第八七話 リッヒレーベン国王
東京スカイツリーには一度だけ行ったことがあります。
人が一人乗れる程度のサイズで部分的に強化ガラスになっている床があったのですが、そこに乗って下を見た時は中々にスリルを感じました。
幾つかの町や村を経由し、アインバーグを出発して三日後の夕刻になってからようやく、目的地の王都ゲゼルシャフトが姿を現した。
小高い丘の上に、天を貫くように聳える青褐色の城がある。一言で表すならば荘厳で、形状を元の世界の建造物で例えるならばサグラダファミリア辺りか。
夕刻であるため、都に向かっている俺達が居るこの辺りはかなり暗くなっているが、前述の城を囲む街並みは明かりで満ちている。遠目に見ても活気が感じ取れた。
夕焼けの景色に夜の帳が下り、街自体の明かりだけが街を照らすようになるにつれて、より美しい街並みが際立っていく。
わざわざ上から見た甲斐があったというものだ。
「期待通り……いや、期待以上かな。見事なもんだ」
風魔法を用い、ひたすら上に向けて飛んだ俺の身体は現在、地上四〇〇メートル程の高さで滞空している。これまた元の世界で例えるならば、東京スカイツリーの展望回廊……より少し低い程度。展望デッキよりは高いけれど。
随分近付いたお陰で既に、エディターのマップ表示を使って王都の様子は確認できるものの。やはり肉眼で見る美しさは格別だ。
「ええ、本当に見事です。王都の夜景を見たことは過去にもありますが、これほどの高さから見下ろす機会は流石にありませんでした」
俺の耳元付近から感嘆の声を漏らすのは、お姫様抱っこをされたフラン。俺がそのお姫様抱っこをしてるんだけどさ。
「思い付きの行動だったけど、やってみて良かった。アインバーグに帰ったら土産話にしよう」
「王都の夜景って、上から眺めたらめっちゃ綺麗な気がする」と、マップに現れた王都を見たときの俺は言った。自分でもびっくりするくらい自然にフランを誘い、馬車から飛び出したのはつい数分前のこと。
「そうですね。ああ、ですがアーデさんに話すと、私が今やって貰っていることと同じことを強請られてしまいそうです」
人を一人、お姫様抱っこしながら飛行。抱っこされる側が大人しくしてくれればそれほどでもないけれど、不用意に動かれると風の調節難易度が跳ね上がる。
フランはこちらを信用してくれて、また慮ってくれるので問題は無い。
「アーデは確実に不用意な動きをする。落下の危険が現実味を帯び過ぎてる。絶対にやってやらない」
俺は冷淡な声で、本人が居る訳でもないのに拒否した。
「いくらアーデさんでも、リクにそこまで言われれば大人しくするように思いますよ?」
「そこまで言われないと大人しくしないような奴に対して、サービス精神旺盛にはなれないかな」
それに、と続きの言葉を言いかけて止める。これはまだ、心の内に留めておこう。
「そろそろ降りようか」
日が完全に沈み切り、景色に変化が見られなくなったので、俺はそう言った。
「はい。良ければまた、この景色を見せてくださいね」
フランは穏やかな微笑を俺に向けてくる。
「機会があれば、必ず」
眼下に広がる見事な夜景にも劣らぬ綺麗なものを、もう一つ間近に見てから。俺は静かに地上へと戻る。
俺達が馬車と合流したのは、王都の検問より少し手前。爆速でかっ飛ばしていた訳でもない馬車に、素早さ以外を捨て去った俺の移動速度が敵わない訳はなかった。
「風の攻撃魔法を移動に使用する、とは聞いていたのだけれど。まさか人間一人を抱えて飛行が可能だとは思いませんでしたわ」
移動する馬車にそのまま乗り込んで早々、クラリッサ様から珍獣でも見るような目を向けられた。
「ところで、肝心の夜景は楽しめましたの?」
然程興味も無さそうに質問された。ここは手短に答えておくのが無難か。
「ええ、存分に堪能しました」
