第八八話 酒と肴と
二日酔いって辛いですよね。
俺は今、酒を飲んでいる。種類はワインが多いか。
決して小さくなどないテーブルにて、それでも狭いと訴えかけてくるボトルと皿の数々。皿の方はそれぞれ、多くとも二口で平らげてしまえそうな分量の料理が乗せられている。そしてその皿が空けばすぐさま下げられ、別の料理を乗せた皿が現れる。
ここは王城内の応接間。初対面である王様と侯爵家当主様のお二方と同席し、酒宴が開かれている。
冗談だろ、と思っていたけれど本当に一緒に酒を飲むことになっていて、何なら今でも冗談なんじゃないかと往生際悪くも思い続けている。
「当日の段取りを確認したかったのだが、やはりそういった空気ではないな。そのような話をここでしようとしても、陛下は無粋と言われるだろう」
今は少し離れた席でクラリッサ様と歓談している国王陛下を一瞬だけ見てから、俺の隣にやって来られたエクスナー侯爵様。そのままそこに座った。
直前にこちらへ視線を向けられて、腰を上げる素振りが見えた時に俺の方から動こうとはしたんだけど、手で制されてしまったんだ。
「聞くところによれば、君達は先ほど王都に到着したばかりで、しかも登城することすら知らされていなかったそうだな。娘に代わって謝罪しよう」
侯爵って言ったら、貴族の中でも上から二番目の爵位だよな。そんな地位の方からこんなにもあっさり謝られるのは予想外。
「謝罪など、滅相もない。クラリッサ様にもお考えがあってのことでしょうから。それこそ先程私がした勢い任せの自己紹介など、事前に知らされていたならできなかったものです。国王陛下は、堅苦しいばかりの言動を好まれない御方だとお見受けしましたので」
クラリッサ様に何かしらのお考えがあり、国王陛下が堅苦しさを好まない。この二点自体は本当にそうだと思っている。それらが繋がっているかどうかは、少し疑っているけれど。
まあでも、侯爵様からこうも素直に謝られてしまっては、その本心がどうあれこちらも誠意を見せなければ。
「私も彼と同意見です。侯爵様が気に病まれることなどございません」
すかさず俺の意見に同調してくれるフランが流石だ。ぽっと出の胡散臭い俺の言葉のみだとアレだけど、フランの言葉もあればきっと大丈夫だろう。何せクラリッサ様が気に掛けている様子だし、エクスナー家との関係も決して険悪ではないだろうから。
「君達は若いが、随分と落ち着いているものだ。フランセット嬢はかのシャリエ家の人間ということで納得するものだが、リク君は平民の出の転生者なのだろう?」
落ち着いている……? 俺が? 本当に? 落ち着きたいのは山々だけど、ちょくちょくトラブルに見舞われて落ち着けていない俺ですが? 何なら今まさに、トラブルに見舞われていると思っていますし?
とりあえず、そんな内心はおくびにも出さず。
「内心の動揺を表に出さぬよう苦慮しておりますが、侯爵様にそう評価して頂けたのなら、私の痩せ我慢も捨てたものではありませんね」
いや、本当はアインバーグとかで広まってる噂話に絡めた話かと思ったんだけど、王都にまでは別に広まってないかなって思い直して。とりあえず無難に返答してみた。
「はは、痩せ我慢と来たか」
侯爵様は俺の言葉がお気に召したらしく、肩を揺らして静かに笑っている。
「【黒疾風】の武勇伝は、私も幾らか耳にしているのだがね」
広まってたー。
ってかこれ煽られてる? ねぇこれ煽られてるの? それともまさか、本気で武勇伝って言って褒められてる?
いや、とにかく油断していた。
「ご容赦ください……」
苦笑──を頑張って浮かべる。表情筋が引き攣りそうなのを、必死こいて抑えながら。
ただその努力は、次の瞬間に表情が固まったことで不要となる。
「余の耳にもしかと届いておるぞ、【黒疾風】の武勇! 変異種の魔物を短期間で数多く屠ってきたと! 中でも、原理不明の再生能力を持ったジェネラルオークを初見で討伐した、というのが最も気に入っておる!」
デデーンという効果音でも聞こえてきそうなアグレッシブさで、左手を腰に当て右手を前に突き出した国王陛下が俺の目の前にいらっしゃる。
なおアグレッシブとは、日本では積極的という意味で用いられることが多かったが、それ以外にも攻撃的とか侵略的とかいう意味も持っている。別に他意は無いよ。ホントダヨ。
ところで陛下! ほんの一瞬前まで、少し離れたところに座っていらっしゃいましたよね!? フットワーク軽いですね! クラリッサ様が呆然としてこちらをご覧になっているんですけど!?
