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ヤンガーサン

作者: 穴沢暇

 ヤンガーサンは、自助努力によってのみ、栄達がかなう。これが、私の父の口癖であった。

 ハルーク侯爵を世襲するヘーデン家の次男に生まれた私、ヴィクター・ヘーデンは、まさしくそのヤンガーサンである。英国貴族は厳格な長子相続制をとっており、次男以下の男児、いわゆるヤンガーサンは、爵位も、領地も、財産も得ることが出来ず。そのままではただの一市民である。

 自らも立身出世をし、爵位を与えられ、兄と伴に貴族に列す。そのためには中央政界で活躍するか、植民地官僚として功績を残す必要があり、それを目指すヤンガーサンの熱意と努力が、今の大英帝国の繁栄を築いているといっても過言ではない。


 名門ハルーク侯爵家は断絶の危機であった。

 私の祖父のハルーク侯には、男子は父しかなかった。ハルーク侯爵の嫡子はヘーデン伯爵を名乗ることが出来るから、私の父はそのときヘーデン伯であった。

 父に祖父の嫡孫たる、つまり後ハルーク侯になるべき長男、私の兄が生まれたときは、祖父母も両親も大変喜んだそうだ。姉を挟んで、次男である私が生まれたときには、一族は皆狂喜したらしい。これで我が家も安泰である、と。

 次に父が、弟の私も爵位を得て、分家たる地位を確固たるものにすることを期待したことは言うまでもない。その為に私は幼少の頃から、厳しい教育を授けられた。


 私の兄は優秀だった。語学も、数学も、科学も、史学も、さらには貴族の嗜みである舞踏や乗馬も完璧にこなしてみせた。それに比べて私は、兄と比べて見劣りする成績しか残せず、いつも父に激しく叱られていた。

 厳しい授業に耐えられずに授業を抜け出し、広い居城を散策することが幼い私の日課であった。そのたびに使用人に連れ戻されては父に叱られ、優しい祖父の部屋に逃げ込み色々な話しを聞かせて貰うことがたまらなく好きだった。

 あるとき私は居城の地下に秘密の抜け道があることを発見し、その後祖父に尋ねると、祖父が話してくれた。それによると我が一族はかつて王と敵対し、いつ城を攻められるか分からなかった。その為の抜け道であるが、今となっては無用の長物で、埋めるにしても金が掛かるからそのままにしてある。秘密であるから当然城の図面には記載されておらず、父はこの手の話しに興味が無いから抜け道自体知らないらしい。

 幼い私は、本当につらくなったら、そこを通って逃げよう、と薄ら考えた。


 転機が訪れたのは私の大学受験の頃である。私の兄はイートン校を卒業した後、オックスフォード大学を首席で卒業したのに対し、私といえば、父の希望であったイートン校に落ち、別のパブリックスクールで必死に学ぶも、またも父の希望であるオックスフォード大学には入ることが叶わなかった。

 一度目のとき、父は激しく私を殴り、必ず来年受かるようにと言った。

 その頃、私を庇ってくれる優しい祖父はもうこの世にはおらず、父はハルーク侯になり、そして兄はヘーデン伯になっている。私は侯爵家のヤンガーサンの権利として、卿の称号を許されヴィクター・ヘーデン卿になっていた。父の、この卿の称号を歴とした爵位とする、という夢は、私の二度目の受験の失敗で脆くも崩れた。

 そのとき父は、去年のように私に暴行を加えることはなかった。ただただ侮蔑の表情で私を見た。私は暴力よりもその表情にこそ耐えられなくなり、あの抜け道を使う決心をしたのである。


