第六〇話 もう良いから風呂に入ろう
泥まみれ辛い。
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俺──リク・スギサキがアーデと一緒にゆっくり街へと向かっているところに、遠くから誰かが駆け寄ってくる音が聞こえてきた。いや、それがフランなのは既にマップで確認済みだけど。
俺達は立ち止まり、その足音の方へ振り返る。
「リク、アーデさん。気を遣わせてしまって申し訳ありません」
ほんの少しだけ呼吸を乱しながら、それでも丁寧な言葉遣いを崩さずにフランは言った。
「良いよ、謝らなくて。そもそもこの場合、本当に謝らなきゃいけないのはここに居ない男だし。ま、とりあえず移動を再開しようか。ステータスもAGIに振っておく」
恐らく顔を出すことは無いだろうと思っていたあのストーカー男は、やはり俺達のずっと後ろの方を移動している。マップで確認した。フランと何の話をしていたかは知らないが、今日またすぐに俺と顔を合わせるのは避けたいんだろう。
「それで、話は綺麗に纏まったのかな? もう後腐れは無い?」
問題点はそこだ。もし解決できていないのなら、俺はまた行動することになる。
「はい、リクのお陰で無事に」
晴れやかに言い切ったフランの表情を見ていると、どうも本当らしい。けれど俺のお陰とは一体。まだ対策途中で、仕上げまではやっていなかったというのに。解決のための下地くらいは作れていたということだろうか。
「無事に終わったなら良かったねー。もし終わってなかったら、リッ君のこの後の行動が怖いし」
「なあ、アーデ。どういう意味か、内容を聞いても良いか?」
目一杯笑顔を浮かべてアーデに質問してみると、急いでフランの後ろに隠れやがった。
「さあさあ、街に帰ろー。早く休みたいしねー。ワタシもうヘトヘトだよー」
棒読みで、アーデがそう訴える。実際疲れてはいるはずだが、こうも白々しくできるのは一種の才能ではなかろうか。
「あの、リク。街に帰るまで……いえ、帰ってから一時間程度まで、エディターを貸して頂けませんか?」
俺が感情の無い目でアーデを見つめていると、フランがエディターの貸与を求めてきた。何だろうか、としらを切りたいが、残念なことにおおよその見当は付いている。
「アレックス・ケンドールの周囲一キロメートル以内に魔物が現れたらアラームが鳴るようセットしとくけど、その上で貸す必要はある?」
負傷こそそう無いものの、疲労は無視できない状態だったはずだ。そんな奴を一人で放置してさようなら、というのはフランらしからぬ行動と言えるだろう。
「お気遣いありがとうございます、リク。ですが念のため、貸して頂けませんか? ケンドールさんが街に戻るまで、しっかりと確認したいのです」
おおっと、フランの優しさを甘く見てた。
観念した俺はアイテムボックスに収納していたエディターを取り出し、フランに差し出す。
「ねぇ……、フランちゃんにもエディターが使えるの? 何で?」
礼を言いつつエディターを受け取り、普通に操作を始めたフランを見て。アーデが心底不思議そうに尋ねてきた。
「編集者だぞ? 本体設定を編集すればそのくらいできるさ」
「何それズルい。便利過ぎるでしょ」
「エミュレーターの機能のえげつなさから比べれば、このくらい可愛いもんだと思うけどな」
魔物の変異とか合成とか、本当に。今回は迅速に処理したから良かったけど、もう少し敵に猶予を与えていたらもっと色々面倒なことになっていた気がする。
「というかそもそも、アーデはオリジナルを持ってるんだから使えよその機能。魔物使いですって言えば、変異させた魔物を連れ歩いても平気だろ」
ゴブリンとかオークとかを連れ歩くのは俺も嫌だけど、四足歩行の獣系の魔物だったら楽しそうな気がする。毛がフッサフサの奴とか。
街中にも、首輪を付けた魔物を連れ歩いている人はたまに居る。大抵は一頭か二頭程度だが、一度だけ歩く猛獣サーカスになっている人も見かけたことがある。餌代がどうなっているのか、知りたいような知りたくないような。
「あー、そうだねー……。確かにもう、出し惜しみしてられないよねー……」
あまり乗り気ではなさそうなアーデの言葉に、詳しい話を訊いてみることにした俺。
曰く、エミュレーターで支配下に置いた魔物に対しては愛着を持ってしまい、例えば偵察の目として蝙蝠型の魔物の群れを支配したときも野生に返すのが躊躇われた。
曰く、それなりに強い一頭を支配下に置いた際はそのまま飼おうとしていたが、飼う場所や餌代の問題で断念せざるを得なかった。
「今のアーデの部屋ならペット可だったはずだし、魔物もいけるんじゃないか? 餌代についても、さっさと中級冒険者になれば問題無いだろうし」
「んー、でもそしたら、どんな子が良いかなー。ワタシとしては鳥型か猫型の魔物が良いと思うんだけど」
何となく、ペットも兼ねてそうな感じがする二種だな。ここは俺が新しい視点からの選択肢を提示すべきだろう。
