でどう生きるか」

「…………」

「歴史を見ても、偉大で賢明な英雄や君主や指導者が、時の流れの中で変質し、堕落していった例は多い。そうした史上の人物と私ごときを比べるのも、おこがましい話だが……」

「……そんなこと」


 祇園が否定する声は弱々しい。敬愛する先輩を信じていない、というわけではないが、清川の漏らした陰気にあてられて、困惑してしまったのだ。

 その後輩の表情に気づくと、清川はすぐに陰を払い、明るく笑った。


「まあ、これは杞憂だろうな。現実には、内務委員会を滅ぼすだけでも事だし、それが済んだって問題は山積みだ。生徒会長の公務に追われて、堕落する暇もなく、一息つく暇もなく、私の一年間は過ぎていくだろう……」

「先輩……」

「私の肩には、機枢高校の生徒・千九百三十八人の学園生活がかかっているからな。こうして生徒会長になったからには、今ある問題を解決していき、生徒たちのためになる学園運営をしないと」

「そ、そうです。それでこそ、清川先輩ですっ! 今までの会長とは違う、生徒たちの声に応える新しい生徒会長……」

「…………」

「……あれ? どうしました? 清川先輩」


 祇園が不思議そうな声で尋ねたのは、清川が急に表情を硬くしたからだ。

 冷ややかな硬質の表情。秀麗な顔立ちは、美術館に飾られる古い女神の彫刻のように、美しいが人間味に欠けるものとなっている。

 やがて、女神の彫刻は、冷厳な声を発した。


「祇園、それは違う。私はたしかに、生徒たちのためになる校内政治をおこなうつもりだが。しかし、『生徒たちの声』などというものは……」


 そこまで言って、清川は声を切った。無言のまま、祇園に向けていた視線を前方へ移す。釣られるように、祇園も前を向いた。


「あ……」


 祇園たちの前には、壁があった。

 暗い赤色の煉瓦で築かれた、重厚な趣の壁。

 その赤は、血の色というには澱んでおり、炎の色というには明るさに欠ける。

 祇園の身長は平均的なものだが、それを二倍にしても届かないほどに高い。横の方向にも長く広がる壁は、学園の敷地内に一つの区画をつくっている。

 生徒会長選出会議がおこなわれた、会議場の建物を中心とする区画。

 厳かでさえある、静寂の空間。

 一般生徒の立ち入りが禁じられた、機枢高校の中枢部だ。


「今は授業中だが……休み時間になっても、放課後になっても、この壁の中は静かなものだ」

「…………」

「生徒たちの喧騒は聞こえない。聞く必要もない。ここでおこなわれる政治において、『一般生徒の声』など、雑音以上のものではないのだから」


 冷厳に、清川は言い切った。

 祇園は、なにも答えられない。敬愛しているはずの先輩を、このときだけは直視できない。逃れるように、あらぬ方向を見た。

 しかし、どこを向いても祇園の先には、壁が立ちふさがる。


 祇園の前にそびえる壁は──学園政治の中枢を、他の雑多な場所と区切るもの。

 学園を指導する一部の特権階級の生徒を、他の一般生徒たちと分けるもの。

 そして……このとき、微かだが祇園の心に生まれた清川との隔たりを、象徴するものだったのかもしれない――。





「──嫌な壁だ」


 この前に立つと、過去を思い出してしまう。機枢高校()()()・祇園渚卯子は苦くつぶやいた。

 あれから、一年が経った。

 この一年間で、機枢高校は変わった。昨年の選出会議で生徒会長に就任した清川は、それからすぐに、学園の改革に乗り出したのだ。


 当時、学園内で権力を振るっていた最大の組織「内務委員会」を、苛烈な政争の果てに解体へ追いこんだ。

 かつて祇園に語ったことを、清川会長は実現したのだ。

 内務委員会を滅ぼした清川会長は、生徒会本部による指導体制を確立した。彼女を頂点とした学園内の綱紀を粛正し、有能な人材を見いだして要職に就けた。

 そして、生徒たちを強力な指導によってまとめ上げ、学園理事長ら経営陣・教師陣と交渉し、さらなる学生自治の拡充と、そのためのいくつかの要求を認めさせたのだ。

 これらを任期一年の内に成し遂げた清川会長は、その事績から、「機枢高校百年の歴史上、最も偉大な生徒会長の一人」とまで称えられている……。


 しかし一方で、そうした学園の改革に、ほとんどの一般生徒が参加できなかったことも事実だった。

 依然として、機枢高校の運営は、生徒会本部や委員長たち一部の生徒だけに独占されている。一般生徒に「参政権」はなく、彼らはただ、上からの指導に従うことしかできなかった。

「内務委員会による支配が、生徒会本部による支配にすり替わっただけ」

「改革の結果、機枢高校には独裁者が生まれてしまった」

 などと、陰で非難する声もある。

 もっとも、そうした批判者は少数派だった。多くの生徒は、強力なリーダーシップをもつ美貌の生徒会長を熱狂的に支持している。

 祇園の場合は……彼女は今でも、清川会長の忠実な部下だった。批判など、するわけがない。とはいえ、多数派を占める清川会長支持者たちのように、狂熱に浮かされることもなかった。

 ただ冷静に、粛々と、祇園は清川会長のもとでその手足となって働いた。彼女は自身の学園生活のほとんどを、清川会長に対する忠勤に捧げてきた。

 そうした日々も、しかし、もうすぐ終わりを迎えようとしている。

 清川会長の任期満了。

 それにともない、また新たな生徒会長を選び出すため、祇園はここを再訪したのだ。


 記憶の中の在りし日、祇園は内側から壁を見ていた。今は、壁の外に立っている。これから中に入るわけだが、その前に一度、祇園は壁へ手を伸ばした。


「…………」


 暗赤色の煉瓦の壁。

 その冷ややかに乾いた質感が、祇園の細い指先に触れる。

 とくに理由あっての行動ではなかった。しいて言えば、壁に爪の一つでも立ててやろうかと思ったからだが、それもすぐに馬鹿らしいものに覚えてしまう。

 行き場のない不満を吐きだすように、祇園はまた苦くつぶやく。


「……やっぱり、嫌な壁だ」


 この壁も、壁の向こうでおこなわれることも、すべてが祇園は嫌いなのだった。





 その学園の中には、壁があった。

 学園の生徒を、支配する者と支配される者とに分断する壁。

 私立・機枢高校に、「全校生徒が参加する生徒会選挙」などというものは存在しない。

 機枢高校の生徒会長は、十二人の限られた生徒たちによる密室会議で選ばれる。

 壁の中の生徒会長選出会議。

 その会議に、これから祇園は臨もうとしていた。





 次回


 第1話

 たった一年でも人は変わってしまうということさ

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