第六六話 テントの中の茶会
ちょっと話の進みが遅いですねぇ…。
馬車の御者と馬は、俺達が張ったテントから少しだけ離れた位置で夜を過ごすそうだ。魔物避けの魔法具があるそうで、基本的に護衛の心配は無いらしい。翌朝になればここから数刻で到着する村へ向かうことになっており、俺達も用事が済めばそこへ向かって合流する手筈だ。
付近に魔物が居たので、必要ないかと思いつつも俺は念のため追い払いに出ていた。戻ってきた今は、とても間抜けな顔をしていると思う。
「……いやいやいや、何で?」
俺が出した五人用テントが組み立てられている。それはまあ良い。けれど、組み立て途中だったフランのテントが綺麗に片付けられているのは果たして。
「見回りお疲れ様です、リク」
「あ、お疲れさまー、リッ君」
そんな俺の様子を気にした風でもなく声を掛けてくる二人の表情は、至って普段通り。
「あのさ、フラン? フランのテントは組み立て途中だったと記憶してるんだけど、間違いないかな?」
もしかしてひょっとするとそれは俺の勘違いで、実はまだ組み立て前だったのかもしれない。これから組み立てるつもりなのかもしれない。そんな明らかに悪あがきとしか表現できない無様さを発揮し、俺は問い掛けた。
「はい。ですがリクが五人用のテントを出してくれたので、全員でそれを使うのだろうと……。そういうつもりでは無かったのでしょうか?」
いや全員って。全員って。
「そういうつもりじゃなかったんだよなぁ……。まあ良いや、別にフランが俺のテントを使うことに文句は無いし」
内心で行った指摘を無かったことにして、俺は自分の一人用テントを取り出す。
「リッ君、何してるの?」
何故か見慣れぬバスケットを片手に提げたアーデが、不思議そうに俺を見てくる。
「緊急事態ならともかく、そうでないなら男女の寝床は分けるべきだと俺は思う。説明終了」
言葉を切ってテントの組み立てを始めようとした俺の手を、ここ最近ですっかり見慣れてしまった手が止めた。
「ひとまず食事にしませんか。実はもう、テントの中に用意はしてあるのです」
その手の持ち主であるフランはそのまま俺の手を掴み、テントに向かって軽く引いてくる。更には俺の目を真っ直ぐ見てくるものだから、恐らく何かしらあるのだろうと当たりを付ける。
「分かったよ。既に普段より遅い夕飯だし、そっちを先に済ませよう」
素直に従う俺を見て、フランはほんの少しだけ頭を下げた。
はて、何があるのかね。
五人用のテント内にて、それなりのゆとりをもって広げられた料理。初日である今日は日持ちする携帯食料ではなく、出発前に街で購入した野菜スープやハムを挟んだパンなどだ。
これらはフランがアイテムボックスに入れていただけなので、特段変わったことは無い。では考えられるのは、アーデが自身の隣に置いたバスケットの中身か。
「なになに、リッ君はこのバスケットの中身が気になっちゃう感じ? でもざーんねん! 食後のお楽しみでーす!」
何と無しにバスケットへ視線を向けていたら、意地の悪い笑みを浮かべたアーデが実に楽しそうに言ってきた。とても面倒なので、俺はやはり普段通り雑に対応しよう。
「夕食を済ませたら、すぐテントの組み立てに戻る」
「お願い待って! じゃあ今開けるから! もう開けちゃうから!」
大いに慌てたアーデが宣言通りバスケットを開けようとするが、フランがそれを優しく止める。
「大丈夫ですよ、アーデさん。何だかんだと言いつつ、リクは待ってくれますから。ね?」
最後の一音だけは、俺に視線を向けながら。フランはアーデを宥めた。
「その言い方は、とても卑怯だと思う」
ほんのり、心なしか鋭くした目でフランを睨む。しかし、
