第九五話 囮の少女と赤い炎
新キャラ、かつそのキャラの一人称視点です。
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私──ステラ・リーネは後悔していました。床も壁も天井も頑丈な石材で作られた、閉塞感すら覚えるこのダンジョン内の部屋の中で、とても後悔していました。
眼前には種類が異なる複数の魔物。特に二体居るリビングアーマーが目立つ弱点も無く、安定して強いため、こちらが苦戦を強いられる一番の理由となっています。そもそもこれらの魔物との戦闘が長引いた結果、他の魔物まで次々に寄って来たのが今の状況なのですが。
私は撤退を提案しました。仲間の三人が少々のダメージ覚悟で、私の回復魔法を前提として猛攻を仕掛けても、二体のリビングアーマーを倒せずにいたからです。
しかし、その提案が受け入れられることはありませんでした。
私は三つ星の魔法使いです。水と光の二つに適性を持ちますが、何故か使えるのはその補助魔法のみ。
つまり回復は得意といえますが、攻撃については光属性補助魔法のアンデッド特攻が何とか実用範囲といったところです。リビングアーマーはアンデッドの部類に入りますが、辛うじてという程度でしかないために大したダメージを期待できません。
それでも、攻撃力重視のパーティーメンバーに囲まれている状況において、私のヒーラーとしての役割は決して役立たずではなかったと、そう思うのです。
……それなのに。
「クソ使えねぇ!」
「ちっとは攻撃に貢献しろよ!」
「手が足りてねぇのは、見りゃ分かんだろうが!?」
後衛の魔法使いなので防御力も打撃力も無いのは明らか、攻撃魔法も私には使えません。それを承知でパーティーに誘ってくれたはずの仲間達は、口々に私を罵倒します。
ですが彼らが負った傷を治さない訳にはいきません。嗚咽を漏らしてしまいそうな口で回復魔法の名を宣言し、彼らを癒し続けます。
終わりは唐突に、けれど当然のものとして訪れました。私のMP切れです。
「テメッ、攻撃しねぇクセに回復サボんな!」
「ちが……っ、違います! もう、MPが無くて……!」
左腕に傷を負った仲間の剣士が、到底仲間に向けるような目ではないそれで私を睨んで。それが怖かった私は正直に話しました。話してしまいました。
「ハァッ!? じゃあもうほとんど何もできねぇじゃねぇか!」
そんなことを言われても、MP切れするまで回復魔法を使わなければならなかったのだから、仕方が無いと思うのです。回復魔法を使う以外に何もできなかったのですから、仕方が無いと思うのです。
仕方が、無かったのです。
「チクショウ、引くぞ!」
一人が言って、他の二人が頷きます。私も頷きました。
「けど、どうやってここ抜けんだよ!」
「ハッ、こう……やんだよ!」
突然、腹部に衝撃が走りました。呼吸が止まり、今度は背中からの衝撃がありました。
私の視界は何故か天井を映し、慌しく離れていく足音が耳に届きます。
「えげつねぇな、囮かよ!」
「こうすりゃ役に立つだろ?」
遠ざかっていく身勝手な声を聞いて慌てて起き上がると、見えたのは私を取り囲む複数の魔物、そして随分小さくなった三つの背中。
「や……、待って……くださ……!」
みっともなく懇願の言葉を出す私でしたが、返事をくれたのは仲間ではなく。
「あぐ……っ!」
魔物からの攻撃でした。
逃げられない獲物をいたぶるような、致命的ではない体当たり。
私は固い石の床の上を転がされ、身体のあちこちを擦り剥きました。
「ぅ、くぅ……」
MPが尽きた私にできることは、緩慢な動きで這うように魔物から離れようとすることだけ。勿論、逃げ切れるはずはありません。
迫る死そのもの。魔物の形をした、複数の私の死。
ただの一つでも、私を殺すのに十分です。それが何故、複数あるのでしょうか。絶望に絶望を重ねて、何の意味があるのでしょうか。
かちかち、かちかち。本当にすぐ近くから、音が聞こえ始めます。
一体、何の音でしょうか。
動けないでいる私に、リビングアーマーが近付いてきます。
かちかち、かちかち。やはり音が聞こえてきます。
リビングアーマーが接近を終えて、剣の間合いに私を入れても、まだ聞こえてきます。
私を殺すための剣が、振り上げられました。
ここでようやく、私は音の正体に気付きます。
この音は、恐怖する私の奥歯が鳴らしているものでした。
剣が氷を纏っていきます。きっとそのまま刃を振り下ろしても、私は死ぬというのに。
嫌にゆっくりと時間が流れます。
死の恐怖を私が自覚し、それが心の深くに浸透するのを待つかのように。
「いや……。いや、です……」
剣が完全に氷を纏い、いよいよ振り下ろされるのを待つばかりになって。
「誰か、助けて──!」
私の空しい叫びは、魔物を怯ませることも無く。氷を纏った剣は私に──
──触れることなく、鮮烈な赤い光によって貫かれ、砕け散りました。
思考の空白。状況の不理解。
或いは死ぬ間際に見ている、私の妄想でしょうか。
いいえ、いいえ。違います。
私を取り囲んでいた魔物達は私を視界から外し、この部屋の入り口の方を向いています。
警戒しているのでしょうか、その場に留まって動きません。
魔物達の視線の先には、四人の冒険者らしき人達の姿がありました。
一人は黒い装備で統一した男性、一人は翡翠色の鎧を纏った女性、一人は純白の剣を構えた男性。そして、最後の一人は、長杖を構えた魔法使い風の男性です。
