第七一話 使い魔の確保
今回はフラン視点で。
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私──フランセット・シャリエの視界は今、動く木と動かない木と、動かなくなった木で埋められています。
「……MPの温存を考えなくて良い状況というのは、思った以上に人のたがを外してしまうものなのですね」
中級水魔法の四重起動による前方一八〇度への掃射を、一定時間以上継続。流石に、消費量が無視できません。リクが居る状況に慣れ過ぎていました。
不意に、足元に対し違和感を覚えます。地面が揺れていました。秒を跨ぐごとに、それは強まっていきます。
何とか踏ん張りを利かせ、接近してくるトレント達の迎撃を継続します。
一時の方向、木の実を銃弾のように乱射してくるトレントを、その攻撃ごと氷柱で貫きます。
十時の方向、根を器用に動かし向かってくるトレントを、氷の楔で地面に縫い止めます。
十二時の方向、トレント達が道を開けたその先にエルダートレントが居ます。
地面の揺れが一瞬だけ止みました。足に込めていた力を、意図せず抜いてしまいます。失態です。
──次の瞬間、これまでとは桁違いの大きさで揺れが発生し、私は立っていられなくなりました。
バランスを失った私の身体は後方に傾き、視界の端から鞭のようにしなる太く長い枝が二本、唸りを上げて迫ってきます。これはエルダートレントの枝でしょう。
四重起動の内の二番から四番はトレントの迎撃に使用中。一番は攻撃待機状態。
これならば、やりようはあります。
「……ッ!」
敵を貫く為に尖らせた氷柱の先端部分ではなく、丸みを帯びた後部の側面。そこを用い、私自身を掬い上げました。
緊急時のため力の加減はあまりできず、ほぼ自爆と言って良い状況で無理矢理に危機を脱します。打ち付けた脇腹が大変に痛いですが、エルダートレントからの直撃を受けるよりはずっと良いでしょう。
空中に投げ出された私の身体は、このままならばあと数秒で地面に叩き付けられます。受身に自信が無いので、更に痛みを覚悟した方が良さそうです。
……ただ、今の私の耳には、ここ最近ですっかり聞き慣れた風の音が届いていました。
「空を飛ぶなら、水魔法で物理的に打ち上げるより風魔法の使用をお勧めするよ」
冷たい地面ではなく、温かい腕が私の身体を受け止めてくれています。その正体は言うまでも無く。
「跳躍の補助としてならともかく、今のリクのように飛行ができるほど上手くは風魔法を扱えません」
文字通り飛んでやって来てくれた、リク・スギサキその人です。リクは私をお姫様抱っこして、空を飛んでいます。
「それから、助かりました。少しペース配分を誤ってしまったので、リクが来てくれなければどうなっていたことか」
私がそう言うと、リクは何故だか胡乱な目でこちらを見てきました。
「ほんのり楽しそうに言ってるのは何故かな」
何故、という言葉は私の方にこそ向けられて然るべきだったようです。
それにしても、楽しそうでしたか。なるほど、自覚すると先程の私の行動にも納得ができるというものです。
「いえ……私自身が思っていた以上に、リクへ自己の安全を任せていたのだと。そしてそれは間違っていなかったのだと気付いただけです」
油断していたと言われればそれを否定できるだけのものはありませんが、油断していても問題は無いと安心していた、というのがより正確な表現なのでしょう。
「いや確かに守るけど。守るんだけどさ……」
何か言いたいことがありそうな様子のリクですが、私からは視線を逸らしてしまいました。
「これからもよろしくお願いしますね、リク」
「フランってさ、意外と甘え上手?」
リクの視線は私に向いていません。声もいつもの落ち着いた調子です。しかし、その顔は少しだけ赤くなっているようにも見えました。
「リクに対しては、そうなのかも知れません」