「やはり街中からの視点とは、随分と印象が異なりました。特にタイミングが良かったらしく、夕焼けの赤から街そのものの明かりへと色彩が移り変わって行く様を見られたのが、本当に素晴らしいです。そうですね……これは使い古された表現ですが、まるで宝石箱のようだった、と言えるでしょうか。美しい景色を眺めながら夜の空中散歩と、リクにはとても贅沢をさせて貰いました」
俺よりも長めに語ったフランは、普段よりも楽しそうに見える。
「そう」
やはりというか、クラリッサ様の返答は短かった。けれど、視線は和らいで見える。ただし俺ではなく、フランに向けられた視線だけれど。
フランに対しては特に警戒も無いみたいだから、そこは安心できる要素かな。
王都外壁にある巨大な門の両脇に、それぞれ一人ずつ門番が立っていた。すっかり夜になっているが、眠そうにはしていない。むしろしっかりと目を見開き、職務を全うしている。
豪華な馬車が三台、足が六本もある馬型の魔物に牽かれて接近してくるのだから、もし眠気があったとしても吹き飛びそうな気はするけれど。
当然ながら、クラリッサ様が王都入りすることは門番達も知らされているはずだ。ものの数分待たされた程度で、俺達はすぐに王都の中へと入ることができた。
空から様子は確認できていたけれど、やはり間近で見るとそれはそれで違って見える。
俺が活動拠点としている城塞都市アインバーグも十分に大きな街だが、この王都ゲゼルシャフトはそれ以上に大きな街だ。夜だというのに活気に溢れ、道行く人の数も多い。それと、心なしかエルフや獣人族など、人族以外の割合も高めな気がする。
建物はもっと分かり易く違い、こちらでは石材ではなく煉瓦でできた建物が主流のようだ。煉瓦は長手の列と小口の列が交互に重ねられているので、イギリス詰みという奴か。色は、元の世界で良く見られた赤味のくすんだ茶色のものもあれば、薄い灰色のものもある。
また、機械技術よりも魔法技術の方が発達しているこの世界だが、しかし王都ともなると街灯に電気が使われているらしい。これはエディターで調べた。
そして何より特徴的なのは、恐らく王都の何処からでも見えるであろう王城だ。さながら空に向けて構えられた巨大な槍のようで、この国の象徴の一つとして何ら不足は無いか。
さて、王城が非常に大きい。それは先程も述べたことではあるものの、今のは俺の主観的というか視覚的な話であって。
まあ、うん、目の前に王城の門があるんだ。いやぁ、この門も本当に大きいなぁ。街は平地にあるから、丘の上にあるここまで来るには坂道を上がってこないといけなかったんだけど、その道程が妙に長く感じられたよ。……現実逃避終了。
「夜間に王城を訪れることになるとは思いませんでした」
もっと言うと、そもそも王城を訪れることになるとは思いませんでした。
切実に、事前の情報が欲しかった。
「きちんと礼服は着ているでしょう?」
しれっと、さも当然のように言ってくるのはクラリッサ様。赤紫のドレスが実に鮮やかだ。
宿の一室を少し借りて急遽着替えを行ったのは、今からほんの十数分前のこと。
白いシャツ、黒い上着とズボンと革靴、首元には細いリボンの黒い蝶ネクタイ、手には白い手袋。あえて一言で表すなら執事スタイル。
勿論安物なんかではないけれど、登城するのに不足が無いとはとても言えない。
「謁見の間ではなく応接間での非公式な謁見とのことですから、今の私達の格好でも無礼とはならないでしょう」
突き放すようなクラリッサ様の言葉と対照的に、フランの言葉は気遣いの心に溢れていた。
なお私達のと言った通り、フランも登城するにあたって着替えを済ませている。前にシャリエ家を訪れた際にも見た、濃紺のドレスワンピースだ。目の保養である。
ところで、服の色まで対照的だな。
「心配せずとも、今代の国王陛下は元より冒険者に礼節など求めませんわ。ですがそれを踏まえれば、かえって驚かれるかもしれませんわね」
おお、来ないと思っていたフォローの言葉がクラリッサ様からも。そしてナチュラルに今代のと、世代についての言及があった辺りで年齢を感じさせる。これが種族の寿命差か。