「武勇とは、非才のこの身に過ぎたる言葉ではありますが、陛下にお楽しみ頂けたとあらば大変名誉なことでございます」
いかん、内心でツッコミ入れてたらクッソ無難な言葉しか返せなかった。
「そう謙遜するでない……と言いたいところではあるが、黒髪黒目のそなたは日本からの転生者であろうな。日本人というものは礼節を知り、仁義を重んじると聞く。驕ることなど無いのだろう」
日本贔屓の外国人みたいなことを、異世界の国王陛下が仰っている。いやそこまで美化されるとハードルがあまりにも高いです。
とはいえここで否定しても、陛下のその偏った認識を強めるばかりか。
俺にできたことは、曖昧な笑みを浮かべることだけだった。
「しかしそれはともかく、やはり【黒疾風】とはそなたのことであったか。フランセット嬢と仲睦まじい様子であることから、そうではないかと思ってはおったのだ」
ああ、二つ名の方だけで噂が広まってたのか。
……いやいや、仲睦まじいって。
「時にリクよ。余はそなた自身の口から、これまでどのように戦い、魔物を討ち果たしてきたのかを聞きたく思うのだが、どうか」
おおっとここで公開処刑ですか。また一段と辛くなって参りました。
「あまり自分のことを語るのは得意ではないのですが、陛下がそれをご所望なさるのであれば。拙い語りですが、何卒ご容赦の程を」
拒否したとして、ろくな未来が見えない。ということで観念して話し始めよう。
「まずはコマンドワイバーンが複数発生した件についてお話し致しましょう。あれは、私が冒険者ギルドに登録して間も無く起こった事件でした」
事の発端であるコマンドブルのくだりは盛り上がりに欠けるかと思い、大胆にカットしてダイジェスト程度に。山岳都市アインガングに到着し、コマンドワイバーンの複数発生をエディターにより確認したところからは、もう少し詳細に話し始める。
計三頭のコマンドワイバーンが率いる群れは空の一部を覆い隠すほどで、当時まだ初級冒険者だった自分には荷が勝ちすぎる光景に思えてならなかったことを語る。
「その少し後、更にコマンドワイバーンが複数同時発生した際のことです。リクはやや冷静さを欠いていましたが、規模を大幅に増したワイバーンの群れを指して『根絶やしにしてくれる』と発言していました」
「ほう、噂に違わぬ勇ましさよな!」
「あの時の私は相当に取り乱しておりました。……フラン、今ここでそれを言う必要ってあったかな?」
フランからのフレンドリーファイア気味の援護射撃も受けつつ、話を続行。
エルさんの光魔法がワイバーンを蒸発させていったことや、フランの水魔法がワイバーンの急所を的確に撃ち抜いていったことも語りつつ、俺が行った初の空中戦の仔細を説明した。
ワイバーンの背に乗って周囲への挑発を行っていたときの話など、特に好評な様子だった。俺を振り落とそうと暴れるワイバーンに、周囲から殺到してくる複数のワイバーン達。状況を長引かせ、可能な限り引き付けてからの連続撃破。いかにも冒険譚といった場面だ。
時折フランからの補足も入りながら、その調子で先のことも語っていった。概ね順調に語ることができたと思う。
俺が話を終え、締めの言葉を言うと、拍手の音が響く。
「やはり当事者からの語りには重みがある。尾ひれの付いた話ではなく、純然たる事実のみで語られたであろうことも、フランセット嬢が証明してくれよう。実に有意義な時間であったぞ」
国王陛下からの拍手、お褒めの言葉。
「陛下のそのお言葉が、何よりの誉れです」
でも国王陛下ともなれば、英雄の口から直に英雄譚を聞く場面だってある気がするんだけど。俺程度の小物で良かったのかね。
ところで、クラリッサ様もしれっと俺の話に耳を傾けていらっしゃった。エディターの表示は警戒と平常を行ったり来たり。
スタンスがさっぱり分からないから、いっそ警戒のままの方がこっちもやり易いんじゃないかと思う。
「しかしそなた、近衛のごとき立ち居振る舞いをするものよな。まるで何年も前から傍に置いておったかのような感覚がある。此度の働き如何では、近衛への取り立てを考えても良いやも知れぬ」
はっはっは、と明るく笑いながらそう仰る国王陛下。
いやはや、ご冗談を。
「いや、間諜の方が適切な差配か? 高い移動速度に索敵、戦闘と。うむ、そうであるな」
いやいやご冗談を!
