十七話
甘い匂いに、自然と目を覚ます。一瞬、鈍器で思いっきり頭を殴られたような痛みに襲われ、苦痛にうめき声がでる。こめかみのあたりを押さえると、頭痛はすぐに治まった。
ここは一体、どこだろう。ひどく重い体を起こし、ふかふかのベッドから降りて部屋を見渡す。
天井を見上げると、きらびやかなシャンデリアが吊り下がっている。壁はクリーム色で、暖かい印象を受ける。部屋には、窓がなかった。そのことに違和感を感じつつも、裸足で部屋の中を歩き回る。
柔らかい感触の絨毯は裸足に心地よく、ふらふらとおぼつかない足取りで扉のほうへ向かう。ノブを回すが、カギがかけられているのか、開かない。
部屋の外へ出るのは諦め、甘い匂いのところへふらふらと歩いていく。
ベッドのサイドテーブルの上に、お香のようなものが焚かれていた。ここから、甘い匂いが漂ってくる。近づいてくんくん、と鼻をひくつかせて匂いを嗅げば、意識が遠のく。体に力が入らなくなり、膝がぬける。
「大丈夫か?」
気がつくと、後ろから中学生ぐらいの綺麗な顔立ちの少年に、体を支えられていた。そのまま、膝の裏と背中に腕を回されお姫様だっこの形でベッドまで運ばれる。ベッドにゆっくりとおろされる。
「あの香の香りはキツいから、あまり近くで嗅ぐなって言っただろう」
「ごめんなさい……。あの、あなたは?」
端正な顔立ちに、ほの暗い瞳。どこかで見たことのある顔を、思いだそうとする。だが、その瞬間ズキリと鈍い痛みに襲われる。鈍い痛みはやがて、耐え難い苦痛と言えるほどの激痛に変わる。
「痛い! 痛い痛い! 頭が……っ」
「落ち着け、大丈夫だから」
頭皮をかきむしるように頭を押さえ、ベッドの上で暴れる私を、少年は静かな声で押さえつける。わき腹に、針を刺されたような痛みを感じると同時に、痛みがあっという間に引いていく。
私の目じりに溜まった涙を、少年が、壊れものに触るようにーーそっと人差し指で拭う。そして、困ったようにふにゃりと笑った。
「大事な俺の恋人の体だ。その手で傷つけないでくれ」
こい、びと……? 私が、この人の? 戸惑っていると、戸惑いが通じたようで、少年がポツリポツリと話し出す。
私は、異世界からやってきた勇者だったらしい。けれど、魔王である少年、ジーヴが私に一目惚れして、告白。当然、拒否した私だったが、一緒にいるうちに、ジーヴを受け入れた。恋人同士になった私達だったが、ジーヴの妃候補の魔物に襲われた怪我の影響で、記憶がスッポリ抜けてしまったそうな。
所謂、記憶喪失ってやつなんだろう。まさか、自分がそうなんて思いたくない。けど、事実私の中には両親や、生まれ育った場所のことさえも残っていない。受け入れるしか、ない。
更に、ジーヴは言った。さっきみたいに、無理に思いだそうとすると、激しい頭痛に襲われる、と。そういう時、私は決まって頭皮をかきむしるので、恋人として見ていて悲しいから、少し意識をぼんやりさせるお香を焚いているのだと。
意識がハッキリしていると、無理に記憶を思いだそうとしてしまうから。
「でも、恋人なら、思い出してほしいんじゃ……?」
疑問をそのまま口に出せば、ジーヴは頭を振った。
「俺は、テマリが傷つく姿を、見たくない。記憶を取り戻すのは、ゆっくりでいいんだ」
ジーヴの、私を気づかう優しさが嬉しかった。
「テマリーーと、いうのは、私の名前?」
ポツリと口に出せば、ジーヴが悲しそうな顔をしていた。そして、小さな声で呟く。
「……自分の名前も、忘れてしまったのか」
「あ……ご、ごめんなさーー」
「いいんだ。いいんだよ、これからゆっくり思い出していこう。俺は、恋人としてテマリを支えるから」
そう、ジーヴは笑ってくれた。なにもかもわからない私のために、恋人だからという理由でそこまで……。
本当に、いいのかな。言い知れぬ不安が、どうしても拭えなかった。そんな私の心の中を察してか、ジーヴが、ゆったりと微笑む。私の髪の毛を少し手に取り、口づけを落とした。
「どうか、俺のためにここにいておくれ、可愛いお姫様」
おとぎ話に出てくる王子様のような甘い言葉に、顔に熱が集まるのを感じる。きっと、今ごろ私は耳まで真っ赤に染まっていることだろう。こくこくと無言でうなずくだけで精一杯だった。




