第七五話 シャリエ家の犬
もっふもふです。
マリアベルさんは淡い紫のストライプが入った七分丈の襟付きシャツと、彩度を落とし主張が控えめな緑色のフレアスカートを着ている。そこまでは現代日本においても違和感が無さそうな格好だが、背中まで伸びる美しい髪やら、手に持つ大仰な杖やら、注目されるポイントが複数ある。
「それじゃあひとまず、リク君は私が借りていくわね。この頑固者はもう少し懲らしめて頭を冷やさないと、謝罪の言葉一つ出せないみたいだし。味方が一人も居ない状況でしっかりお説教を受けて貰わないと」
頭部を強打され復活できないでいるギルベルトさんから、特に反論の言葉は出てこない。微かに呻き声が漏れてくるだけだ。
それはさておき、俺の口からも反論は出せなかった。口を開くより先に、俺はマリアベルさんに腕を取られて立ち上がり、部屋の外へと引っ張られていたからだ。
不安そうにこちらを見てくるフランに対し、残っている方の手をひらひらと振り、大丈夫であることをアピールしておく。
連れられた部屋は、リビングだろうか。部屋の中央に大きな円形の赤い絨毯が敷かれ、その上に茶色いテーブルが乗せられている。L字の接点を削ったような配置で二つのソファーが置かれ、その内の一つにもふもふとした何かが乗っていた。
他にもアンティーク調の家具などがあったが、それよりあのもふもふが気になる。
「さてと。随分大人しく従ってくれたわね。フランからは、理不尽に対する抵抗が凄いって聞いてたんだけど」
もふもふに視線が吸い寄せられている俺の顔を、瑠璃色の目が覗き込んでくる。マリアベルさんも女性の平均身長よりは少し高いようだが、俺よりはまだ低い。必然、やや上目遣いになっている。
「収拾がつかなくなりそうな状況を纏めてくれた方に、理不尽だなんて失礼な思いは抱きませんよ。実際、とても助かりました。ありがとうございます」
マリアベルさんと目を合わせ、本心から礼を言う。
「あら、嫌味の一つくらいは想定も覚悟もしていたのに。流れる噂とは違って平穏を望む性格っていうのも、フランが言った通りなのね。でも、それに甘えたままというのも話が違うかしら。──父が大変な失礼を致しました。その娘として、深くお詫び申し上げます」
途中から声色に真剣みを増して、深々と頭を下げられてしまった。
「謝らないでください。勘違いされることも想定していたのに、上手く話ができなかったのは私なんですから」
たった一つの冴えたやり方、なんて言うつもりはないけど、もっと上手い方法はあったはずなんだ。
そもそもの話として、どう考えてもマリアベルさんに落ち度は無い。そんな人に謝罪させるなど、筋が通らない。
「……なるほど、フランが気に入る訳ね」
顔を上げたマリアベルさんが、しげしげと俺の顔を見ながらそんなことを言う。
「そうだ、確かうちの犬を触りに来たんだったわね。見てたから気付いてると思うけど、ソファーの上に居るのがそうよ。構って欲しそうに尻尾を揺らしてるから、相手をしてあげてくれる?」
そして、にこりと笑ってそう促してきた。
ここは流されてしまおう。
はい、と短く返事をしてから。俺はもふもふの前にやって来た。顔を上げた犬と目が合う。
犬の見た目は、ゴールデン・レトリーバーとチベタン・マスティフを足して二で割った感じ。首周りがライオンの鬣のように盛り上がり、けれど優しそうな顔をしているので迫力はやや落ちる。しかし、でかい。まあ、でかい。恐らく体重は一〇〇キログラムを下らないだろう。犬型の魔物です、と言われても疑うのが難しそうだ。
「名前はリーオ。家族以外に懐くことは少ないけれど、無闇に攻撃もしない大人しい子よ」
リーオというらしいこの犬は今、俺の匂いを嗅いでいるようだ。時々首を傾げているのは何故だろうか。
「おっと……?」
突然前足を立ててお座りの体勢になり、ソファーに少しスペースを開けてから、俺の袖を咥えて引いてきた。
マリアベルさんに続き、犬のリーオにまで流された結果、ソファーに座る俺。ちょっと流されすぎじゃないか。
そんなことを考えていると、膝の上に重みが来た。リーオの前足と顎が乗せられている。良く見るとリーオは俺の方をじっと見ていて、モップのような尻尾をぱたぱたと振っている。
これは撫でろという要求か。ならば応えてやろうじゃないか。
全く遠慮せず、わしわしと毛並みを乱すように撫でる。初対面で撫でることを要求してくる図々しい犬に、何故こちらが遠慮する必要があるのか。毛がもっふもふで最高です。
「……驚いた。リーオにあっさり懐かれちゃったわね」
自身もしゃがみこんでリーオを撫で始めたマリアベルさんが、声色に驚きを乗せて呟いた。
なお、リーオは更に図々しくなり俺の腹に自身の頭を擦り付けている。お返しに首周りをわしゃわしゃしてやる。
「今の様子を見ているとひたすら人懐っこい感じなんですが、他の人相手だとどんな感じなんでしょうか?」
リーオの両頬を手で挟み、ぐりぐりする。あぐあぐと、甘噛みで返された。
「最初に匂いを嗅ぐのは誰に対しても同じだけど、その後自分から近付いたりは滅多にしないわ。撫でられれば撫でさせたままにする、という程度かしら。家族じゃなくてもリーオが自分から近付いていくのは、エル以外に居なかったもの」
ほう、では俺の何が気に入ったのだろうか。これがさっぱり分からない。
「エルさんが動物に好かれるのは、少し分かる気がしますね。何と言うかこう、人の良さが滲み出ているとでも言いますか」
「人類史上最高レベル到達者に対して、人の良さが滲み出てるって……、ふふ、貴方凄いわね」
何やら俺の言葉がお気に召したらしい。マリアベルさんは肩を揺らして笑っている。
「戦場ですら穏やかな笑みを浮かべて、汗一つ流さず強大な敵を切り裂いていく、世界最強の魔法剣士。それが世間の抱く、白のラインハルトに対するイメージよ。実際に面と向かって会った人だって、その印象を変えることは少ないのに。中級の魔物相手とはいえ共闘までした上でその感想を持てるというのは、中々の驚きだわ」
驚かれたらしい。まだ笑っている。
「でも、マリアベルさんはそのエルさんを尻に敷いているんでしょう? エルさん、俺に図星を突かれたって顔をしてましたし」
「外ではちゃんとエルの顔を立ててるんだから、それ、他所で言っちゃ駄目よ?」
俺を真っ直ぐに見るマリアベルさんは笑顔を浮かべてるんだけど、何故か背筋が寒くなってきた。俺は静かに首を縦に振った。
七つ星冒険者怖い。
「だけどそう、貴方は人を良く見ているのね。ええ、私もエルからは人の良さが滲み出ていると思うわ。実際に彼、お人好しだもの」
先程一瞬だけ見せた恐ろしさは鳴りを潜め、マリアベルさんは晴れやかな笑顔でそう言った。
「そろそろ向こうに戻っても良い頃合かしら。あの頑固者も、謝罪の言葉の一つくらいは言えるようになってるでしょう」
父親に対して凄く辛辣な人だな。エルさんのときに何かあったんだろうか。むしろ何も無かったはずは無いか、あの様子だと。
擬音語多め。