馬車で城の敷地内に乗り入れて、騎士か何かと思しき鎧姿の若い男性二名から城内へ連れられやってきました応接間。正確にはその目前。
これは余談だが、ここに到着するまでに通った廊下自体も絵画などの美術品が並べられていて豪華だったけれど、廊下の窓から見える夜景が中々だった。流石に空から見たそれには少し劣ると思うけど。
「うむ、来たか」
開かれた扉の奥から、歳を重ねた男性の声が聞こえてきた。
豊かな口髭を蓄えた、六十代程に見える人だった。彩度を抑えた金髪はライオンの鬣のようで、アッシュグレーの双眸はこちらを見定めんとするかのように鋭い。がっしりとした体格は、夕日のように鮮やかな赤のローブで覆われている。
豪奢で座り心地が良さそうな椅子に座り、実にどっしりと構えていた。
「ご無沙汰しておりますわ、国王陛下」
俺達の先頭にいるクラリッサ様が、膝を曲げスカートの裾を摘んでカーテシーをする。
俺とフランはそれより早く跪き、頭を垂れていた。
「久しいな、クラリッサ嬢。以前に会ったのは確か、双頭竜討伐の折か」
何となく親しげなやりとりに聞こえる。顔を伏せているので両者の表情は分からないけれど。
「さて。その方ら、面を上げよ」
これ一度で上げて良いの? そんな疑問は、隣のフランが顔を上げたので解消された。
改めて室内を見ると、国王陛下だと判明した男性の他にももう一人、男性が居た。
歳は国王陛下と同じ程度に見える。髪色も同じく金だが、こちらの方が明るいか。具体的にはクラリッサ様と似た髪色だ。そして意志の強そうなワインレッドの双眸も、クラリッサ様と良く似ている。
まあ、本当は逆だろう。クラリッサ様が似ているんだ。イグナーツ・エクスナーと、エディターのマップに表示されている。
「マリアベル嬢……ではないな。妹君のフランセット嬢か」
「国王陛下に私の名を覚えて頂けているとは、身に余る光栄です」
再度頭を下げるフランを、よいよいと気さくな調子で制する国王陛下。今のところ圧迫感のようなものは感じない。感じなかったのだけども。
「してそちらの、闇夜の如き黒髪の者は……はて、余は知らぬな」
一体何を思ったのか、突然椅子から立ち上がって俺の目の前までやって来るではないか。顔こそ上げたものの膝をついたままの俺は、必然的に見上げる形となった。
国王陛下はその全身から強烈なプレッシャーを放ち、俺を真正面に見据えている。胸を張って大きく息を吸い、口を開く。
「余こそは、英雄ヴィルヘルム・リッヒレーベンが後裔、ヴェンデル・リッヒレーベンである! 闇夜の如き漆黒を纏う者よ、そなたの名を問おう!」
その中二病全開な呼び方を止めて貰って良いですかねぇ!?
いや本当に強烈なプレッシャーと声量だったんだけど、空気がビリビリと震えるほどだったんだけど、そっちに意識を持って行かれたよ!
「私はリク・スギサキと申します! この度は国王陛下の拝謁を賜り、恐悦至極にございます!」
何か俺まで大声で返してしまった。ノリと勢いって奴だね。
「うむ。余を相手に萎縮することもなく、実に心地良い有り様よな! リク・スギサキ、余はそなたの名をしかと覚えたぞ!」
がっはっは、と豪快に笑ってから、国王陛下は元の椅子に座りなおした。
「長旅ご苦労。明日からは何かと忙しくなろうが、今宵は客人として存分にもてなしを受けるが良い」
すると何処からやって来たのか、足音も無く現れた侍女軍団により、瞬く間に食べ物と飲み物の用意がなされていく。漂ってくる匂いからして、アルコールの類が多く取り揃えられているようだ。
あれ、仕事の話をするってクラリッサ様からは聞いてたんだけど。
そう思って視線をクラリッサ様に向けると、少しだけ眉間に皺を寄せていた。念のためフランに視線を向けると苦笑を返され、一縷の望みをエクスナー侯爵に託すも溜息を吐くだけだった。
え、国王陛下と初対面で一緒に酒飲むの?
闇夜の如き漆黒を纏う者()