六十五話
ポカンと呆ける私をよそに、大王様はゆっくりと頭を上げた。真っ直ぐ私の目を見るその瞳は、真剣そのもの。
自然と背筋が伸びる。見上げているから、首が痛いなぁと思いつつも、真剣な場で唐突に、あなたの身長が大きすぎて見ているだけで首が痛いですとはとてもじゃないけど、言い出せそうにない。
ブルブルしながら背筋を伸ばして大王様を見上げていると、ユズキさんが大王様のマントを引っ張る。そこでようやく察したらしい大王様が、かがんでくれた。お陰で、だいぶ目線を合わせやすい。
「……正直言って、息子にとって不甲斐ない父親だったと思う。私が不甲斐ないばかりに、恥ずかしい思いもさせたし、成人する前に魔王の座を継がせてしまった。ジーヴは、私とは違って仕事のできる王だ。どうか息子を、支えてやってほしい」
「こよりちゃん。ジーヴは暴走することがあるから、どうか手綱をうまく握って頂戴ね」
た、手綱ですか……。ニッコリと、聖女のような微笑みを浮かべるユズキさんは相変わらず美しかった。大王様の懺悔のような言葉がかき消されるほどビックリした。ユズキさんは、美しい顔でとんでもないことを平気で口に出すから恐ろしい。
つまり、大王様はユズキさんに手綱を握られている……ということなのか? でも、確かに言う通りではある。ジーヴは暴走しがちだから、私がしっかりしなければ。
そう、ユズキさんの言う通り、手綱を握るのだ! 大王様が、ユズキさんの手綱発言に若干怯えの表情を見せた。やっぱり尻に敷かれているのね。
それにしても、大王様自ら挨拶にくるなんて、礼儀正しい人である。息子とは大違い。ジーヴなんて、最初私をドナドナするときは従者用の船に詰め、船の中では命を狙われるわ暴漢に襲われそうになるわ、いざ城へ到着するなり薬を盛られたりと、散々な目に合った。
ま、徐々に私がほだされちゃったわけだけど。別に恨んじゃいない。あの時の私はまだ殺し屋だったわけだし。ジーヴが警戒しててもおかしくはない。むしろ、天下の魔王ジーヴ様に警戒されるなんて光栄なことなのではと思えて来たけど、流石にそれは言い過ぎかな。
「私が……ジーヴの命を狙っていたことはご存知ですか」
自分でも、なんでこのタイミングでこんな話題を切り出したのか、わからない。本来なら、ジーヴのことは任せてくださいとか、ふつつかな者ですがとか、他にもっと言うことがあるのだろうけれど。
私がジーヴの命を狙っていたことは事実だし、例え私の攻撃がジーヴにとっては蚊に刺された程度のものであったとしても、少なからずジーヴを不快にさせていたことに違いはなくて、よくわからないけど、ちゃんと話さないといけない気がしたのだ。大王様が、私を静かに見つめる。
「知っていた。ジーヴが、例え殺意であっても自分に何らかの感情を向けてくれることを嬉しがっていたことも」
「う、うれ……?」
「ああ。ジーヴは実の母親に、感情らしい感情を向けられたことがない。だから余計に、嬉しかったのだろう」
なんか、大王様の言葉だけ聞くと、ジーヴが特殊な変態さんみたいに聞こえるのは気のせいかな? いや、変態さんは特殊だから変態なのであって、特殊じゃない変態などーーって、違う違う。今は変態という定義について考えている時じゃなくてだな。
「君の正体が何であれ、ジーヴは君に惚れて、君もそれに応えてくれた。これほど喜ばしいことなどない」
「あなた……。そうね、いい加減、私も覚悟を決めなくてはね」
なぜかぐっと拳を作り、何かを決意するユズキさんを不思議そうに見ていると、足音が近づいてくるのがわかる。ドタドタと、慌ただしい足音に、何事かと扉を凝視する。
「それじゃあ、ジーヴのことは頼んだ」
「またね、こよりちゃん」
「えっ」
大王様とユズキさんの声に、扉から二人のいたほうへ視線を向けると、いたはずの大王様とユズキさんが忽然と姿を消していた。
まるで、最初からいなかったみたいに錯覚するけど、バサリと宙から降ってきた黒いマントが床に落ちるのを見て、確かに二人がこの部屋にいたことがわかる。一瞬で姿が消えたのは、魔法だろうか。
勢いよく開かれた扉。そこには、ジーヴが立っていた。床に落ちたままのマントを見て、くるりと私のほうを向いた。そして、そっと髪をすいたかと思えば、いきなり抱き締められる。
「あのクソ親父、こよりに変なこと吹き込まなかったか?」
「……ぷっ、ふふ」
悪態をつくジーヴの姿に、思わず噴き出してしまう。不機嫌そうに睨めつけられた。それが余計におかしくて、クスクスと笑ってしまう。
「何か言われた?」
「うん。息子をお願いします、って。礼儀正しいね」
そう言うと、ジーヴは膨れっ面になる。




