第七八話 魔法使いのエリック
彼は魔法使いです。
ちなみに今回は三人称視点です。
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鬱蒼と生い茂る草木が、湿気を含んだひんやり冷たい空気を作り出す。木々の間を細い川が蛇行し、そこに見えるのは小さな魚影。
何十年前に倒れたのか、朽ちて苔むした巨木があり、その影には二人の人間が息を潜め身を縮めていた。
「何とか、少しだけ休めるかな」
だぼついたローブを着て、先端が欠けている長杖を持った少年が呟いた。
「だな。それにしても腕を上げたよな、エリック。ほとんど乱戦状態だったってのに、魔法でトロールの目を狙うなんて」
呟きに応じたのは全身鎧──だったものの胴体部分を捨てて、ガントレットとレガースのみを装着した少年。
「ジャックこそ、突然胸当てを外してシールドバッシュみたいなことをしたのは驚いたよ。あれ、スギサキ君の真似だよね?」
二人の声色に暗いものは無かった。否、意図してそれを排除した声を出していた。
敵の機動力を奪うことに専念したり、先程の話のように目を狙って一時的にでも視界を奪ったり。そういった小細工を積み重ねて、辛うじて逃げおおせているのが現状なのだ。前衛であるジャックは言わずもがな、後衛にしては異常なほど前に出て近接戦闘まで行っているエリックもまた、怪我も体力の消耗も激しかった。
「使えるものは何でも使わねぇと、アンヌが助けを呼んでくれる前にくたばっちまうだろ。あと、鎧が重かった。オレ、アインバーグに帰ったら真っ先に鎧を新調する。防御力落としてでも今より軽いやつにする」
「そうだね。冒険者稼業って体力勝負な面が多いって分かってきたし、全身鎧ってほとんど見かけないし。実を言うと、いつ全身鎧を止めてくれるかアンヌと話し合ったこともあるんだよ」
自分の居ないところでパーティーメンバーが自分について話し合っていたという衝撃の事実を告げられ、ジャックの表情が固まった。
「ロロさんを紹介して貰う直前なんか、パーティーを解散することも視野に入れて話し合ったし」
「おい待て何だそりゃおい。今まさに生きるか死ぬかってときに、どうしてそんな精神ダメージでかいこと言うんだよ。何で追い討ちかけてくるんだよ」
軽い雑談のようなノリで連続の大暴露をしたエリックに対し、声のボリュームを抑えつつも興奮した様子のジャックが詰め寄る。
「でも、今の僕たちは良いパーティーになってきてる」
エリックの返答は、不敵な笑みと共に。
「こんなつまらないところじゃ終わらない。終われない。もっと先に行くんだ」
普段の大人しそうな見た目や仕草に隠れがちだが、ジャック達三人のパーティーの中で最も芯が強いのは、魔法使いであるエリックだ。大きく見開いた双眸の奥では、意志の光が爛々と輝いている。
「エリック、お前……」
ジャックが何かを言いかけたとき、それはやって来た。
「ガアアアア!」
ジャックの頭上から影が落ち、風が唸りを上げる。丸太のように太い腕が、丸太のような棍棒を振り下ろしてきていた。
『モノ・フレイム!』
真っ直ぐ振り下ろされていればそのままジャックの脳天をかち割っていたであろうそれは、拳大に圧縮された火の玉によって軌道を逸らされ不発に終わる。
「くっそ、もう見付かったのかよ!」
自身のすぐ隣の地面が爆発したように土砂を撒き散らす中、ジャックは悪態を吐いて距離を取る。
すぐに剣を構えたが、それは僅かに曲がっていた。ここに来るまでにトロールの棍棒を防いだ為だった。
「残りMPも少ないのに……!」
エリックの咄嗟の判断はジャックの命を救ったが、自身の命綱であるMP残量を削ったのも事実だった。高価だが断腸の思いで購入を決意した三本の魔力ポーションは、既に残り一本になっている。
「悪い、エリック。お前に魔法を使わせた分は、オレが働く!」