「じゃあ、俺はこっちに集まってきてる魔物を処理してくるから。この部屋の魔物はよろしく」
黒い装備の男性はそう言って、一人で去って行きました。残ったのは三人です。
「こっちの戦力が三人で、魔物は八体なんだけどね。軽く言ってくれちゃってもう」
「そうは言っても、集まってきている魔物はその五倍以上だ。彼にやって貰わなければ、むしろ状況は悪化してしまうよ」
「スギサキ君のお陰でこうして間に合ったんだから、そもそも文句を言うのはお門違いだしね」
何とも緊張感の無いやり取りでした。その内容はとても笑っていられるような生易しいものではないと、私は思ったのですが。思ったの、ですが。
『ジ・フレイム』
再び、私はあの熱線を目にしました。
火属性中級攻撃魔法、ジ・フレイム。基本の形は火球で、元々威力に優れています。
そう、元々威力に優れているのです。それが、細く出力されているならどうなるのでしょうか。
答えはとても単純、恐ろしいほどの高威力になります。
先程とは違う、斧を持ったもう一体のリビングアーマーの胴体に、熱線が突き刺さりました。一拍遅れて赤熱し、歪に膨らみ、倒れます。
慌ててもがきますが、もう立ち上がれそうにありません。仮に立てたとしても、バランスを維持できる形状ではなくなっています。
「リビングアーマー、一体を無力化。もう一体の方も武器は壊したし、まあ行けるかな」
淡々とした様子で、当たり前のようにリビングアーマーを無力化した魔法使いの男性。
「……威力、さっきまでより上がってない? あー、レベルが上がったのかな。いやでも、ここまでの威力上昇は……」
起きた出来事に対し、静かに驚く女性。
「二人とも、お喋りの時間はそろそろ終わりのようだ。来る」
そして、純白の剣を構えた男性がそう言った直後。私のことなど完全に眼中に無くなった魔物が、一斉に三人へ向かって行きました。
先頭に出たのは純白の剣を持つ男性です。この中で最も敏捷性に優れた魔物、シャドウストーカーの大鎌を容易く避けて、そのまま無手のリビングアーマーへ肉薄します。
リビングアーマーは右の拳に氷を纏わせ、向かってきた男性の顔目掛けてそれを繰り出しました。ですが斜めに構えた剣で受け流され、素早く切り返された剣に腕を付け根から断たれます。
武器と片腕を失ったリビングアーマーの頭部に、男性の手のひらが翳されたと思えば、眩い光が一瞬だけ煌めいて。気付けばリビングアーマーは頭部までもを失って、ゆっくりと仰向けに倒れていきました。
男性の剣士ばかりではありません、女性の剣士も動いていました。
先ほど放置されていたシャドウストーカーを背後から狙い、首をひと突き。速やかに仕留めて、次の魔物へと攻撃目標を移します。
いつの間にか私のすぐ近くに来ていたのが、魔法使いの人でした。優しげな顔立ちの、たぶん私と同い年くらいの男性です。
「回復ポーション、渡しておくね。後でお金を請求したりなんかしないから、遠慮無く使って」
私を安心させるためでしょうか。元々優しげな顔に笑みを浮かべて、私の手に一本の瓶を持たせてくれました。
そのまま私に背を向けて、魔物達に向き直ります。
「ありがとう、ございます……」
「困ったときはお互い様だよ」
彼は背を向けたままでしたが、返事をくれました。
私は急いで蓋を開け、ポーションを飲みます。するとみるみる内に身体中の怪我が治っていきます。と言いますか、完治しました。
大変です。このポーション、それなりに高級品です。
思わずポーションの元の持ち主の方を見て、口を動かそうとしたところで、彼の長杖の先端が黒くなっていることに気が付きます。焦げのように見えるのですが、自身の魔法で焦がしてしまったのでしょうか?
先程見せてくれたあの高威力の火属性魔法を考えれば、自身の装備品にダメージが入ってしまうような甘い制御はしていないと思うのですが……。
──そんな私の疑問は、抱いて十秒以内に解消されることとなりました。
落ち窪んだ不気味な眼窩を持つレッサーデーモン二体が、彼に向かって同時に襲い掛かります。
彼の魔法は確かに強力で、発動も早かったと思います。ですが、それで仕留められるのは一体だけでしょう。つまりもう一体には、接近を許してしまうのです。
長杖に、ローブ姿。魔法使いという代表的な後衛職であるはずの彼が接近されれば、果たしてどのような末路が待っているでしょうか。
『ジ・フレイム』
思わず目を瞑りかけた私の耳に届いたのは、火属性中級攻撃魔法の名でした。
てっきり、一体の魔物をそれで仕留めるのだと私は思ったのですが、そうではありません。彼が持つ杖に今、炎で形成された刃が宿っています。
『ライズⅡ』
続けざまに、今度は火属性中級補助魔法です。その効果は、筋力の強化……、そのはずなのです。
空中に赤い線を引く、豪快な横一閃。
攻撃魔法を非常識なほど小さく圧縮した高密度の炎の刃は、補助魔法によって大きく強化された筋力によって力強く振るわれました。
それは間合いに入ってきたレッサーデーモン二体をまとめて、それはもうあっさりと焼き切りました。
それから程なくして、私の居たパーティーをあっさり壊滅させた魔物達は、全て動かなくなりました。動かなく、なってしまいました。
瞬間火力で言えば、エリックは実質四つ星レベルです。
四つ星の魔法剣士を相手に、高確率で相打ちに持ちこめます。
ただし短期決戦が大前提ですが。