三話
それにしても、靴の特殊加工が物凄く気になる。
魔法とか? 靴に羽が生えていたんじゃないかって錯覚するぐらい、自然に地面に降りれた。落ちたとか、着地したって感じじゃなかった。降りたって言うのが、表現としては正しい。
どうしても気になるので、あしらわれるの覚悟でメイドに聞こうとして、はっとする。……あれ? そういえば私、苦手すぎて未だにこのメイドの名前覚えてない。名前から、聞くべき? それとも、会話の中から探る? いいや、名前から聞くのが礼儀だ。冷たい視線を受ける覚悟で、口を開く。
「カラス、あなたの名前覚えてないの……ごめんなさい。教えてくれる?」
すると、メイドはビックリしたみたいに目を丸くしている。てっきり、冷たい視線が注がれるとばかり思っていたから、私までビックリしてしまう。
「私のことは、ネコとお呼びください」
「それ、仕事上の呼び名でしょう? 街中じゃあ呼びづらいもの、偽名でも何でもいいから、普通の名前を教えて! カラスのことも、街中ではこよりって呼んで頂戴」
そうお願いすると、メイドは珍しく困ったように視線をさ迷わせる。後半は、私の個人的なお願いでもあった。カラスの名を継いだ今となっては、誰も私の本当の名を呼んでくれない。学校では偽名を使っているし、仕事や家ではカラスだ。
異世界にくる直前、久し振りに父様に名前を呼ばれたからだろうか、誰かに私の本当の名を覚えていて欲しいという気持ちがわいてきた。私がじっとメイドを見つめると、根負けしたようにメイドがポツリと呟く。
「私の名は、京と申します。……こより様。京都の京と書いて、きよです」
慣れない様子で京、という名前を口にしたあたり、本名なのだろう。こういう世界にいると、むしろ本名を名乗ることのほうが少ない気がするし。偽名に慣れてしまっている、というべきか。
うーん、様つきなのは……流石に仕方ないか。そこは諦めよう。でも、名前で呼んでくれた! 珍しく、飛び上がりたいほど嬉しかった。勿論、そこまで派手に喜んだりはしないけど、それでも自然と笑みが浮かんでいるのがわかる。私の様子を見て、京はまた目を丸くさせた。そんなに驚くことかな?
「こより様はーー」
「あ! ゆーしゃさまだぁ」
京の言葉をかき消して、私のほうへとことこ駆け寄ってくるのは幼い少女。五歳にも満たないであろう小さな体で、私の傍までくると、キラキラと目を輝かせる。
「おかーさん! ゆーしゃさまだよ」
「すみませんっ」
女の子を追いかけてきたようで、買い物袋を持った母親が謝りながら走ってくる。女の子を抱き上げ、ペコペコと頭を下げる。
「すみません、うちの子、何か失礼なことしませんでしたか?」
「大丈夫ですよ。可愛らしいお子さんですね。ところで、勇者って、魔王を倒すあの勇者で合ってます?」
「え? あ、はい。合ってます」
母親は、何でそんな当たり前のことを聞くのだろう、と不思議そうな顔で私を見つめる。うん、勇者と魔王の関係性や用語は万国共通(異世界含む)なようで、よかった。異世界では実は勇者が悪者でした! とかだったら洒落にならないし。
母親は、女の子を抱っこして逃げるように去って行った。んー、聞きそびれたなぁ。あの女の子、どうして私が異世界からきたってわかったんだろう。自分で自分のことを勇者と言うのは何だか恥ずかしいので、あえて言わない。
「瞳の色、ですよ」
「瞳の色? ああ、確かに珍しいよね。でも何でそれが勇者に繋がるの?」
京は、まるで絵本の読み聞かせをする母親のように穏やかな口調で話す。
立ち止まっていると邪魔になるので、木陰のベンチに二人並んで腰掛ける。最初は遠慮していた京も、私の押しに負けて座る。京は意外と押しに弱いようだ。
「遠い昔のお話です。この世界に魔王が生まれ、数多の人間が魔王を倒すべく冒険へ出かけ、敗れました。そこに現れたのは、一人の少年でした。月のように光る金色の瞳を持つ、不思議な少年は、魔王をあっという間に倒してしまいました。その少年は、何と異世界からきた人間だったのです。魔王を倒した少年は、いつの間にか姿を消していました。ーーこれが、始まりの物語です」
話し終えた京は、ふぅ、と小さく息を吐く。話を聞いた私の頭の中は、それはもう興奮状態だった。今のが始まりの物語ってことは、続きがあるんだよね? ぜひとも聞きたい。だって、異世界のリアルな話だよ、想像上のお話とは違う。
なるほどねぇ、魔王を倒した少年が金色の瞳だったから、勇者は金色の瞳ってことか。それであの女の子も私を見て勇者勇者と騒いだわけが。すごいなぁ、今物凄く異世界感感じてるよ、私!
あれ? でも魔王はその少年が倒したんじゃん? 何でまだいるの。もしかして倒す、イコール封印。みたいな形で、その封印が解けた……とか?
もしくは、倒す、イコール殺した。でも、何年、何十年おきぐらいでまた新しい魔王が誕生する……とか? 今までに読んできた異世界トリップ、転生もので、勇者魔王系の話のパターンから色々考えてみる。考えれば考えるほど楽しくなってくる。だけど、すぐに妄想から現実に戻ってくる。
違う違う、私が今するべきことは魔王を倒すための情報収集であって、妄想じゃない。手っ取り早く、京に聞く。
「何で倒されたはずの魔王が、まだいるの?」
「何と、言いましょうか……」
うーん、と京がしばらく考え込む。そ、そんなに難しい話なの? 数分経って、京が言いづらそうに口を開いた。
「実は、初代勇者が魔王を倒したーーという昔話は、ウソなんです。実は、勇者は少年ではなく少女で、しかも倒しに行ったはずの魔王と結婚し、子供まで……」
なぜか、頭を抱えて唸るように話す京。とりあえず、整理しよう。
その一、初代勇者は魔王を倒していなかった。倒したと言うのは初代勇者のウソ。恐らく、魔王を守るための。その二、初代勇者は男ではなく女だった。たまにいるよね、中性的な子。その三、初代勇者は魔王と結婚し、子供を生んだ……と。うん、頭がこんがらがりそうだけど何とか理解できた。
それにしても、京の話し方はさっきまでの穏やかな語り口とは違って、まるでその場にいたかのような言い方。何だろう、変なの。
「大王ーー初代魔王の奥様が、こより様のお母様なんですよ」
は、い?