第八四話 狡猾と迂闊
音は似てます。
「ようこそ我が家へ、リク・スギサキ、そしてフランセット。歓迎致しますわ」
スカートの裾をちょこんと摘み、優雅に一礼。実に様になっている。
そう、優雅。けれどそれ以上に苛烈な炎が、その目の奥で煌々と燃え盛っているのが分かる。
俺とフランは立ち上がり、お辞儀を返した。
役者が揃い、それぞれ席についたところで。
「早速ではあるけれど、本題に入りましょう」
微笑みつつも鋭い視線で俺を見るエクスナー様が、口を動かす。
「七日後、ワタクシも出席する予定の社交パーティーが開かれます。それに同席して頂けるかしら」
曰く、貴族や富豪が多く参加するパーティーであり、主催者はエクスナー家現当主のイグナーツ・エクスナー様。開催場所はこの国リッヒレーベン王国の首都ゲゼルシャフト。
出席者の一人にコルネール・ベットリヒ少将という方が居て、所属は王国ではなく、その北西にあるヴァナルガンド帝国。六千人規模の一個旅団を率いているそうな。つまり旅団長という訳だ。
ここで補足説明をしておくと、王国と帝国は長く和平の道を模索しているらしい。つまり、基本的には仲が悪い。
国のトップ同士では、隣国との関係悪化が洒落にならないレベルの面倒事だという認識で、そうでもないようなんだけど。ついでに武力衝突も数十年は起きておらず、その数十年前の衝突も小競り合い程度の小規模なものだったようで、民同士の意識も特に険悪ではないそうな。
まあそうだよな。「先月ヴァナルガンドに行ってきたんだけどさー」なんて言葉が、冒険者の口から出てきたりしたのを聞いたことがあるし。通行の規制も無いか、あっても緩いんだろう。
問題は、帝国のそれなりの地位に居る権力者達の一部。いわゆる過激派という奴だ。
そして、今回パーティーに出席するその旅団長が、過激派に現在狙われているらしい。件の旅団長は軍人ではあれど穏健派のようで、彼が王国に招待されたタイミングで過激派の工作員が暗殺し、その責任を王国側に被せるつもりとのこと。
……いやいや待って。国家機密じゃないのかな、その情報。
「あら、ワタクシとしたことが。ついうっかり、参加のお返事を聞く前に部外秘の情報を話してしまいましたわ」
白々しく、大胆不敵に言ってみせたクラリッサ・エクスナー様のお顔は、大層愉快そうだ。
隣にいるフランは苦々しい顔で、じっと前を見ている。
「とはいえ、参加さえして頂ければ何の問題にもなりませんわね」
是が非でも俺を巻き込みたい、という意図はいきなり強烈に伝わってきた。では、それは何故?
思い当たることは無くもないが、推測の域を出ない。ここは様子見をしつつ、エディターによる情報収集を開始しよう。
「指名依頼には、参加を強制する権限など付随してはいません。そしてこれは明確なそちらのミスです。こちらがその責任を負わなければならないものではありません」
フランが苦々しい顔のまま、正論を述べる。けれどこれはきっと、踏み潰されるんだろう。
「紅紫の色持ちであるワタクシが屋敷に招待し、内容をある程度詳細に話した上で、依頼を断った。そのような事実が存在すれば、世間には迅速に広まることでしょう。いえ無論、フランセットが言うことは正しいですわ。それを否定はしませんとも」
踏み潰すっていうか、磨り潰すって感じだな。よりエグい。
貴族としての権力と、最高位のギルド員である武力。俺が対抗するにはあまりに強大か。民衆は長いものに巻かれようとするだろうし。
ぽっと出の俺の主張より、色持ちの英雄の主張の方がさぞ良く響き渡ることだろう。
さて、さらっとエディターで調べてみたところ、つい最近の出来事として彼女にはギルドマスターとの一対一の接触があったようだ。それを除けば五年前、更に前は八年前と。頻度の低さを考えて、今回俺が呼ばれた件と無関係であるのかどうか。
五つ星程度の実力しか持たない俺が七つ星冒険者に目を付けられる理由なんて、そう多くは思いつかないし。エディター絡みの可能性が一番濃厚だもんな。
