第四二話 訓練所3
結界の外に出て行くロロさんを見送った後、改めて結界内を見渡す。
比較的近くにはマラットが居て、ぼたぼたと血を流す左手首を必死に押さえている。
少し離れたところにはカルルが居て、ぶらぶらと安定しない左腕を抱えている。
「セルゲイさんは既にお帰りになりました。カルルさん、マラットさん、お二方のお帰りはいつでしょうか?」
そろそろ面倒だったので、雑に煽る。これで二人して襲い掛かってくれれば、まあ正当防衛だろう。そもそも事の発端はあちらにあるし。
俺の狙いは今度こそ違わず、本当に二人して俺に襲い掛かってきた。距離的に近いマラットを先に相手しておこう。
「片手でも武器を扱えますか。それなりに訓練はしているようですね」
巧みに、とは口が裂けても言えない精度ながら、ある程度は的確に俺の頭を狙ってモーニングスターを振るってくる。
「ただ残念、速度が全く足りません」
ひょいひょいと、おちょくるように小刻みなステップで攻撃を回避していく俺。そんなことをしている内に、カルルが到着した。
「ほら、ちゃんと二人で仲良く俺を狙ってください。一人で攻撃しても、全く届いていないんですから」
これで数の不利が生まれたので、ここから俺の攻撃が始まる。
「ぶっ殺すぞテメェエエエ!」
目がイってるカルルが、唾を飛ばしながら叫ぶ。
汚いので彼の背後に回って避けた。
「先に喧嘩を売ってきたのは果たしてどちらだったか、まさかお分かりでない?」
そして耳元で囁く。
ハンマーで返事が来た。どうやら分かっていないらしい。
バックステップでハンマーをさくっと避けて、おまけに向かってきたモーニングスターもしゃがんでやり過ごす。
「ちょこまかしやがって! テメェなんざ一撃入れりゃ終わりだろうが!」
おや、カルルさんはそう仰る? それはそれで素敵な提案だと思います。
「では、カルルさんから無防備に一撃受けましょう。さあさあ、よーく狙ってくださいね」
片手半剣を床の上に置き、両腕を左右に広げて無手のアピールをする。
「何企んでやがる?」
幾ら何でも不審に思ったか、少しだけ冷静さを取り戻したらしき言葉がカルルの口から発せられた。
「この状況、目撃者が大勢いる中、嘘を吐いて後々困るとは思いませんか? 一撃受けると宣言した以上、俺は実際に一撃を受けるか、或いは避けて卑怯者の烙印を押されるか。そのどちらかですよ」
ここまで語ると、カルルはにやりと笑った。ついでにマラットも。
「そうかい、じゃあ遠慮無く……ッ!」
カルルが上段に構えたハンマーを振り下ろす。
タイミングを合わせて、マラットもモーニングスターを振り下ろす。
岩石同士が衝突したような、激しい打撃音が二つ。とても五月蝿かった。
俺の右足にハンマーが打ち据えられ、更に左足にはモーニングスターが。徹底的に俺の足を潰したかったんだろう。けれど残念、VITに極振りした俺の足は、ほんの少し内出血しただけだ。
「さて、俺は宣言通り無防備にカルルさんの攻撃を受けた訳ですが。まさかマラットさんまでもが攻撃してくるとは。ご丁寧に両足とも潰されるとなれば、その後の移動は絶望的ですね。そもそも、一撃で終わらせるつもりが無かったと分かります。その後どんなことをするつもりだったのか、容易に想像できますね」
ゆっくりと、ハンマーとモーニングスターをどかす。
「ああ、いえいえ、ご心配なく。お二人にも無防備に攻撃を受けろ、などとは申しません。申しませんとも」
気圧された様子を見せる二人に、俺はあくまで静かに語りかける。
「ところで、俺の故郷では『仏の顔も三度まで』という言葉がありまして。普段どんなに温厚な人でも、無法なことを重ねられれば、ついには怒り出す、という意味です」
唐突なことを言う俺に、二人は怪訝そうな顔をした。
「俺はそこまで温厚ではありませんが、この場限りに於いてその言葉に倣いましょう。……さあ、あと二度、無防備に攻撃を受けます。どうぞ、仕留めるつもりで頭でも、移動力を奪うために再度足でも、ご自由に」
三度目で仕留められなければ、どうなるか。それは今し方、諺になぞらえて言った。
「お二人が一体どこを攻撃するのか、しっかりと確認し、その後の対応を決めますので」
二人は顔を見合わせ、互いの青い顔を見て更に青くなる。だがしかし。
「……右足だ。右足を集中して狙うぞ。移動力さえ削っちまえば、俺達が負ける訳ねぇんだ! 意味分かんねぇ頑丈さだって、何か仕掛けがあるに決まってる!」
カルルは誤った選択をした。
「お、おう、そうだ、そうだよな!」
マラットもまた、それに同意した。
選択を誤った二人は徐々に笑みを浮かべ始め、それぞれ俺の右前方と右後方に移動する。
「1、2、3で行くぞ。……1、2、3!」
タイミングを合わせ、前後から挟む形でハンマーとモーニングスターが俺の右足を襲う。
芯まで響く衝撃。これは痛みを感じる。ただそれでも、骨にヒビだって入ってはいないだろう。
「あと一度」
俺は頑張って表情を変えず、精一杯余裕ぶって宣告する。
「や、痩せ我慢に決まってらぁ! 次で潰すぞ!」
痩せ我慢はむしろ、カルル達の方が度合いが強いだろう。今の声もやや掠れていた。
「1、2、3!」
