五十八話
ジーヴの顔を見て、とても残酷なことを言ってしまったことに気がついた。手で口を押さえたけれど、吐き出された言葉が戻ることはない。
なんと言えばいい? 傷つけるつもりじゃなかった。そんな風に、苦しそうな顔をさせたかったわけじゃないの。わかってる、もっと私が強ければよかっただけの話。魔法をちゃんと使えて、ちゃんとジークを捕らえられていたら……きっと、こんなことにはならなかった。
ごめんなさい、謝るための言葉が、つっかえて出てこない。心のどこかで、私の望んだ生じゃないーーそう思っているから。だから、ジーヴに悲しい顔をさせてしまうのに、謝れない。
「……ごめん、な。こより……俺ーー」
「あ、私、今日アルと約束してたの! ちょっと行ってくるね」
謝るジーヴの言葉を遮って、ベッドから立ち上がりジーヴの横をすり抜けて部屋を出る。顔なんて、見れるわけがなかった。
……ウソをついて、逃げてしまった。私ーー弱い、弱くなった。こんなにも自分がもろい人間だったなんて、知らなかった。知りたくもなかった。みっともない、恥ずかしい。唇を噛んで、顔を伏せる。
呆れられたかな、きっと、呆れてしまったよね。ずるずると、扉にもたれかかってしゃがみこむ。そのまま床に座り込んで、空を仰ぎため息をついた。しばらくの間そうしていたら、少し落ち着いてきたので、立ち上がって服のホコリを軽く払う。
部屋に戻ったところで、気まずい空気が待っているだけ。今は、止めておこう。自分が何を言ってしまうかわからないし、それでまたジーヴを傷つけてしまったらと思うと……自分が嫌になる。怖いことから、嫌なことから逃げて、何になるんだろう。ズルいな、私は。
服のホコリを払ったところで、歩き出した。船内の窓の外には、あの恐ろしい夢で見たような青空は、もう広がっていない。代わりに、太陽を覆い隠す暗雲が広がっている。そのことに、少しほっとする自分がいて、ない心臓をかきむしりたくなった。
人間の国から飛び立って、ジークに殺され、ジーヴと血の契約を交わした私は、一週間以上も寝ていたそう。だから、船はもうミルリアに入っている。多分、あと数時間でつくだろう。本当なら、京や師匠達の姿を見に行くはずだったのになぁ。
考えれば考えるだけ、憂うつになる。そういえば、ジークはどこへ行ったんだろう。
……ジーヴが闇に飲まれたから処分したとか言っていたような気がする。生きているのか死んでいるのか、わからないけど。もう二度と遭遇したくはないかな、うん。このことは、もう考えるのは止めよう。
「あらやだ、こよりじゃないのよ! 顔色悪いわよ、大丈夫なの? 全然見かけないから、心配してたのよー!」
「アル」
相変わらずのハイテンションなアルと遭遇した。私がジーヴの妃(予定)という立場でなければ、バンバンと勢いよく背中を叩いてきそうな感じ。
今は、そんな風に背中を思いっきり叩いてこの憂うつな気分を吹き飛ばしてほしいぐらい。アルは上階には上がれないから、どうやら無意識に私が階段で三階までおりてきたようだ。全然気がつかなかった。何も言わずに、ぼんやりとしている私を見て、アルの表情が曇る。
「ちょっと、本当に大丈夫なの?」
「え、あ……」
なんでもない、大丈夫だから。たったそれだけの言葉が、出てこなかった。ぎこちない笑みを浮かべて、そう言えばいいだけなのに……。瞬きをした目から、一粒の涙がこぼれ落ちた。
アルが驚いてわたわたと慌てているのが見えたけど、涙が止まらない。どうしよう、早く泣き止まなくちゃ……アルが困ってる。大事な友人を困らせてしまった。どうしよう……。
「こより様!」
久しぶりに聞く、この、声はーー。はっとして、名前を呼んだ相手を見る。そこには、ロングスカートのメイド服を着て、銀縁眼鏡を指で押し上げる、京の姿があった。
ウソ、なんで……なんで、京が? 隣に立つアルは、何がなんだかサッパリわからない、といった顔をしている。京は私のほうへ、静かに歩いてくる。そして、私の手を握り、アルに一礼した。
「少し、こより様をお借りしますね」
「へ? ど、どうぞ……」
え、ええー……? 私、物じゃないんだけどな。京とアルのやり取りに、心の中で突っ込みを入れられる程度には、落ち着いた。アルに軽く頭を下げて、京に引っ張られるままついていく。京は、歩幅の短い私に合わせて、ゆっくりと歩いてくれる。




