二十話
思い出した。思い出したのはいいけれど、どうやって逃げ出そう。こんなにぼんやりした状態じゃあ、戦うどころか、真っ直ぐに歩くことさえできるか疑わしい。
でも、魔王に記憶を取り戻したことを悟られてはいけない。悟られる前に、ここからどうにかして逃げ出さねば。どうすればいい。どうすれば……。
未だ続く鈍い頭痛のお陰か、私の意識はとてもクリアになっていた。お陰で、こうして寝たフリをしながら、考え事もできる。ぼんやりしていた時には、すぐに霧散していた考えが次々と浮かぶ。
まず、一番心配なことは、寝てしまったら、この思い出した記憶がリセットされるのでは、ということ。次に、魔王に悟られたら、記憶を消されるのでは、ということ。
魔王は、洗脳術を持っている。師匠の道場に通う、十数人の子供を簡単に洗脳してしまえるほどの力がある。私の記憶が消えていたのも、思い出そうとすると激しい頭痛に襲われたのも、全て魔王の仕業だろう。
このまま寝たフリを決め込んで、魔王が部屋を出ていくのを待とう。
どれほどの時間が経ったのかわからないけれど、ようやく魔王が部屋を出ていき、いつも通りカギをかけて足音が遠くなっていくのを確認する。
それから、重い体を無理やり起こしてふらつく足どりでなんとか、お香を消す。窓がないので、すぐに匂いが消えるわけじゃないが、ずっと焚かれていた時よりはマシだろう。ふらふらとベッドに戻る。
さて、これからどうしよう。と考えていると、部屋の扉が、控えめにノックされる。
魔王は基本ノックせずに入ってくるから、メイドが食事でも持ってきたのだろうか。ここの食事は、豪華かつ、胃もたれしない素晴らしい食事だ。って、そうじゃない。
メイドがお香が消えていることを、不審に思ったりしないだろうか? とか色々考えていると、カギが開けられ、扉が開く。そこに立っていた女の人を見て、すぐにわかった。ーーこの人が、大王の妻。そして、私の、母親……。
美しい金色の髪の毛は、お団子にして纏めてある。髪の毛と同じ色の金色の瞳。透き通るほど白い肌。白のワンピースを着ている。儚げな美人って感じ。
私の母親が、一体何の用だろう。この部屋に閉じ込められてから、どれほど経ったのかわからないけれど、今まで一度もきたことなかったのに。
警戒していると、母親が静かに部屋に入ってきて、サイドテーブルに置いてあった置物に布をかぶせ、私に向き直る。それから、衝撃的な言葉を発する。
「こよりちゃん。あなたを、ここから逃がす手伝いをさせて」
なにを、言ってるのこの人……? そもそもの発端はあなたの息子でしょうが!
「ジーヴは、狂ってる。このままここにいたら、すぐにこよりちゃんが記憶を取り戻したことに気づいてまた人形のようにされてしまう。お香は、自分で消せたのね、早く部屋を出ましょう」
早口でそう言うと、部下らしき魔物に私を背負わせ、何やらぶつぶつ唱えている。唱え終わると、ベッドの上にすやすやと眠る私の姿が。
ビックリしている私をよそに、母親は、サッと置物にかけてあった布を取り、私は部屋から連れ出された。
久しぶりに出た部屋の外。そこで初めて、私は地下室に監禁されていたのだと気づく。どうりで、窓がないわけだ。母親の指示で、そのまま私は母親の部屋に連れてこられた。ソファに座らされる。
母親は、向かい側のソファに座り、微笑みながら名前を口にする。
「私はユズキ。よろしくね、こよりちゃん」
「……どうも」
お茶を出されたが、魔王との一件があったので、決して手は出すまいと心に決める。
ダルい体をソファに預けて休んでいる間に、ユズキさんがさっきの行動を説明してくれた。
「あの置物は監視のために置いてあったの。ベッドのすぐそばに置いてあったから。私が使ったのは一時的な幻覚魔法よ。あれで少し、時間が稼げるといいんだけど」
ふう、とため息をつき、ポツリポツリと話し出す。
「俊也さんとの出会いは、今から二十五年前のことよ」
様々な真実を、私は知る。
今から数百年前、魔物の中でも優れた貴族の娘だったユズキさんは、当時、優しすぎて仕事のできないと噂されていた魔王の元へ嫁がされた。しかし、魔王にはこれっぽっちも振り向いてもらえない。一体、どうすればいいのだろう。そう、途方に暮れてユズキさんは、衝動的に人間の街へ。
そこで出会ったのが、俊也こと、私の父様だった。父様は当時、カラスとして異世界にきていたそう。魔王を、倒すために。素っ気なくとも、仮にも魔王は自分の夫。ユズキさんは考えた挙げ句、自分が勇者に扮し魔王を倒したとウソを触れ回った。
その間に、父様とユズキさんは親しい友人となり、やがては恋仲になった。私が生まれた年、関係が魔王にバレた。ユズキさんは、せめて父様と私だけでも、と自身の魔法を使って、元の世界に戻した。
「だけど、私の血が流れているこよりちゃんは、成人するまでに生まれた世界に戻らないと、死んでしまうの。だから、俊也さんは、十八になったこよりちゃんをこちらの世界へ来させたのでしょう。急いでいたから、こよりちゃんが成人するまでに、こちらの世界に戻すことだけ伝えて元の世界へ送ったから、俊也さんには恨まれているでしょうね」
悲しそうに、呟く。そして、ユズキさんは言った。大王とは、単にすれ違いが続いてしまっただけだったのだと。父様との関係がバレたその日に、ユズキさんは大王に強引に抱かれ、子供を生んだが、病弱で、すぐに死んでしまったと。
「ジーヴは、大王様の先妻との間の子供よ。私のことを母上だなんて呼ぶけれど、心の中ではどう思っているのか……」
ため息をつくユズキさん。
何だか、一気に色んな真実を知ってしまった。そっか……父様とユズキさんは、両想いだった。大王も、すれ違っていただけでユズキさんが好きだった。
なんか、少女コミックとかにありそう……。呑気なことを考える。父様が母様が出ていったと言ったのは、ユズキさんのことを恨んでいたから? ……わからない。




