九話
頭上から聞こえた声に聞き覚えは、あった。学校に遅刻しそうになると、遠いところから声をかけてくれて起こしてくれたり、大事なものを無くした時も遠くから教えてくれて見つかったことが何度もあった。
といっても、それは小学生までの話。今となっては、昔の記憶。だけど、久し振りに聞いた女の人の声は変わらず凛としていて美しい。
「もしかして……親切なお姉さん?」
恐る恐る聞いてみると、頭上でふっと柔らかく笑う声が聞こえた。
『久しいのう、主。もうすぐ成人になるというのに、わしが助けてやっていた頃と見た目がまったく成長しないとは、不思議なものだ』
ああっ。楽し気に人をからかうような口ぶり。間違いなくあの時のお姉さんだ。懐かしい気持ちになるが、それより師匠とお手伝いさんがお姉さんの言葉に驚いたように固まっているのが気になる。何か驚くようなこと、言ってたかな?
「成人……に? いや、確かに生まれた年から考えると……でも、見た目完全に子供……」
ぶつぶつと師匠が真剣な顔で考え込む。ああ、よく小学生に間違われるこの童顔と幼児体形のことを言っているのか。もう慣れたものだし、元より気にしていないのでどうでもいい。
「あたし、こよりのこと、盛って十三だと思ってたんだけど」
恐る恐る、といった様子で聞いてくる師匠に、私はさらりと答える。
「実年齢十八ですね」
「じゅう、はち……!? そうかぁ、大きく……はなってないけど、十八かぁ」
驚きの表情から、母親のような穏やかな顔でしみじみと呟く師匠。ちょっと、大きくなってないってハッキリ言わなくてもよくないですか、師匠。確かに身長とか色んなところの成長は十二ぐらいで止まったけどさ。
それより今は、お姉さんだよ。話を聞く限り、私の母親から頼まれて今まで私を守っていたらしい。だから、何度も助けてくれたわけか。些細なことでも、私はすごく嬉しかった。でも、何で小学生以降お姉さんの声が聞こえなくなったのはわからないままだし、何で今声が聞こえ私以外の人には姿が見えているのかも謎。そんな私の考えを読み取ったように、頭上からお姉さんの寂しそうな声が聞こえる。
『あちらの世界でも、幼子は何か不思議なものを感じ取れたりすると言うだろう? それと同じだ。わしの力も、世界を隔ててしまえば弱まる。主が成長するにつれ、わしの声も届かなくなった……』
そのせいで危ない仕事中に守ることもできなかった、と悔しさをにじませてお姉さんが言う。
危ない仕事とは、殺し屋のことだろう。ーーお姉さんは、ずっと傍にいてくれたのだ。ぶっきらぼうだけど、優しい心のままで。私が、感じ取れなかっただけで。
なんてこと、幼い私は段々お姉さんの声が聞こえなくなることに、何の感情も抱かなかった。ずっと見守ってくれていたことに、気づきもせず。
『その分、こちらではしっかり守ってやる。わしの力も存分に使うがよい。それから、わしの名はクロエだ』
「……ありがとう。クロエお姉さん。もしかして、今クロエお姉さんが現れたのってーー」
クロエお姉さんのお陰? と問おうとする前に、遮られる。
『言っておくが、主に魔力が開花したのはわしの力ではないぞ』
ぶっきらぼうに言われ、それはつまりーー? と、師匠を見る。師匠はニカッと白い歯を見せて笑い、私の頭に手を置きくしゃくしゃと撫でる。
「こよりの力ってことでしょ! もっと自信持ちな」
私の、力ーー。改めて言われると、底なしの沼に体がズブズブと沈んでいくような感覚に落ちる。闇と一体化したような、不思議だけど心地よい感覚。
『だが、わしの力は闇を司る。下手をすれば闇に飲まれるぞ。気をつけよ』
クロエお姉さんの忠告に、はっとなる。目の前に、クロエお姉さんとおぼしき姿があった、真っ黒な長袖のワンピースを身に纏い、長い黒髪はゆらゆらと揺れ、黒曜石の瞳は私の金色の瞳を捉えている。
初めて見たクロエお姉さんの姿は、どこか懐かしさを感じる。全体的に黒いので、白い肌が目立つ。足には何も履いていないから、ふわりと浮き上がり足を組むと、艶かしさが浮き出る。