第九一話 情報の重要性
今回は三人称視点です。
◆◆◆◆◆
会場の中央で複数のペアがダンスを踊る中、酔いで火照った身体に夜風を当てたくなったベットリヒ少将は人気の無いテラスへと出た。
するとほんの数秒遅れで、更に一人の人間がテラスに出てくる。
遅れて出てきた人間は、軍服を着ていた。ベットリヒ少将も軍服を着ているのだが、基本的な意匠はそれと全く同じ。襟元にある階級を示す刺繍や、胸元に付けられた勲章の種類と数に違いがある程度。
彼の名はアルレイ・ディノイア。ヴァナルガンド帝国の准将であった。
「ご無沙汰しております、ベットリヒ少将」
表面上は穏やかな笑みを浮かべ、ディノイア准将がベットリヒ少将へ声を掛けた。
人の居ないテラスに一人で出た少将にとって、意外なタイミングで声を掛けられた形だ。──少なくとも、声を掛けた准将側からはそうに違いなかった。
「ディノイア准将か。まさか君と、リッヒレーベン王国で会うとは思わなかった」
振り返って驚いている、少なくとも見た限りではその様子である少将に対して、准将は思わず笑みを深める。
「意外でしたかな。私とて、隣国に足を伸ばすことはありますとも」
事も無げに語る准将だが、彼にとっての隣国は敵国だ。同じ帝国軍に所属しながらも、穏健派の少将とは真逆のスタンスを取っている。王国へ正式に招かれた少将がこの場に居ることとは、根本的に意味が異なる。
准将は表情をそのままに、少将の隣まで歩いて来た。
「……招待客の名簿の中から、君の名は見当たらなかったのだが」
対する少将は緊張した面持ちで、牽制の言葉を放った。
「ああ、それは少しばかり古い名簿だったのでしょう。実は私は、かなり直前になって招かれたのですよ」
即座に返した准将だったが、それは悪手だった。
「生憎と、ここにある最新の名簿に目を通していてね。その上で、君の名が無かったと言っている」
早くも決定的な言葉になってしまった状況に、准将は僅かばかり眉を顰めた。しかしすぐさま些事と割り切り、口元を大きく歪めた。
「どうやら元より警戒なさっていたようですね。王国側に、恐らくは協力者も居るのでしょう。残念ながら、無能な、と修飾しなければならない程度の低さですが」
視線を険しくした少将を見ても、准将は涼しげな顔で言葉を続ける。
「この迎賓館は中々良い建造物ですね。十分なゆとりを以って設計され──侵入も容易かった。罠を疑いたくなる程に容易でしたので、今となっては笑い話です」
愉しげに、饒舌に語り始めた准将。それを険しいままの表情で見詰める少将は、問いを投げることにした。
「ほう、そうかね。それで、君は何を成そうとここに居る?」
務めて冷静な声になるように。そんな内心を思わせる、ほんの僅かな震えの入った声だった。
耳聡くそれを聞き取った准将は更に愉しげに笑みを浮かべ、実に調子良く舌を動かす。
「貴方にご退場願いたいのですよ、ベットリヒ少将。軍人でありながら厭戦思想を抱くなど、誇り高き帝国軍人にあるまじきこと。ましてや王国などこの通り、容易く敵の侵入を許しているのです。何を恐れる必要があるのか」
表情を消して真顔になった少将。やはり務めて冷静な声を心掛け、口を開く。
「具体的な手段を提示したまえ。絵空事を述べるだけならば、幼子にもできるだろう」
言葉を受けた准将の片眉がピクリと動く。癇に障ったらしい。
「それは挑発のおつもりですかな? ここに侵入したのが私一人などとは、まさかお思いではないでしょう?」
「具体的な手段を、と言った。それとも何か。自分は強い、と根拠も無く主張することが脅しとして機能するとでも思っているのかね、君は?」
しかし少将の言葉は挑発の色をより濃くしただけで、准将はあからさまに不機嫌になってきた。
「……その強気な態度だけは、流石に帝国軍人であると認めましょう。ですが後悔することになりますよ」
准将はおもむろに、袖の内から小さな箱を取り出した。その箱には小さなボタンが複数取り付けられ、その内の一つが押し込まれた。
その結果、迎賓館にある第二調理室が爆破──される予定だったが何も起こらなかった。
当然、それに慌てたのはボタンを押した准将。何かの間違いだと、繰り返し同じボタンを押し込んでみるが結果は変わらない。何も、起こらない。
「一体どうしたのかね、急に指の運動などを始めて」
手元のスイッチに視線を落としていた准将は、反射的に少将へと視線を向けた。
顔を背け、口元を手で押さえ、肩を揺らしていた。当然ながら表情は全く見えないが、それは明らかに──笑っていた。
「……っ、馬鹿に──!」
一気に怒りの沸点まで押し上げられた准将は勢いに任せて全てのボタン──起爆スイッチを押した。しかしながら、何も起こらない。何一つとして爆発するものはない。
否、准将の感情だけは見事に爆発したか。
「ふざ、けるなよ! 何だこれは!」
怒り心頭と、床にスイッチを叩き付ける准将。硬い床に叩きつけられたスイッチは幾つかの破片となって、テラスに散った。
大声に加えてスイッチが壊れる音もあり、けれど誰もそれに気付かずテラスへとやっては来ない。それは、密かに准将が起動していた遮音の魔法具のお陰だった。
いや、正確には一人だけ、新たにこの場へ現れた者が居る。
「お客様、ゴミを撒き散らすというのは当然ながらマナー違反です。今後はお控えくださいますよう、お願い申し上げます」