「オークなんてどうだ? 今回戦ってみたけど、そこそこ強かったぞ」
「そのオーク、ワタシじゃなくてリッ君に付き従うようにしてあげようか?」
「そうしたらお礼に、豚肉料理を振舞ってやろう」
唐突な話だが、魔物の中には食用にできるものも存在する。
「それ正確には豚の肉じゃないよね?」
「ぶひぶひ言う奴は全部豚だ。そういえば、この世界にグリフォンは居るのか? 都合良く鷲と獅子だけど」
居たら本当に都合が良いと思うんだけど。
「上級の魔物ですね。攻撃力としては上級の中でさほど高い部類ではありませんが、知性が高く機動力にも優れるので、テイムできれば有用な魔物として有名です」
どうやら居るらしい。そして説明から会話に入ってくる辺り、流石フランだな。
「鳥と猫を混ぜちゃったかー。でも選べるならかなり良い選択肢かも? 問題は、ワタシの実力じゃテイムどころかこっちが殺されるってことだけど」
アーデはそう言いつつ、俺の方をじっと見てくる。何だその、協力してくれるよねとでも言いたげな目は。
「リッ君が言い出したんだから、協力してくれるよね?」
実際に口に出して言いやがった。
「俺に対する借りがどんどん増えていきそうだな、アーデ? 今から何を要求するか、俺も考えておく必要がありそうだ。……ところでフラン、グリフォンってどの辺りに棲息してるのかな?」
そもそもここから移動して辿り着くのにどのくらいの時間が必要なのか。
アーデを軽く脅しつつ、現実的に可能な選択肢なのか確認しておく。
「この世界エクサフィスの最南端の陸地、四大霊峰の一つであるズュートケーゲルです。基本的には中腹に棲息していますが、時折麓まで降りてくるそうなので、そこが狙い目でしょうか。ちなみにここからの移動ですと、馬車で片道ひと月程度は必要ですね」
ふむ、四大霊峰とは随分と危険度が高そうな響き。ド直球に登山を敢行すれば、その道中で命を落としたりしそうな雰囲気がある。
「ちなみにそのズュートケーゲルって山、危険度的にはどんなものなのかな。冒険者の星の数で言えば、どのくらいが必要なのか教えて欲しい」
なのでしっかり情報を得ておこう。自ら死地に赴くつもりは毛頭無いよ。
「比較的安全を確保できる実力ということであれば、麓までなら五つ星、中腹で六つ星、山頂ともなれば七つ星といったところです。エルケンバルトさんが今のレベルに至ったのがかの霊峰の山頂ですから、その危険度は推して知るべしですね」
格下相手では取得経験値が減る中、レベル二五〇まで上げられる場所ってことか。
「よし止めよう。俺は協力しない」
「麓までなら五つ星で比較的安全って言われたでしょ!? 大丈夫そうでしょ!? なのに何で!」
俺に手伝って貰う気満々だったらしいアーデが、必死になってこちらに食い下がる。
「比較的だろうに。冒険者だからって冒険が好きだと思うなよ。俺は冒険なんて大嫌いだ」
「つくづく五つ星冒険者とは思えない発言!」
五つ星と言っても、そこまで上げたというよりは上げられたと言った方が適切な状況だったんだ。そんなものを理由に文句を言われても困る。
「じゃあ仮に俺を五つ星冒険者として雇う場合、幾らの金を積むつもりだ? 往復なら、移動だけでふた月。その間に掛かる経費だけでも相当な額になるはずで、そこから更に現地でどの程度の日数粘ることになるのか。初日でグリフォンがやって来れば良いが、そんな幸運は期待できないだろう。ここでもう一度聞く。幾らの金を積むつもりだ?」
まさか無償で俺が協力するとは思っていなかっただろうが、どうも甘く見ている節はあった。だから、具体的な金額までは出さないが、現実的な問題として提示してやった。
「……お、お友達価格で少しお安くなったりとか」
「一方的に貸ししかない奴を、俺が友達だと思うことは無い」
おずおずと訊いてきたアーデの言葉を一刀両断。言葉を続ける。
「同情の余地があって、要求に正当性があるのなら俺も譲歩はしよう。けどな、俺が名前を出したとはいえ、必要性すら疑問視されそうな上級の魔物のテイムを、俺は手伝わないといけないのか? 百歩譲って、アーデ自身が足手まといにならないレベルになってから言え」
最低でも上級冒険者になっていなければならないような場所で、中級冒険者相当の実力しかないアーデを連れ歩く。そんなのは自殺行為一歩手前だ。冗談じゃない。
「という訳で、別の魔物だな。フランから、何かお勧めの魔物って居る?」
建設的な意見を求めるなら、アーデ本人よりフランに訊いた方が絶対に良い。その確信がある。
フランは視線を落として考える仕草を見せ、それから口を開く。
「今の話から言えば、中級の中から選ぶべきでしょう。その上で鳥型となるとフォルストオイレ、アイゼンファルケ。猫型となるとシャッテンカッツェ、シュベールトティーガーなどですね」
