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なずなのねいろ

 女童の小春が萎れている。

 古参の女房に叱られたのだ。小春は活発で好奇心の強い子で、ついついいらぬ事をしてしまうようなところがあった。

 今日も風に攫われた端布を追って木に上ろうとしているのを見つかったのだ。

 「なぜ下男を呼ばないのです。自分で取ろうとするなんて。」

 古参の女房はくだくだと、小春に小言を言っている。

 「そのくらいにしてやりなさい。小春も十分こたえたでしょう。」

 助け舟を出してから、縁子は小春に向き直った。

 「小春、お行儀の事だけではないのよ。木になど上って落ちては大変だから心配しているの。」

 萎れた小春が涙目で頷き、小言を言っていた女房も何とか納得したようだ。

 ちょうど、あのぐらいだったと縁子は思う。縁子が二条院に引き取られたのは。

 北山での縁子の暮らしは、深窓の令嬢のものではなかった。遊び相手の犬君が活発だったので、縁子も外で遊ぶことが多かった。

 ツツジやおしろいばなの蜜を吸い、なずなの種を鳴らし、楓の実を拾って投げ上げては、くるくると落ちてくるその姿の不思議に見とれた。

 雪でうさぎを作ったことも、こんもり盛られた雪山を登って遊んだこともある。

 遊んで、遊んで、遊んで。

 夜はくたびれて眠くて、それでもなんだか眠るのが惜しくて。

 有明の月を見ようと犬君と二人何度も頑張って見たけれど、一度だって見られたことはなかった。

 小春を見ていると、縁子は犬君の事を思い出す。

 

 美しい幾つもの人形たち。精工な道具の数々。

 二条院に用意されていたそれらは、縁子と犬君を夢中にさせた。

 自然と外で遊ぶ事は減り、庭は眺めるものに変わった。

 本当の事を言うと、縁子はちょっと怖かったのだ。 

 庭に、時々黒い影が立つので。

 それは決まって光のいない時で、そのくせそれらの影は光を慕って来ているのだとわかるのだった。

 犬君には影は見えないようで、時々庭のどこからか季節の花や良い香りの葉などをつんできたりする。

 それらは雛遊びの贈り物や文などに使う。

 時々、光が現れて相手をしてくれる事もあって、そんな時はさり気なく犬君はよそへやられてしまうことが多かった。

 可愛らしい姫君の人形が縁子で、美しい公達の人形が光。

 縁子は雛遊びの中で光に和歌を読みかけられ、光を慕う。雛遊びの中でいつでも光は縁子の背の君だった。

 いや、今となってはこう言うべきなのだろう。

 雛遊びの中ですら、縁子には光以外は許されてはいなかったのだと。

 祖母を亡くして以来一人寝を嫌がるようになっていた縁子の添寝の役は、二条院に移って以降は光のものになった。光のいない夜は縁子は一人で眠る他はない。どれだけ甘えてもねだっても、誰も側にいてはくれないのだ。

 だって、縁子の背の君は光に決まったのだから。

 やがて縁子は、光の望むように振る舞うことを覚えた。

 愛らしく、無邪気で、朗らかに。

 子供というものは全身で周囲の気配を感じているものだ。誰にも何も言われなくても、光に嫌われてはもうどこにも居場所がないことは、縁子にもわかっていた。

 光に愛されること

 そして光を愛すること

 それが縁子の生活の礎であり、それなしではもう何も立ち行かないのだ。

 犬君がいなくなったのは何時だったろう。

 あれは確か犬君が雛の御殿を壊した少しあと。

 壊れた御殿が修理を終えて戻った時には、犬君はもういなかった。


 いつの間にかうとうとしてしまっていたようで、ふと目が覚めると小春が心配そうに覗き込んでいた。

 やっぱり、犬君とどこか似ている。

 小春は縁子が体調を崩すようになってから、光が連れてきた女童だ。もしかしたら犬君の血縁なのではないかと、縁子は思っている。

 娘か、いっそ孫娘か。

 犬君は縁子よりも一つか二つ年上だった。縁子にも、義理とはいえ孫がいるのだし、犬君にいても不思議ではない。それに犬君が縁子のもとを辞したのは、縁者の養女になって婿をとるためだった。

 犬君自身はすでに親もない天蓋孤独の身の上で、それを哀れまれて縁子の祖母に引き取られたのにずいぶん唐突な話だったが、縁子にとめる術のあるはずもなかった。

 もしも小春が犬君の孫娘なのだとしたら、犬君はやはり婿をとって子を生んだと言うことなのだろう。

 「お方さま、どこかお辛くありませんか。お水でも持って参りましょうか。」

 小春の言葉に笑顔を返す。

 「大丈夫よ、ありがとう。私は眠ってしまっていたのね。」

 ふわりと青い香りがした。

 草を踏み、露に濡れ、花を摘む。

 屋外を駆け回る者に染みる香りだ。

 「庭に何か面白いものはあった?」

 小春が小さな花を差し出す。

 なずなだ。

 雪を分けて探して、早春の喜びとして膳に供した時は過ぎ、白く群れ咲く花の下には小さな団扇の様な実が無数についている。

 その実はどれも倒されていて、茎をゆするとさらさらと鳴った。

 「とても良く鳴るわね。上手なこと。」

 そう言うと小春が嬉しそうに、にいっと笑う。その笑い方にいっそう犬君を思い出した。

 犬君がいたら。

 今も犬君が居てくれたなら。

 縁子はこんなにも一人ぼっちにはならずにすんだのだろうか。

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