真剣に検討されているご様子の国王陛下に、俺も焦る。しかし。
「僭越ながら申し上げます。彼はギルドマスターのお気に入りですわ」
意外なタイミングで、クラリッサ様が口を挟んだ。
「ぐ、ぬ……。そうか、ディートリヒの。あやつも食えぬ男であるからな。味方であれば心強いが、さもなくば厄介なことこの上ない」
陛下の反応を見るに、クラリッサ様の発言は相当な効果があったらしい。ともあれ危ないところを救われたので、俺はクラリッサ様へ目礼。
ギルドマスターへも一瞬だけ感謝の念が浮かんだが、よくよく考えてみるとこの状況がギルドマスターの仕業だったので立ち消えた。
その後は特に問題という程のことも起こらず、酒宴は無事終了。城内の部屋を割り当てられて、このまま泊まることに。
「何だか不思議なことになりましたね、リク。トラブルは少々見られましたが、概ね楽しかったと思います」
フランに割り当てられた部屋の中、やや足元が覚束無い様子のフランが言った。表情は柔らかく、むしろ気が抜けているとすら表現できるか。
転倒する程とは思わないけれど、ソファーには座らせておこう。
「そうだね。でも、フランは少し飲み過ぎかな」
二日酔いになられても困るので、対策を講じる。それにしてもフランが飲み過ぎだなんて、この程度とはいえ珍しい。
「だからこれを食べておこうか」
そう言って俺がアイテムボックスから取り出したのはラムネ菓子。主成分はブドウ糖で、二日酔い予防に大活躍の頼れる奴だ。
酒を飲むことは確定的だと思っていたので、念のためにと用意しておいた品である。まさか王都到着の初日に使うとは思わなかったが。いや、日付が変わっているから厳密には二日目か。
「ラムネ菓子ですか。二日酔いになりにくくなる、とのことでしたね。ありがたく頂きます」
フランは俺からラムネ菓子の入ったガラス容器を受け取り、中身を一つずつ取り出してそれを食べる。
「ふふ、懐かしい味がします」
今のフランは小動物的に見える。こう、ヒマワリの種を食べるハムスター的な。
「水も飲んでおこう」
コップと水差しもアイテムボックスから取り出し、コップに水を注いでからフランに渡す。
「ありがとうございます」
我ながら甲斐甲斐しく世話を焼いているこの状況に、まるで使用人のようだと感じる。格好も執事スタイルだし。
「やはり、リクは優しいですね」
笑顔でそんなことを言うフランを見ながら、否定的な言葉を内心で浮かべる俺。
「この件については、元々俺の仕事だったからさ。フランには同行して貰ってるだけで本当に物凄く助けられてるし、これくらいは」
仮にフランの同行が無かったなら、まずこの王都までの移動が地獄だっただろう。先程の酒宴中も、俺の話への補足説明的な役割を担ってくれて助かっていたし。手加減して欲しい部分はあったけれど。
「リクはお礼を言われると度々理由を返しますが、それは違います。リクが優しいから、私はリクに優しいと言うのです」
反応に困る。とても困る。
困っていたら、唐突にフランの瞼が半分くらい閉じられた。
「すみません、急に眠気が強まってきました……」
確かに声も眠そうだ。
俺はラムネの容器とコップをフランから受け取り、アイテムボックスに収納。フランの手を取って立ち上がらせ、ベッドへと誘導する。
「おやすみ、フラン」
「おやすみなさい、リク」
あっさりと別れを告げて、俺は廊下に出た。そしてワインレッドの双眸が待ち受ける。
「こんばんは、クラリッサ様。フランは今から眠るところです」
エディターのマップ表示はここ最近ずっと表示したままなので、特に驚かない。
「そう。貴方もその部屋で一晩過ごすのかと思いましたわ」
「特にそういう関係性ではありませんので」
軽く受け流しておく。
「ところで、もしや私に何か御用でしたか?」
フランが寝るところというのを伝えてもこの場から立ち去る様子が無いので、そういうことだろうか。
「いいえ、何もありませんわ」
でもフランの部屋の前でスタンバってましたよね。
そんな俺の声に出さないツッコミが聞こえたかのように、クラリッサ様は素早く立ち去っていった。
……まさか本気で、俺がフランと一緒に一晩過ごす可能性を考えていたのか。
ベッドシーンは入りませんでした。