「そうやって苦言を呈しつつも甘えさせてくれるリクは、とても素敵だと思います」
穏やかな笑みを浮かべたフランには、いとも容易く受け流された。
気を許した相手には別に負けても良いと思ってしまっている俺は、ただ粛々とその敗北を受け止めて。夕飯を済ませてしまうことにした。
「ごちそうさまでした」
空になった皿の前で手を合わせ、調理を行った人へ感謝を捧げる。無論、食べる前には食材への感謝を捧げた。
「で、そのバスケットの中身は食後のデザート辺りか」
適当に推測したことを口に出して言ってみたら、アーデが驚いた表情を浮かべた。
「あ、うん。良く分かったね?」
そんな言葉を俺に返しながらバスケットの蓋を開けて、三つに切り分けられたものを取り出す。
「じゃじゃーん! アーデちゃん特製、チョコレートケーキです!」
スポンジとクリームで複数の層を成した、店売りされていても違和感の無い整った見た目のケーキだった。上部に薔薇を模したチョコクリームが乗せられ、一つ一つの形が微妙に違うことから本当に手作りなんだろう。
「今朝すっごく早起きして作ったんだけど、二度寝したらそのまま寝過ごしちゃって……、あはは……」
アーデの遅刻の原因が、俺達の目の前に現れた。果たしてどう反応すべきだろうか。
「色々迷惑掛けちゃってるから、そのお礼にって思って頑張ったんだけど。それで寝坊して迷惑掛けたら、意味無いよねー……」
アーデの視線が俺の方に向きそうになり、離れ、また向きそうになり、また離れと繰り返す。
「これでケーキが不味かったりしたら、いっそ面白いな」
「自信作ですー! 味見もしたし、ばっちり会心の出来だったから!」
があ、と吼えそうな勢いで俺を睨むアーデ。今度は俺の方を真っ直ぐ見た。
「では、頂きましょうか」
そんなやり取りをフランが穏やかな眼差しで眺めつつ、切り出した。
「うん、どうぞ召し上がれ。ほらリッ君も!」
びしっと機敏な動きで、アーデは俺にフォークを差し出してくる。なお、フランの手には既にフォークがあった。
俺は小さく溜息を吐いてから、差し出されたフォークを受け取る。
まずは一口。ふんわりとした柔らかな食感の後、ミルク系チョコレートの豊かな甘みが口中に広がる。俺の好みはビター系だが、これはこれで悪くない。いや、素直に美味い。
ただ一つ言うなら、コーヒーがお供に欲しいか。という訳で。
「淹れておいて良かった」
アイテムボックスから水筒と三つのカップを取り出し、中身を注いでフランとアーデに配る。
「ありがとうございます」
「ありがとう。ところでケーキの味はどうだった? あと、ミルクとお砂糖ってある?」
俺が無言でミルクポットとシュガーポットを差し出すと、アーデが嬉しそうに受け取った。
「このケーキに合う飲み物を提供しようと思える程度には、まあ、美味いな」
心なしか小声で。いっそアーデが聞き逃さないだろうかという願いを込めて、高評価を口に出した。
「ホント!? いやー、嬉しいなー! 『食えないほど不味くはない』とか、良くてそのくらいの言葉しか貰えないと思ってたから、ちょっとびっくりしちゃったけど」
流石に聞き逃さなかったか。
「俺なら言いそうな言葉だと自分でも思うけど、そういうのは本人を前にして口に出すな」
実際似たようなことを言うつもりだった、というのは黙っておく。正直なところ想定外にレベルの高い味だったので、俺も驚かされた。
「アーデさんのケーキとリクのコーヒーを交互に味わうと、とても良いですね。チョコレートケーキの優しい甘さを、コーヒーの深い苦味と豊かな酸味が見事に整えてくれます」
俺が間合いを計るようにアーデと会話する中、フランはマイペースにケーキとコーヒーを楽しんでいた。
こんなこともあろうかと系主人公。