ここはやはり、ギルドマスター経由でエディターの情報を得ている可能性を考えて行動しよう。あのギルドマスターならやりかねない。むしろ、やってない可能性が信じられない。
だから俺は一気に切り込む。
「迂遠な問答は不得手ですので、単刀直入にお伺いします。エクスナー様はどの程度、ギルドマスターから私の情報を得ていらっしゃるのでしょうか?」
確たる証拠は無いけれど、ここは攻め時だろう。
さて、反応は如何に。
「ギルドマスターはとてもお忙しい方ですわ。ワタクシも暇を持て余している身ではないし、普段から会話する仲でも無いのだけれど。どうしてここでギルドマスターの話が出てくるのかしら」
とぼけてくる、と。表情に焦りも見られない。この程度は想定の範囲内だったか。
「いえ、ギルドマスターからは個人的に、随分と気に掛けて頂いているものですから。エクスナー様からの指名依頼というのも、もしや私を推薦して頂けたのではないかと思いまして」
まさか前に一度、ギルドで少し会話した関係性のみで俺に依頼をしている訳は無いだろう。噂話に事欠かない自覚はあるものの、それも決定打とするには弱いはず。
「案外と自信家なのかしら。ギルドマスターから推薦される程の実力を、貴方は保有していると?」
推薦される程のことでもなければ、この状況は到底起こりえないと思うがね。少なくとも、それに類することはあったと見るべきだ。
「一つ星から五つ星への例外的な昇級を、軽く受け止めては無礼というものです。高く評価して頂いているという部分については、むしろ積極的に認めなければならない。このように愚考致しました」
ゆっくりと目を細めて、品定めするように俺を見てくるエクスナー様。愉しんでいるようにも見えるのは、俺が捻くれているからか。
「とはいえ、ギルドマスターからの推薦でないのなら、顔に泥を塗ってしまうということも無い訳です。それならば甘んじて臆病者の謗りを受けましょう。過分な評価を頂いているようで恐縮ですが、今回の件、私では力不足に思えてなりませんので」
さてどう出る。男が皆、地位や名声に拘ると思って貰っては──大変御し易いので有り難いぞ。
正直俺の場合、将来的に喫茶店を経営する時に困らない程度の評判があればそれで必要十分だ。
「いいえ、貴方が言った通りギルドマスターからの推薦ですわ。そうであるならば依頼を断らない、と。先の言葉はそのように解釈して構わない類のものですわね?」
おや、予想よりは簡単に暴露されたな。表情も変わらず。ただ、この人は表情から読めることが少ないように思う。
それに対し、隣のフランが少なからず焦った表情になっている。ギルドマスターの口の軽さを確認できただけ収穫があったから、そんな顔をしなくて良いのに。今回の依頼を受けることだって、乗り気ではないけど是が非でも回避しようと思っていた訳でも無いし。回避の難易度がとても高そうで、その労力に見合わない気がしたのは事実だけど。
「ワタクシがギルドマスターとつい最近に言葉を交わしたと確信していた物言いも、そう。貴方が所有する黒い剣の索敵能力を使用したのだと分かりました。ここまで見せて頂ければ、こちらも満足ですわ」
思惑通りエディターの使用に勘付かれていたようで何より。存外素直な方で助かった。
これなら、今後も多少の積極性をもって交流してみて良いかな。
「エクスナー様を試す言動、大変失礼致しました。この無礼は本件での働きによって雪がせて頂きたく思います」
あっさり手のひら返しをしてみせた俺に、エクスナー様は何とも言えない表情になる。演技かと一瞬思ったけれど、フランがそれを見て少し驚いているのできっと本当の表情だろう。
「……先に試したのがこちらとはいえ、こうもあっさりと振る舞いを変えられるのは、あまり気分の良いものではありませんわね」
「重ねて、失礼致しました。ですが私は、ここまで虚偽は一切述べておりません。少なくとも本日この場においては確実に」
さて、俺に向けられているのが剣呑な表情になってしまった。下手なことを言えば押し潰されてしまいそうな圧をひしひしと感じる。
