第八五話 警戒とポーカーフェイス
美味しい紅茶を飲みたい。
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私──フランセット・シャリエは現在、リクと共にエクスナー邸にて紅紫のエクスナーことクラリッサさん……もといクラリッサ・エクスナー様とのお話し合いをしています。
話は遠隔起動式の罠を運用するという方向で進んでいき、迎撃作戦というよりは殲滅作戦の色合いが濃くなっていきました。
先方が頭を抱え始めた様子ですが、それも無理からぬことでしょうか。論より証拠と言わんばかりにリクがエディターのディスプレイを公開し、今現在の屋敷内の様子やこの街の様子などを確認したのですから。
リクは、力を振るうと決めた場合には全く躊躇わない人ですから、社交パーティーの警護までにはいずれにせよ公開していた情報なのでしょう。ただ、私がそうであるように、他者にもエディターを使用可能にできることは伏せておいた方が良さそうですね。
一時間程で大まかなお話を終えて、後は現地に到着してから確認すべきことを残すところまで来ました。
勿論、会場は既に決まっているそうですが、リクが行ったことのない場所でここから距離もあるため、エディターでのマップ表示もできません。もしそれが可能だったなら、もう少し深いところまでお話を進められたのですが。
今回は魔物討伐ではない案件ですから、今までとは随分毛色の異なる用意が必要です。移動日数と現地での用意を考えると明日か、遅くとも明後日にはこの街を出たいところですね。そういう訳で、今日のところはお暇することになったのですが。
「フランセットには少しだけお話がありますわ」
私だけ、呼び止められてしまいました。
数分で済むとのことで、リクは外で待ってくれるそうです。去り際にやや心配そうな視線を向けられたので、大丈夫という意図を込めて笑みを返しておきました。
私とクラリッサ・エクスナー様だけが残された室内、何処か張り詰めた空気が漂います。
「それで、お話というのはどのような内容なのでしょうか?」
私はそう問い掛けましたが、すぐには返事が来ません。ワインレッドの双眸が静かに、けれど重い視線を向けてきます。
「率直な意見を聞きたいのだけれど。貴女から見た彼──リク・スギサキは果たして、どのような人物かしら?」
リクの前では比較的友好的な態度を取っていましたが、やはり警戒していたのでしょうか。とはいえ私の態度はリクに対して明らかに友好的だったと思うのですが、その私からの意見を聞いたところで警戒が解けるとも思えません。
「それは、戦力としてでしょうか? それとも、人柄についてでしょうか?」
あるいは両方、ということも有り得るとは思っています。
「戦力についてはこれまでの実績と、先程判明した驚異の索敵能力でひとまず十分ですわ。人柄について教えて頂ける?」
重圧のある視線はそのまま、話を促されました。
しかし、リクの人柄ですか。果たしてどう答えたものでしょう。少なくとも私個人にとっては既に、心からの信頼を寄せられる人物です。ですがリクにとっての敵対者からすれば、とても冷酷な人物に思えるのではないでしょうか。
……そうですね、ここは例え話を用いましょう。
「例えるなら、鏡でしょうか」
「鏡……?」
そう、鏡です。きっとこの例えが適切だと思います。
「はい。相手が善意を向ければ善意を返し、悪意を向ければ悪意を返す。それから……限度はあるかと思いますが、例えそれがリクの嫌いな相手からであっても、真摯な頼みであればそれに応じることのできる人です」
人嫌いを自称するリクの、とても律儀な部分です。意識してか無意識のものかは分かりませんが、彼なりのルールのようなものなのでしょう。
「リクの人柄は、私が保証します。ギルド職員としても、冒険者としても、ただのフランセットとしても、彼は真の信頼に値する人物です」
私はこう言って、お話を締めました。
「ふふ。そう念押しせずとも大丈夫ですわ。シャリエ家の検知スキルを特に強く発現したフランセットからの、これほどの高評価ですもの」
私の目に映ったのは間違いなく笑顔でしたが、さほど感情が込められていなかったように思えたのは心配のし過ぎでしょうか。
エクスナー邸の門を出ると、そこには侍女であるハイランズさんと談笑するリクが居ました。先の紅茶の話ですっかり仲が良くなったようで……何よりです。
「あ、フラン。話は終わった?」
何となくもやもやした感情を抱いてしまいましたが、私の姿に素早く気付きこちらに向かってくるリクを見ると、それがあっさり霧散したことに気付きます。
……やはりこの感情は、そういうものなのでしょうか。未だに確証までは持てずにいるのです。
「フラン?」
余計なことを考えていると、返事をするのが遅れてしまいました。怪訝な顔をしたリクが私の顔を覗き込んできます。
「すみません、少し考え事をしていたもので。ええ、お話は終わりました」
気掛かりなこともあるのでリクにお話があるのですが、ハイランズさんがいらっしゃるこの場では不都合があります。移動したいところですね。
「そっか。じゃあ、色々準備するものもあるし、そっちも手早く済ませよう」
まるで私の意図を汲んだかのように、リクはそう言ってハイランズさんの方に向き直りました。
「暇潰しに付き合って頂いてありがとうございました。頂いた紅茶も大変美味しかったです。それでは、失礼しますね」
「恐縮です。本当に美味しそうに飲んで頂けるので、こちらとしても嬉しくなりました。是非またお越しください。良い茶葉を仕入れておきますので」
ハイランズさんの紅茶は本当に美味でしたから、心惹かれるお話です。次回リクがエクスナー邸を訪れるときも、私は同行できるでしょうか。
エクスナー邸を後にした私とリクは、先ほどまでの笑みを浮かべた穏やかな空気から一変、真剣な表情を浮かべます。
「ハイランズさんはともかく、エクスナー様からの警戒が中々だった。ちょっと身に覚えが無いレベルで」
「……やはり、私の気のせいではなかったのですね。実は先ほど、リクについての人物評を求められていたのですが、それに対する反応が芳しくありませんでした」
曰く、リクは自身にのみ見える設定で常にエディターのマップを一つ表示していたそうです。エクスナー様への説明中に表示していたマップとは別に。
説明に使用したマップは警戒・敵対の判定を切って表示していたそうで、特に見られても問題は無いものだったようですが……。
「エクスナー様の判定は、基本的には常に警戒状態。たまに敵対状態まで悪化してたよ」
「敵対、状態ですか……」
尋常なことではありません。いえその前に、そんな状況でリクは普段通りの表情を浮かべて、普通に会話をしていたのですか。
「俺の人生でも一、二を争う全力のポーカーフェイスを頑張った。記録だけ取って後からの見直しにしておけば良かったと途中で後悔するくらいには、表示される情報を見て焦ってたんだ。警戒そのものは最初からだったから、下手にこちらから距離を置こうとする方が逆に怖いかな」
平和に生きたい、と小さな声で愚痴が聞こえてきました。
「俺自身に探られて痛い腹は無いつもりだけど、交友関係で一人アウトっぽいのが居るからな。……一応、アーデには釘でも刺しておこうか」
白の神授兵装シュトラールを見て、過剰な反応を示したアーデさん。リクからも少しぼかし気味に、神授兵装関連でアーデさんがトラブルを抱えていることを聞いています。
「リクの面倒見の良さは相変わらずですね」
「厄介事に巻き込まれたくないだけだよ。面倒見が良いっていうのはフランみたいな人を言うんだ」
謙遜のつもりではなく本心から語っている様子のリクですが、その私がリクにどれほど助けて貰っているのか分かっていないのでしょうか。
……分かっていない気がしますね。当人としては恩返しのつもりのようでしたし。
無自覚な世話焼き主人公。