カルルは先程よりも早口になり、それにマラットが合わせられずタイミングがややずれる。必然的に単なる連撃となり、威力は下がった。
当然、俺の右足は健在だ。
後ろにいるマラットの表情は見えないが、カルルの表情なら見える。これまでで一番酷く血の気が引いて、真っ青だ。
「決定的なチャンスを前にしても、相手を──俺をいたぶることに心血を注ぎますか。それなら俺は、お二人を遠慮無く、いたぶれます」
片手半剣をアイテムボックスに収納し、代わりに真っ黒な両手剣を取り出す。
アナライズモード起動。
結界のアドレスをサーチ。
エディットモード起動。
戦意喪失による強制退去をオフに。
「是非とも、俺から全力で逃げ回ってくださいね。……逃げられるので、あれば」
立ち位置と身体の向きを変えて、敵二人を視界に入れる。死にそうな悪人面が二つ、化け物でも見るような怯えきった目で、俺を見ていた。
さあ、やらかした。試合区画ではあの後、モノ・ウィンドを多用し三次元的な動きで二人を翻弄、足元以外の何処からでも刃が迫ってくるという恐怖を存分に堪能して貰った。
まあでも、彼らはきっと明日から心を入れ替え、新入りを苛めたりなど決してしない優等生になってくれることだろう。終了後、恐怖に塗り潰された表情で「黒い風が、黒い風がぁ! お、俺の身体を、切り、切り刻んで、いくんだぁ!」などと不思議なことを言っていたけれど、問題はないだろう。結界の外に出た彼らは切り刻まれてなどおらず、五体満足だ。
ちなみに、結界の設定はきちんと元に戻している。後に使う人が困るのは問題だからね。
「あれで一つ星だなんて、完全に詐欺だよ、リク君」
良い感じに汗を流した俺は今、訓練所に備え付けられた休憩室でベンチに座って休んでいる。そんな俺に話し掛けてきたのは、疲れた表情のロロさんだった。
「ああ、ロロさん。でも本当に一つ星ですよ? カードも見せましたよね」
俺の隣に開いたスペースにロロさんは座り、俺との間に飲み物が入ったコップを二つ置いた。
「おひとつどーぞ。ところで今、訓練所で君が何て呼ばれてるか知ってる?」
内一つを質問の後すぐに自分の口に運び、飲み始める。
「ありがたく頂きます。……何て呼ばれてるんですか?」
「死神」
わーおう。
「それだけじゃないよ。他にも黒い風とか、絶影とか、もう色々。ジャックたち三人の中に混ざってたとき、どれだけ手加減してたのさ?」
飲み物を口に含むと、スポーツドリンク系の味がした。やや薄味かな。
「一つ、言い訳をさせてください」
俺だって別に、ロロさんたちを騙したくて行動した訳じゃない。
「うん、聞かせて貰うよ」
意外なほどあっさりした返答に内心で面食らいつつも、俺は予定していた内容をそのまま話す。
「一つ星のギルドカードしか持っていない俺が、自分は強いんだ、上級冒険者クラスの実力を持っているんだ、だから君たちの相手などしていられない、なんて言ったらどうなりますか? 使う言葉はそれよりマイルドにするとしても。もっと穏便に済ませられそうな内容の言葉も思いつきはしますが、説得に時間が掛かりそうな気がしましたし」
ロロさんの方を見ると、眉間に皺を寄せていた。
「あの場では、リク君が場の空気に流されておくのがかなり妥当な選択だったのは理解したよ。実際、試合もスペックで圧倒してた訳じゃないしね。ああ、本当に、あの迷惑な三人組が現れさえしなければ、もっと良い形に持っていけたんだけど……」
頭を抱えて唸り始めた。
「私の思惑としてはね、リク君。ジャック達三人のまとめ役をできそうな、それでいて実力が高すぎないギルド員を訓練所で見つけたかったの。リク君の落ち着いた空気と、そんなに上等じゃない軽装鎧を見て、この子だ、って思ったの。試合を始めてすぐ確信してたし、それがその後崩されるなんて思ってなかったの!」
ロロさんは顔を上げ、恨みがましい目で俺を見ている。
「蓋を開けてみれば私より断然強いし! そりゃあ、ジャックに自分の弱点をしっかり認識させることはできたけど。それなりに良い結果に収まってるのは分かってるけど!」
どうも、俺はかなり期待されていたらしい。勝手な期待と言えばそれまでだけど、ロロさんの人の良さを知った今となってはそうドライに切り捨てる気にもなれない。
「あはは……、ご期待に沿えず申し訳無い」
なので、謝るだけ謝ってみる。浮かべる表情は本心そのまま苦笑いだ。
「別に謝らなくて良いよ。こっちが勝手に期待しただけなのは分かってるから」
そう物分りの良い言葉を返されると、俺としても殊勝な返しをしなければならなくなる。
「今回は噛み合いませんでしたけど、今後ロロさんが困ることがあって、俺にできそうなことがあれば、力になりますよ」
俺のアーデに対する接し方を思い返し、自分は天邪鬼だなと思う。いやでも、きっと共感してくれる人も居るはずだ。女性を遊びに誘った場合、奢られて当たり前だって態度をされると絶対に奢らないけど、そうでない場合は素直に奢る男とか居るだろう。俺は完全にそのタイプだ。
ロロさんが半目になって俺を見てくる。どんな言葉が来るのだろうか。
「その言葉、困ったときの私は本気で当てにするよ?」
少し身構えてしまったが、何てことはなかった。
「ええ、望むところです」
俺は二つ返事で言い切った。
悪人ではありませんが、割と天邪鬼な主人公です。