家族以外の男性に対し、こうも明確に頼るということは今までありませんでしたから。何より周囲からの私の評価は、甘え下手です。
「他の男にも同じことを言ってるんだろ、って言いたいところだけど絶対無いって分かるのがくそう! ともあれエルダートレントを仕留める!」
自棄を起こしたような声を出し、それにしては丁寧に着地して私を地面に下した後。リクは私に背を向けエディターを構えました。
その後姿に、私は明確な安心感を覚えます。
「HPからMPに値を移しておいた。回復魔法でHPを回復してから、援護を頼む」
手短に必要事項を伝えたリクはそのまま疾走を開始し、最接近していた一体のトレントを一撃で薙ぎ倒しました。立て続けに、私に向かって移動しているトレント達をやはり一撃で薙ぎ倒していきます。
木々の間を縫って駆け抜けるその様は、【黒疾風】の二つ名に相応しく迅速なものです。
私はリクに言われた通り、MPへの譲渡で減少していたHPを回復しましたが、その際にINT極振りのステータス編集がなされて一気に安全圏まで到達しました。完全回復とまではいきませんでしたが、十分です。リクへの援護を開始しましょう。
『トリ・アクア』
杖を天に向けて掲げ、空中にて上級水魔法を発動させます。形状は氷柱。数は四百。
発動時には再びINTへ極振りされ、発動後の今はDEXへ極振りされています。
「自分自身も戦いながら、私へのサポートもこなしますか」
単独での戦闘能力も【鋼刃】の二つ名を持つドミニクさんと並ぶほどですが、もし集団戦闘において味方のステータスを必要に応じ編集した場合は……。
「リクが司令塔の役割を得たなら、恐ろしいことになりますね」
リクは冒険者ですから、そんな機会はそうそう訪れないとは思いますが。
益体も無くそんな思考を巡らせながら、氷柱の操作を開始します。
自分達を容易く屠り続けるリクに標的を定めたトレント達の頭上から、一体一体に狙いを定めて氷柱を落とします。
数を増やした氷柱の攻撃力は発動時に極振りされたINTのお陰で高水準を維持し、また今現在極振りされているDEXのお陰で自身の手足のように自在に操作できます。
仕留めるのはリクとエルダートレントとの間に存在するトレント、リクの進行の邪魔になりそうな個体です。
一体につき平均二本の氷柱を突き立て、更に氷柱の先端から冷気を放出します。トレントの内部で放たれた冷気は結晶化し、幾つもの棘を伸ばして幹の表面を突き破りました。
残されたのは、木と氷を無理矢理組み合わせたような歪なオブジェです。
私が作り上げた歪なオブジェのすぐ横を、黒い風が通り抜けます。その風はすぐにエルダートレントへと肉薄し、鞭のようにしなる無数の枝の尽くを回避して、太い幹に一筋の切り傷を付けました。
黒い刃が振るわれる度に、木屑が宙を舞います。あれよあれよと、幹の傷が増えていきます。
黒い風はエルダートレントに纏わり付くように離れず。その間も振るわれ続けている枝はついでのように断ち切られ、数を減らされていきます。
エルダートレントは当然のように地魔法も用いて大地を波打たせますが、その移動速度を足場に依存していない相手には無意味でしかありません。
接敵から、十秒にも満たないでしょう。中級最上位の一種であるエルダートレントは、一人の魔法剣士によって単なる朽木へと変わり果てました。
エルダートレントによる統率を失ったトレント達は、驚くほどあっさり引いていきました。自分達の上位種を討伐してしまう存在を相手に、戦闘継続を選択してしまうほど愚かではなかったようです。
森の中でリクに置いていかれて憤慨していたアーデさんと合流した私達は、近隣の村に滞在していた馬車と合流し、その翌朝にアインバーグへ向けて出発しました。
辺りがすっかり暗くなり、穏やかな月明かりが降り注ぐ中。城塞都市アインバーグの検問を抜けた先に私達は立っています。
「途中で少々のトラブルは発生しましたが、当初の目的を達成した上で帰ってこられましたね」
