二十一話
呑気に考えていると、穏やかに、でも寂しそうに目を伏せていたユズキさんが、何かを思い出したように呟いた。
「いけない、そろそろジーヴの仕事の休憩時間だわ。あれを持ってきて頂戴」
私をここまで運んでくれた魔物に、ユズキさんが何かを持ってくるように言う。
少し経って、私の目の前に置かれたのは灰色の、固める前のコンクリートみたいな液体の入ったコップ。無臭だけど、見た目からして美味しくはなさそう。
あろうことか、ユズキさんは、目の前のコップの液体を飲むように言った。
「こよりちゃんの体は、少しだけど、ジーヴによって魔物化してる。これを飲んで、体を元に戻すの。さぁ早く。ジーヴがここへくる前に、戦える体にしておかないと」
切羽つまった様子で迫ってくる。ま、魔物化? なにそれ怖い。もう一度ジーヴの元に戻ることを考え、嫌だと思った。覚悟を決めて、私は目の前のコンクリートみたいな液体を一気に喉へ流し込んだ。
苦いような、酸っぱいような、甘いような、とにかく変な味が口の中に広がる。うえー! まずい……。思わず舌を出して顔を歪めたくなる。だが、飲み終わってすぐに、鈍い頭痛が治まり、ダルかった体も軽くなる。良薬口に苦しとは、よく言ったものだ。
ユズキさんがほっとしたように安堵の表情を浮かべるが、部屋の扉がノックされた瞬間、体を強ばらせた。顔色も悪い。
「ど、どなた……?」
震える声で、ノックした相手に問いかける。予想通りというか、扉の向こう側にいるのは魔王のようだ。
「母上、こよりが部屋の中にいるのでしょう?」
不気味なほど、優しい声色の魔王。ユズキさんの白い顔が、青ざめていく。カタカタと小刻みに体を震わせる。だが、扉の向こう側にいる義理の息子を睨みつけるように、ぎゅっと手を握りしめる。
それから、私に奥の部屋で隠れているように小さく告げる。しっかりとカギをかけるように、とも。魔物に連れられて、奥の部屋へ案内され、扉が閉められる。私は、言われた通りカギをしっかりとかける。
落ち着かず、部屋の中をうろうろと歩き回る。ユズキさんは、大丈夫かな。さっきの、不気味なほど優しい声色の魔王を思い出す。
今までの記憶を取り戻したのと、お香のせいで意識がぼんやりしていたから、記憶のない状態で魔王と過ごした日々は殆んど覚えていない。だから、今の私は偉そうで超俺様な魔王しか、知らない。もしかしたら、義理とはいえ、母親には優しいのかも……。
そんな風に考えていると、扉の向こう側から、魔王の声が聞こえ、ビックリして数センチ、飛び上がる。
「こより、カギを開けろ」
逆らうことは許さない、といった強い口調。さっき見た、ユズキさんの強い意志が灯った瞳を思い出す。娘である私を、震える体で守ろうとしたユズキさん。簡単に、魔王をここまで通すの?
そんな私の不安を察したように、魔王がくっと笑う。
「母上が無事で済むかどうかは、全てこより次第だぞ」
「……この外道」
気がつくと、魔王への怒りがわき上がっていた。仕事に情は持ち込まないのが信条だったのに、私のすべきことは魔王を倒すこと。今まで見たこともない母親のために感情で動くなんて、私らしくないーー。
「何とでも言え。早く開けないと……そうだなぁ、まずは指を一本ずつ折っていくか」
楽しそうに言う魔王。顔は見えないけれど、きっと笑っているのだろう。ありありと想像できる。自分の変化に戸惑っている私をよそに、魔王は更に続ける。
「細かい作業は苦手なんだ。指から腕へ、腕から足へ、最後はーー首の骨を折ろうか」
私が今いる部屋には、窓がある。戦略的撤退を考えてもいい。でも、そしたらユズキさんがーー。迷う。こんなこと、今までなかった。ターゲットを殺すためなら、手段だって選ばなかった。なのに。いつの間にこんな風になってしまったのだろう。いつの間に弱い弱いと言っていた兄様のようになっていたのだろう。
ふらふらと扉に近づく。気がつくと、カギを開けて、自らの手で扉を開けていた。