おおっと、一気に耳覚えの無い名前が出てきた。フォルストが森で、アイゼンが鉄で、ティーガーが虎ってのは分かるけど、その他が全く分からない。それぞれの魔物について簡単に聞いてみると、すらすらと答えが返ってきた。
フォルストオイレは梟型の魔物で、名前の通り森に棲息している。羽毛がとても柔らかく、消音性能も高い。最高速度は鳥型の中で平均的だが、運動性能は上位に位置する。また、簡単な風魔法を扱う。
アイゼンファルケは鋼のように硬い羽根を持つ鳥型の魔物で、攻撃力に優れる。加速度こそ鳥型の中で下位であるものの、最高速はむしろ上位に位置する。また下降速度が群を抜いて高く、急降下からの強靭な嘴による一撃は、岩をも貫く。
シャッテンカッツェは猫型の魔物で、シルエットはそのまま大きめの猫。あらゆるものの影に潜ることができ、奇襲を得意とする。また簡単な闇魔法を扱う。
シュベールトティーガーは虎のような魔物で、爪牙が剣のように鋭い切れ味を誇る。防御力こそやや低めなものの、攻撃力と敏捷性は中級でも上位。
「純粋な戦力としてなら、アイゼンファルケかシュベールトティーガーだな」
アーデ自身に足りないのは決定力だ。だったらそれを補ってくれる魔物が良い。
「いやワタシ、フォルストオイレかシャッテンカッツェが良いんだけど。良いんだけどー!」
やっぱり戦力兼ペットか。父親にペットを強請る娘みたいな上目遣いしてきやがって。
「物理火力はリクが、魔法火力は私が担当している状況ですし、アーデさんにはトリッキーな動きができるようにして貰えると戦略の幅が広がるかも知れませんね」
フラン! 甘やかすの止めようか!
「そうそれ! トリッキーな遊撃手をワタシは目指すべきだと思うんだ! フランちゃん分かってるぅ!」
そしてここぞとばかりにフランの意見に便乗するお調子者が居る。
「風魔法を使って三次元的に飛び回りながら敵を斬っていく俺よりトリッキーに動ける遊撃手なら、見てみたいもんだ」
俺はハードルを上げていく戦法を採用。
「……やー、ほら、リッ君のそれはトリッキーっていうより、アクロバティックだから」
「戦闘における役割として考えたその両者にどれほどの違いがあるのか、詳しい説明を求める」
包囲網を展開し、逃亡を許さない。
「ごめんなさい」
交戦を開始する前に降伏しやがった。まあ、それならそれで無視しておこうか。
俺はフランの方を向き、話を進めるための質問をすることにした。
「それでフラン。フォルストオイレとシャッテンカッツェは、それぞれどの辺りに棲息してるのかな?」
「リッ君酷いよぉ……。ワタシの意思が無視……あれ? 全然無視されてない?」
ワンテンポもツーテンポも遅れて俺が出した名前に気付いたアーデは放置する。
「その二種はどちらも、アインバーグから西へ馬車で一日程移動したところにある、シェルム森林に棲息しています。中級の魔物としては小型な方ですから、二種ともテイムしてしまっても良いかもしれません」
そもそも梟と猫だしな。サイズはそんなに大きくないだろうと思っていた。
「え、待って。リッ君ってワタシの選択に対して反対じゃなかったの?」
まだ俺の意図を理解していないアーデに、仕方なく俺は解説してやることにした。
「フランが提示した選択肢って時点で、四種の内のどれでも問題は無いと思ってた。後はアーデが選ばなそうな方を予想して、遊んだ。どうせペットも兼ねさせるつもりだったんだろ?」
「いっそ清々しいほどの鬼畜っぷり! ワタシの考えを良く理解してくれてる上でそれを悪用するって凄いよね!」
俺の読みは見事に当たっていたようだ。蝙蝠型の魔物の群れにすら愛着を抱けるアーデが、飼い続ける前提でいる魔物をペット扱いしないなんて、絶対に有り得ないと思っていたけれど。
距離的にも難易度的にも問題は無さそうなので、俺とフランが協力することになったアーデのテイム。その詳細を詰めるための話を続けていたら、アインバーグの検問が見えてきた。
そのまま街に入り、アーデと別れる。別れ際にはテイムについて宜しくと、念を押された。
「これでやっと泥を落とせるな」
俺は改めて自分の姿を確認し、ほっと息を吐く。中途半端に乾いた泥が、歩く度にぱらぱらと少量落ちる。
「俺は帰って風呂に入ってくるけど、フランはこれからどうする?」
エディターをフランに貸しているので、この後の予定を聞いておかなければならない。
「私はギルドに戻ります。リクが貸してくれた防水コートのお陰でほとんど汚れてもいませんし、今回の件についてギルドに報告もしなければなりませんから」
そりゃそうか。しかし、ギルドへの報告……。今回の件も、あのギルドマスターの耳に入ってしまうのか。
「汚れを落とした後、リクもギルドに来て頂けますか? エディターをお返ししなければなりませんから」
「分かった。じゃあまた後で」
「ええ、また後で」
冒険者ギルドに行った時、ギルドマスターに出会うことがありませんように。そう願いつつ、俺はフランと別れた。
次回、主人公の一糸纏わぬ素肌が晒されない!(全カット)