「ほとんど上級みたいな魔物の介入があったのに、少々っていう微妙な表現で片付けられてるの凄いなー」
アーデさんが疲れたような表情で、視線を彼方に向けつつ呟きました。
「俺とフランは上級冒険者だしな。アーデは違うけど」
「無駄に棘のある言い方!」
リクは相変わらず、アーデさんで遊んでいます。無表情です。
「だったら早いところ、中級冒険者くらいにはなっておいてくれよ。欲を言えば上級まで」
「上級冒険者ってそんな簡単になれる領域じゃないからね? なりたくもないのになっちゃったリッ君が異常なだけだからね? 中級冒険者には、ワタシも早くなろうと思ってるけど」
中級冒険者も、一般的には簡単になれるものではないのですが。とはいえ中級冒険者相当の実力を既に持っているアーデさんが、中級の魔物二頭を従えているのが今の状況です。きっと然程の時間は掛からないでしょう。
「ジェイドとスピネルが居るし、中級なら何とかなるよな」
「そうだね。心強い味方が居るからね!」
ジェイドと呼ばれたフォルストオイレはアーデさんの左肩にとまり、スピネルと呼ばれたシャッテンカッツェはアーデさんの右足付近に居ます。名付けたのはアーデさんではなく、リクでした。
「それにしても良かったな、お前達。フォッ君にカッちゃんなんて名前を付けられなくて」
リクは、アーデさんが付けようとしていたそれぞれの名前を言いながら、ジェイドの首元を撫で始めました。するとスピネルもリクの足をよじ登り、リクの手に頭をこすり付けて撫でることを要求し始めます。
「えー? それも良い名前だと思うんだけどなー」
「その名前をこいつらが全力で拒否してきたの、まだ覚えてるだろ」
エルダートレントを討伐し、近隣の村に到着したすぐ後の話です。
テイムした魔物を種族名で呼ぶのもおかしいとアーデさんが言い出し、即座に付けようとしたのが先程のフォッ君とカッちゃんという名前でした。種族名から文字を取って考えたことが明らかな、あまりにも直球過ぎるネーミングでした。
エミュレーターの影響か、知性が通常の魔物より上昇し人語を理解している彼らは、即座に首を横に振っていました。それでも粘ってその名を付けようとするアーデさんを見限り、リクに懇願するような視線を向けていたのを、私はしばらく忘れられそうにありません。
「かく言う俺のネーミングも、目の色から連想した宝石の名前っていう安直なものではあるけど」
リクはそう言いますが、名前を付けられた彼らは大変気に入っている様子でした。ついでに言えば、名付け親となったリクにとても良く懐いていますね。どちらもテイム前にエディターで強打されているはずですが、強者に従う魔物の本能的なものでしょうか?
私がそんなことを考えている内に、ジェイドは自身を撫でていたリクの腕を伝ってその肩に。スピネルも更によじ登り、頭に乗りました。やはり懐いています。
リクは突然はっとした様子を見せて、不敵な笑みを浮かべました。そしてアーデさんに視線を向けて、口を開きます。
「じゃ、俺はこれで」
「待って待って! ワタシの使い魔を連れて行かないで!」
軽く手を振って帰る素振りを見せたリクに対し、アーデさんは慌てて止めに入りました。
リクの冗談であることは、そろそろ分かりそうなものですが……。アーデさんの慌てた様子は真に迫るものがありますし、きっと本気にしているのでしょう。件の使い魔に、リクから離れる気配が無いのも原因としてあるかも知れません。
ともあれアーデさんは二体の使い魔を得ました。どちらも決定打には欠ける魔物ですが、単純に頭数が増えたことで安定性はぐっと増したことでしょう。問題の決定打についても、エミュレーターを更に用いれば解決できるのでしょうし。
不平不満を言いつつアーデさんの補助をしているリクの負担も、きっと減ってくれますね。あまり自覚無くリクに頼っていた私が言えた義理ではありませんが。
みっしょんこんぷりーと。