言葉遣いの丁寧さだけは十分な声が聞こえると、方々へ散っていた破片が風によって巻き上げられ──声の主の手のひらの上で一塊にまとめられた。
「もっとも、今後の機会があるのかは些か疑問ですが」
若い男だった。黒髪黒目で、上着の下に着ているワイシャツと白い手袋を除けば、服装も黒ずくめ。あえて一言で表すならば執事のような格好だ。
執事風の男は何処から取り出したのか小さな袋を手に持ち、そこへ破片を入れる。すると袋ごと、破片は何処かへ消えてしまった。
「風魔法……か?」
准将は突然現れた男に対し、警戒心も露わに強い視線を向ける。
攻撃魔法は、物を破壊するに十分な威力を持つのが当たり前だ。逆に言えば、それを用いて物を破壊しない方が難易度が高い。固定された状態で組むことが容易な水魔法や地魔法ならば必ずしもそうではないが、火魔法や風魔法はその傾向が強かった。
その傾向が強い後者に属する風魔法を使って、周囲に破壊を撒き散らさず、散らばった破片のみを巻き取りひと纏まりにしてしまうなど。一体どれほど緻密な魔法操作能力が必要なのか。
或いは弱い風を操る魔法具を使用している可能性はあるが、数にして十以上は仕掛けたはずの爆弾がことごとく不発に終わらされている現状、准将が敵の能力を甘く見積もって良い理由など無かった。
「お初にお目に掛かります、アルレイ・ディノイア准将。申し遅れましたが、私はリク・スギサキ、一介の冒険者でございます」
男は──リクは涼しげな顔で優雅に一礼し、それはとても様になっていると准将には思われた。
「本日はクラリッサ・エクスナー侯爵令嬢より依頼を受け、会場の警備にあたっております」
主催者の娘から依頼を受けている冒険者。
ただの貴族令嬢ならばお気に入りの冒険者を気紛れに呼ぶなど日常茶飯事だが、冒険者ギルド最高戦力が一角、紅紫のエクスナーが同様であるとは思えなかった。
更に准将は、リク・スギサキという冒険者の名を知らない。色持ちから依頼を受けるほどの実力者であるはずだが、それでも知らないのだ。違和感の無い礼儀作法と合わせて、かえって不気味さばかりが際立つ。
「……私は、君の名を知らない。私にとっては他国のこととはいえ、色持ちからの依頼を受けるほどの冒険者だ。虚偽の可能性を疑ってしまうな」
准将は往生際悪く、自身のことを棚に上げて相手の素性の知れなさを指摘した。会話を続け、相手の隙を窺う目的だった。
「嘘をつくならば、有名な冒険者の名を騙るでしょう。そもそも、不法入国してきた犯罪者を捕らえるのに、大層な肩書きは不要です」
実に柔らかな笑みを浮かべ、世間話でもするような気軽さで。けれど眼光だけは極めて鋭く。
瞬きする間も無く間合いを詰めたリクは、准将の腹部に掌底を打ちつけた。
「が、は──!」
准将は身体をくの字に曲げ、数歩分は距離のあったテラスの手すりへと、強かに背中を打った。そのまま力を失ったように座り込み、首をがっくりと垂れる。
「服の下に防御用の魔法具を仕込んでいることは把握しています。気絶したふりは、悪手ですよ」
「……クソ!」
准将は何の躊躇いも無く振り下ろされる黒い両手剣の刃を、寸でのところで避けた。必死の形相で横に転がり、とても無様な状況ではあったが。
「良いのか、私を殺して! こちらには人質が──」
「シュターミッツ男爵、ヘッティヒ子爵、アドリオン子爵。既に近隣の倉庫から救出済みですが、まだ手札をお持ちですか? ああ、そうです、その三名の招待状を持って会場入りしてきた不届き者は今、この迎賓館の仮眠室に居ますよ。余程疲れていたのでしょうか、ぐっすりと眠っているようですね。勿論、爆弾が不発に終わったのも工作員を爆弾設置前に捕縛したからです。身体の自由が制限される排気口の中に、元から居ると知られている状況では抵抗もろくにできなかったでしょう。事前に罠も設置していましたから、なおのことです」
伏せていたはずの手札が全て、敵の口から語られる。それも、捨て札になったという情報を添えて。
准将は一瞬だけブラフの可能性を考え、しかしそれを棄却する。近隣の倉庫と言われただけならまだしも、人質の名前をぴたりと言い当てられたとあっては、手札がまだ生きていると信じる方がどうかしている。
「……とうに、詰んでいたということか」
前線からは退いたとはいえ、准将は軍人だ。対人戦に限れば冒険者にもそうそう引けを取らない自負があったのだが、敵として今対峙している男の速さは常軌を逸していた。
不意打ちどころか真正面からの一撃に、反応すらできなかったのだから。
「全く以って恐ろしい手際だ……」
その声を上げたのは、少し距離を置いて事の推移を見ていたベットリヒ少将だった。彼は帝国軍人であるからこそ、王国との戦争など遠慮願っていたが、この短時間でその思いを一層強くしていた。
戦術レベルでの出来事とはいえ、こうも一方的に情報を盗られ尽く先手を打たれるなど、悪夢のようだった。
「ディノイア准将、投降したまえ。これ以上の無様を晒すのであれば、それこそ帝国軍人として見過ごせん」
准将に向き直った少将は表情を引き締めて、はっきりと言い渡した。
准将はその後呆気なく、投降した。
主人公がエディターから得た情報をどうやって味方陣営に伝えていたのかは、次話にて。
非常にシンプルですけどね。