俺が続ける言葉はもう決まってるけどね。
「ギルドマスターには私の持つ黒い剣の索敵能力をお伝えしましたが、あれは本来伏せている情報です。特別な事情がない限り、周囲に情報を開示しません。能力そのものの情報も、能力で得たそれも。……今回、その索敵能力を理由に私を指名なされたエクスナー様にならば、これでご理解頂けるかと」
ワインレッドの双眸が俺に対し、眼光を鋭く光らせる。
ドMだったら喜びそうなシチュエーションだけど、俺は嬉しくないな。
「貴方の索敵能力を既に知っている者の前では躊躇無く使い、そうでない者の前では状況を見て判断──いいえ、基本的には使わない。今回の場合、ワタクシが情報を持っているという確信を得る前までは後者に該当していた。故に力不足であると。つまりは、そういうことですわね?」
こちらの意図をしっかり汲み取ってくれる人は好きだ。会話が出来るって素晴らしい。
「流石のご慧眼です」
思わず素の笑顔で褒めてしまった。
「ああも語られた上で答えに辿り着けない者は、愚者と呼ばれますわ」
けれどその褒め言葉は、実に素っ気無く返されてしまった。
「そして貴方は、決して愚者ではないけれど、それなりに傲慢ではあるのかしら」
おおう、今日一番の鋭い眼光が俺に突き刺さってくる。気弱な人間なら泡噴いて倒れるかもしれない。威圧スキルを使用したギルドマスターの殺人的な視線よりは、マシだけど。
「己が力を振るう、振るわぬ。それを決めるのは、あくまで己であると。そのように解釈したのだけれど、相違ありませんわね?」
「はい。おいそれと他者に委ねられる力ではありませんので。もし委ねるとするならば、力を行使した結果の責任を負う覚悟をしてから、となります」
これは俺の偽らざる本心。意図して誤解を生むような、事実の一部を抜粋して伝えている訳ではなく。
「力に付随する、権利と義務。それを貴方は理解しているようですわね。先程貴方を傲慢と言ったことは撤回致しましょう」
じっと俺を見ていた両の目から、途端に鋭さが抜けた。
「敵に情報を知られていると知っているか、その知られている事実すらも知らないか。その差は歴然ですわ」
「襲撃の情報くらいはこちらに流れている可能性が考えられるにしても、まさか当日の人員の詳細な配置までもをリアルタイムで把握されるとは思わないでしょう。遠隔操作可能な罠を多数仕掛け、任意のタイミングで使用するというのはとても有効であると考えますが如何でしょうか?」
全くその通りだよな、と思いながらノリノリで返事をしたら、黙られた。あれ?
「……遠隔操作の罠を、任意起動で有効活用できる程の精度でしたの?」
エクスナー様からはとても演技には思えない、何とも素敵な視線を向けられている。
あ、もっと低い精度だと思われてた? あー、やっちゃったか、俺。
「リク……」
隣に居るフランが残念そうな表情で俺の名を呼び、視線を向けてくる。
「今のは、迂闊です」
「ギルドマスターに伝えた情報は全部筒抜けになってるかと思って」
「全く信頼がありませんね」
「そうだね。そして、そんなことは無いと否定しなかったフランも、中々だよ」
「……そんなことはありません。恐らくは」
「フランのそういう素直なところ、俺は好きだよ」
まあ、仕方無いじゃないか。きっと仕事はできるんだろうけど、一人の人間としては全然信用できそうな気がしないんだから。
「こちらから呼んだ訳ではないフランセットが同行して来た時点で思ってはいたのだけれど……、随分仲がよろしいのね?」
興味深そうな視線を俺とフランに対し交互に向ける、エクスナー様。
「この世界に来てから、フランは一番近くに居る人ですから。それなりに仲も良くなります」
放置すると、変な話の流れになりそうだな。本題に入ってしまおう。
「さておき、先程の提案は検討に値するものでしょうか?」
罠に関する知識なんて持ってないから、俺は完全にフラン頼りなんだけど。
主人公のマイナス思考が炸裂しました。どうせ情報は筒抜けなんだろう、という!