 薄暗く湿った抜け道は、まさしく私そのもののように感じられた。

 抜けた先で怪しまれぬように、服も粗末なものに変えている。私は敗北者であった。私は涙を流しながらただひたすら出口を目指して歩いた。

 ようやく光が見えて、森のような場所へ出た。そこがどこだか分からなかった。

 私は数日掛けて、人里を目差し森をさ迷った。川の水を飲み、怪しげな野草を食みながら、やっと見知らぬ村に到着した。

 その街の入り口には高札のように新聞が貼られており、『ハルーク侯の次男、ヴィクター卿行方不明』という一面記事を見たとき、私は私の逃走が成功したことを知った。気の抜けた私は、水を飲もうとして近付いた用水路で足を踏み外し、そこへ転落してしまった。


 目を覚ますとそこは、いかにも貧農が住まうような粗末な小屋であった。

 隣には若い娘が看ていてくれたようで、私が目を覚ましたことを確認した若い娘ははしゃいだ声でその両親を呼んだ。

 その両親はまず私に名を問うた。私は、新聞記事にて私の失踪が騒ぎになっていることを知っていたので、ヴィクターという名以外何も覚えていない、と嘘をついた。

 人の好いその夫婦、ブリッジ夫妻はそれを信じ、私を自分達の養子として遇してくれた。その日から私は、ヴィクター・ヘーデン卿から一人の村人、ヴィクター・ブリッジになった。


 あとから夫妻に聞いたことによると、その村は父の領地からだいぶ離れた所にあった。私は随分遠くまで歩いてきたようである。

 そして、そのブリッジ家は、私の見立て通りまさしく貧農で、毎日毎日汗水流して田畑を耕作していた。私も当然それを手伝ったが、勉強ばかりだった私の貧弱な体には、農作業はあまりにつらいものだった。

 しかし、自分たちの境遇を苦ともせず、毎日笑って暮らすブリッジ一家とともに居るうち、農作業はいつしか楽しいものとなった。

 それからしばらくした後のこと、村に徴税人がやってきた。この村はブリッジ家以外も殆どの家が貧農であったが、その徴税人があまりに法外な税を要求したので、不当な取り立てであると訴えた。

 徴税人は鼻で笑って書類を見せた。農民は無学で字が読めない者が殆どであるので、今までそれで騙されてきたようである。しかし私は、当然字も読めれば行政についての知識もあるので、その書類の誤りを次々指摘した。

 最初は余裕な素振りを見せていた徴税人も、次第に逆上し、私に殴る蹴るの暴行を加えた。私は父から暴力を受けていたのでそれくらい馴れたものだったが、見かねたブリッジ夫妻や村の者が税を支払い止めに入ると、徴税人は私に唾を吐き捨て去って行った。

 ブリッジ家の娘が慌てて私を治療しようと駆け寄ってきたが、それを遮り私は村の人々にあの徴税人が今まで持ってきた書類はあるか訪ねた。

 どこの家も薪の着火材替わりに使うなどして残っていなかったが、たまたま一戸残っている家があり、私は治療を受けている間に取ってきて貰った。

 数日後、私はその書類を証拠として、正当な手続きを経て裁判所へ訴えた。初めは、無学な貧民たちが馬鹿なことを言っている、とまともに取り合ってくれなかった裁判官であるが、私が書いた手続きの書類を読むと顔色を変えて裁判を行い、そしてあの徴税人は逮捕され、無期の禁固となった。

 それ以来正当な税を徴収されるようになると、村の人々も多少は楽になり、私は称賛され村の顔役になった。

 ブリッジ夫妻も私に、正式に娘と結婚してほしい、と頼んできた。私はブリッジ家の娘に密かに好意を抱いていたので、願ってもない話しだと受け入れた。娘が本当は嫌なのではないか、と不安に思ったが、彼女の恥ずかしそうに顔を赤らめて伏せる様子を見て、私もまたその顔が見れなくなった。その日からブリッジ家の一人娘は私の妻になった。


 それからは、私は農作業の傍ら村の諸事を処理し、大変ながらも幸福な毎日を送っていた。

 しかし、あるとき唐突に私たちの家、ブリッジ家に兄のヘーデン伯が一人で訪ねてきた。たまたま私は村の役所での仕事があり、帰ってみると兄が私の妻や義理の両親とともに談笑しているので腰が抜けるほど驚いてしまった。

