六十一話
兄様は……父様は、梅子さんは、元の世界で元気にやっているだろうか。
京、うちに潜入って言ってたな。ってことは、父様は京がユズキさんの知り合いだと知らずにメイドとして雇っていた? でも、鋭い父様がそんなことに気がつかないとは思えない……。
「俊也様には、気づかれていたかもしれませんね」
苦い笑いを浮かべながら、京が呟く。相変わらず察しのいいメイド……いや、護衛である。実は心の中を読める読心術とか使ってたりしてない?
今の京は、ロングスカートのメイド服を脱いで、白いシャツに紺色のネクタイを締め、ハーフパンツ。割りとラフな格好で私の後ろを歩いている。脱ぐ際に、メイド服からわっさわっさ仕込み武器が出てきてちょっと引いたのはナイショ。
背負ったリュックサックに、メイド服やらウィッグやらトレードマークの銀縁眼鏡まで詰め込んである。どうやらあの眼鏡は伊達だった模様。アルの前で突然泣いたあげく、京に引っ張られるがままついてきたので、アルを置き去りにしてしまったのだ。なので、早足で戻る。
「こより……! よかったわ、もう。心配したじゃない。後ろの可愛い彼はさっきのメイドね」
「ごめん、心配かけた。って、よくわかるね?」
心配そうに駆け寄ってくるアルの言葉に驚いていると、得意気に胸を張られた。うわ、どや顔が地味にムカつくやつ。
「何言ってんの、眼鏡ごときじゃ目鼻立ちは変わらないわよ? アタシの目は誤魔化せないわ」
「へぇ、流石ですね。こより様は少し……いえ、かなり鈍感ですので、どうか見極めてあげてください」
「あらぁ、それは心配いらないんじゃない? だってこよりには魔王様がついているもの」
ジーヴ……。不意に話題に出され、すっかりゆるゆるになった涙腺がまた緩みそうになる。ぐっと引き締めて、涙がこぼれないようにする。
ひどく傷つけてしまった。自分が許せないとか京には語っておきながら、実際は全部ジーヴのせいにした。なんて最低なんだろう……。呆れられてしまっただろう。だったら、契約なんてすぐに破棄してくれてもいいのに。そうしたら、夢で見たように肉体が腐って崩れていくんだろうか。それならそれで、別にいい……。
自己嫌悪の感情で、押し潰されそうになる。手のひらに爪が食い込むまで握りしめ、今すぐこの拳で自分を殴りたいと思った。
アルが用事を思い出し、早足で行ってしまったあと、残された私はどうしようか悩んだ。このまま部屋に戻る? またジーヴに不快な思いをさせてしまうかもしれないのに?
そんな風に考えながら船内をうろうろしていて、気がついた。私、こうして部屋に自主的に戻らないことで、ジーヴが迎えにきてくれるのを、どこかで期待しているんだ。ジーヴが迎えにきたくれたら、私は気まずい思いをすることなく部屋に戻れる。
なんてことだろう。自分の卑怯さに気づき、ますます自己嫌悪が激しくなる。……よし、部屋に戻ろう。戻ってちゃんと、ジーヴに謝らなきゃ。
そう決めて部屋の前まで戻ってきたはいいもの、中々一歩……というか、扉のノブを捻ることができずに立ち尽くしていた。手をノブまで持っていっても、捻れない。捻る前に、引っ込めてしまう。その繰り返しだったけど、えーい! と目を瞑り勢いのまま扉を開ける。
そおっと開いた視界には、ジーヴの姿はどこにもなかった。自室へ、戻ったんだろうか。やっぱり、呆れた? 緊張してカチコチだった体から力が抜けて、床に座り込む。
「悪い子だな、こよりは」
後ろから聞こえた嬉しそうな声に、はっとなって振り返る。振り返った瞬間、首を片手で捕まれ、じわじわと、ゆっくりと絞められる。息苦しさにもがくと、もう片方の手も首に伸びてきて、両手で首を絞められる。
加減しているのか、苦しいけれど、首をへし折られる恐怖は感じない。恍惚とした表情で、嬉しそうに私の首を絞めるジーヴ。その瞳は爛々と輝いていて、まるで新しいオモチャで遊ぶ幼い子供のよう。
「くる、しっ。ジー……ヴ」
「悪い子だなぁこより? 俺から離れている間に男と一緒にいるなんて。ダメじゃないかお仕置きしなくちゃな」
ぎりぎりと首を絞める力が強くなり、段々意識が遠のく。意識が途切れる寸前に、ようやく手を離してもらえた。酸素が一気に肺へ送り込まれ、自然と咳き込む。涙がにじむ。ジーヴは人差し指でいとおしそうにその涙をすくいとった。