勇敢にも格上であるトロールに切り込んでいくジャック。以前ならばただの無謀と思っただろうが、エリックは彼を信じた。
「図体のでかさに、利点しかないと思ってねぇよなぁ!」
全身鎧を着込んでいたときには選べなかった戦術。即ち、機動力を活かした近接戦闘。ジャックも剣を使っているために多少の間隔はあるが、それは相手の得物である巨大な棍棒が十全に威力を発揮できない距離だ。
脅威度としては、トロールはオークと同程度。故に初級冒険者であるジャックにとって完全な格上で、しかしオークよりも戦いようはあった。それは、速度が原因だ。STRに偏重したステータスは、AGIを下級の魔物とも大差の無い程度にまで落としている。
リーチの差を逆手に取り、中級の魔物としては敏捷性に欠けることを踏まえて、ジャックは己に最も勝機がある手段を選んだ。
「でも、長引かせる訳にはいかないか」
トロールの攻撃をかわし、更に反撃まで行うジャックを見ながら。それでもエリックは冷静に現状を見ていた。
トロールの群れと敵対状態になっているのだから、他の個体が戦闘音を聞きつけてこちらに向かってくるのも時間の問題だ。当初の標的であったゴブリンの群れ討伐もまだ中程までしか完了していないし、そちらの警戒も怠れない。
パーティーメンバーの中で最もAGIが高いアンヌに救援要請を託したが、往復の移動時間を考えれば今日中に助けが来るとは思えなかった。それでも、アンヌを逃がすことができたのは、精神的に楽になっていた。
「……でもアンヌって、ドライな風でいて実は寂しがり屋だからね。僕らも生き残らないと」
戦闘音に紛れて聞こえない程度の音量で、微かに笑みすら浮かべたエリックは言った。空いている左手で魔力ポーションを取り出し、それを一気に飲み干す。空になった瓶を静かに仕舞い、己の意識を全て魔法構築に向ける。
エリックは魔法使いだ。にもかかわらず最近は近接戦闘能力を伸ばしていたので、純粋に魔法の訓練といえるものはあまり行っていない。それでも、彼の魔法の腕は上がっている。
何故か。その答えは単純だ。
『ライズⅠ』
近接戦闘中に魔法を行使できるほど、集中力が増したからだ。
その難易度は、三つ星の魔法剣士がぎりぎり習得しているかどうかといったところ。現にかの元ストーカーは、自身の足を止めてから魔法を行使していた。元ストーカーは確かに優秀でこそなかったが、特段劣っている訳でもなかったのだ。某黒い両手剣の使い手は、その辺りを少々勘違いしていたが。
火属性補助魔法の身体強化を自身に施したエリックが、トロールに向けて駆け出す。それに対し、ジャックの相手で意識を持っていかれているトロールは気付かない。
『モノ・フレイム』
エリックが持つ長杖の先端に、赤い火が灯る。普段よりも随分長めに握られた長杖はフルスイングされ、トロールの脛に直撃し爆発を引き起こした。
「グガアアアアアア!?」
「うおお……!?」
攻撃を受けたトロールは唐突に訪れた激痛に苦悶の叫びを上げ、予想外の援護を受けたジャックは驚きの声を上げた。
「驚いてないで、離脱するよジャック! 少なくともその個体はもう、僕らを追って来られない!」
エリックが語るように、該当個体は二人が逃げてもそれを追える状態にはなかった。爆破の直撃を受けた脛は派手に肉を弾けさせ、骨が露出している。歩行すら困難だろう。
身体強化による物理攻撃力に加え、火力を凝縮させた魔法をぶつけたのだ。初級冒険者としては破格の実力を持ち始めているエリックならば、そして正しく機能する前衛さえいれば、このくらいのことはできるようになっていた。
「エリックお前、本当に腕上げ過ぎだろ!」
これは自分もうかうかしていられない。そんな感想を抱きながら、ジャックはエリックの指示通り何度目かの離脱を開始した。
前衛の役割を一部食ってますが、後衛である魔法使いです。