 ブリッジ家では私は記憶喪失ということになっていたので、ブリッジ一家は私に「おめでとう、自分が何者か分かって」などと祝辞を述べた。

 私はたまらなくなりすべてを白状した。家族は驚いていたが、すぐに笑って許してくれた。兄の方はといえば、私は新聞で兄が議会の議員として多忙な生活を送っていることを知っていたので、何をしにきたのか、私を連れ戻しにきたのか、と問うた。

 兄は、あの裁判所での出来事をで私の居所を知ったこと、私を連れ戻す気はないことを語り、一つ私に今幸せかどうか尋ねた。私は迷いなく幸せだと答えると、兄は「それならよい」と答え「お前が羨ましい」と小声でつぶやき去って行った。


 ブリッジ家の人々は、私が実家を抜け出してきた理由を知っていたので、それまでと変わらずに接してくれた。

 そして、妻が私の一人目の子、男であったが、その子を出産したころのことである。私は新聞で異様な記事を見た。

 兄ヘーデン伯がインド総督ダファリン卿の随行員としてインドへ赴き、同地で「私には夢がある。弟のように」などと側近に語ったかと思えば、それきり姿を消してしまったということである。

 あの万能で、父の願うままに人生を送ってきた兄が、何を考えそうした行動に至ったかは分からない。しかしこれを受けて、父ハルーク侯は兄と、さらに私の大捜索を行った。

 結局兄は見付からなかったが、私のほうはいとも簡単に見つかってしまった。幼い頃世話になった家臣たちが大挙として我が家に押し寄せ、父は私を許すこと、私が今日よりヘーデン伯であり、いずれハルーク侯になることを告げると無理矢理に拉致しようとした。

 私があまりに必死になって抵抗するので、家臣たちは私の妻と子を同時に連れて行ってもよいと言った。当然身分の低い農民の娘であるから、妻ではなく妾としてであるがそれでもよいなら、と。

 私はそれでも嫌であったが、ここへ来て義理の両親が途端に私の家臣たちに賛成した。彼らも娘と孫の幸せを考えてのことだろう。ブリッジ夫妻は自分の娘に「離ればなれになっても家族が家族でなくなることはない」と語って、家臣たちに連れていくよう頼んだ。

 私と妻は呆然としている合間に馬車に押し込められた。城へ向かう馬車の中、妻がぽつりと「例えどんなに豊かになっても、家族が離ればなれでは意味がない」と呟くの聞いて、私はただ謝ることすら出来なかった。


 私はおよそ5年ほどぶりに居城へと帰ってきた。

 5年ぶりに会った父は相変わらず私を責めたが、しかし勉学を押し付けるようなことはもうなかった。

 状況が劇的に変わっている。私は昔のようなヤンガーサンではなく、ハルーク侯の嫡子ヘーデン伯ヴィクター・ヘーデンであり、いずれ父の爵位を継ぎこのハルークの領主となる。真面目な兄は働いていたが、そもそもハルーク侯爵家には広大な領地とその収入があり、無茶な浪費でもしない限り城でふんぞり返っていても何も食べることには困らない。

 暇であるなら、貴族院に顔を出して政治家の真似事をすることも出来る。もはや父が私に期待することは、この領地と爵位を継ぐ跡取りを作ることだけである。

 しかしここで問題が発生した。爵位の規定により、ハルーク侯爵位の継承者は初代の男系男子に限られる。他に継承権を持つ分家は存在しないので、私に男子が生まれなければ家が絶えることになる。私は妻と、ヘーデン家の人間として正式に結婚したわけではないので、私の長男は庶出扱いとなり、爵位を継ぐことは出来ない。父は、新たに良家の娘と結婚し、男子を作るとこを望んだ。しかし、私には今いる妻の他に別に妻帯する気は毛頭無かった。

 私の決意が固いことを知った父は、次なる策略を思い付いた。知人の貴族を抱き込んで、妻と改めて結婚し、まだ幼い息子をその結婚後産まれたことにする、というものである。

 父の人脈と財力を使えば戸籍の改竄も含め出来ないことはない。長男は庶出ではなくなり、爵位を継ぐことができる、というわけだ。

 私は反対したが、妻は、私たちの未来の為に父の企みに乗った。

 戸籍は改竄できても、妻の立ち居振舞いだけはどうすることも出来ない。その日から、妻を名門貴族ハルーク侯爵家の妻に相応しい女性にする為、父の壮絶な教育が始まった。

 毎日毎日寝る間も無いほど、妻は貴族としての教養を叩き込まれた。しかし、もともと貧農出身の妻が、今更貴族になれる筈もなく、毎日毎日妻は泣きながら授業に取り組むばかりだった。

 妻は私の前では決して泣かなかったが、私は妻が影で泣いていることを知っていたので、心配で何度も声を掛けたが、妻は「大丈夫だから」と言うばかりであった。


 ある日、私はどうしても寝付けず、夜の闇の中幼い頃のように城の中を歩いていた。そこに、バルコニーで一人ぼんやりと外を眺める妻の姿を見付けた。

 私が声を掛けると、向こうも私に気付き、二人で城の中を歩き出した。

 妻は「久しぶりに二人きりになれた」と微笑んだが、その笑みに力が込もっていないことははっきりと分かった。私は、幼い頃の思い出を語りながら、妻に城の中を案内した。

 最後に、昔私が脱走に使った抜け道に辿り着いた。祖父はついぞ父に抜け道のことを話さなかったので、抜け道はそのままになっている。私は、この城から逃げたときのことを妻に語ると、妻の表情に何やら決意のようなものが宿ったことに気がついた。


 その翌朝のことである。城の中が騒ぎになった。妻が忽然と姿を消した為である。

 父は「あの女が消えてくれたら都合が良い」と言い放って早々に捜索を打ち切った。

 私は嫌な予感がして、幼い我が子を抱いて抜け道へ向かった。果たして妻はそこにいた。妻は大泣きしながら「自分は一人この城を去る、そうすればあなたは私のしがらみから逃れられるでしょう、どうかその子だけはよろしくお願い」と言った。

 私は、この子の母はお前だけだ、この子から家族を奪うような真似はしないでくれ、と言った。

 しかし、妻は「どんなに離ればなれても、その子と私は家族」と言い、そのまま自分一人で行こうとした。

 私は、迷わなかった。すぐに、たとえ豊かになっても、家族が離ればなれでは意味がない、と返し、妻の手を取り抜け道を進み出した。


 妻は唖然としていたが、顔に生気が戻っていくさまを見て、私は嬉しかった。

 5年前は一人、敗北者としてこの道を歩んでいた。それは、つらい人生から逃げるものであった。

 今は違う。私は、楽な生活と簡単に手に入る栄誉を手放して、今歩んでいる。世間の人は、私を大馬鹿者だと笑うだろう。

 しかし、私は、昔と違い、この道を歩きながら、まるで勝者のようなすがすがしい気分になっていた。

 5年前はただ深い悲しみに満たされていたこの暗い抜け道の中は、今、目映い光に満たされているように感じた。

たまたまイギリスの貴族について調べていたとき、なんだか日本人と比べて随分相続にうるさいんだなぁと思ったのがきっかけで書きました。ですから、ここで出てくる諸制度などについてみんなWikipedia見ながら書いたので結構アテにならないと思います。特にパブリックスクールの話しなんかはイートン校だのなんだのという名前くらいしか知らず詳しい仕組みは全然知りません。勉強不足ですね。そこはご愛敬ということで勘弁してください。本当にありがとうございました。

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